転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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株式会社アドバンテッジリスクマネジメント

A.Oさん

1社目でスクラッチ開発、2社目でパッケージ開発を経験 3社目は「柔軟で自由な働き方」を軸に事業会社へ転職

プロフィール
都内有名私立大学を卒業後、中小SI会社に入社し、食品メーカーを中心とした製造業向けのシステムをスクラッチで開発する経験を積む。3年半勤務後、リーベルの支援を受け、Salesforceの導入・運用支援を得意とする大手SI会社に転職。約4年勤務し、2度目の転職もリーベルの支援を受け、アドバンテッジリスクマネジメントの内定を獲得。
大学卒業後、入社したのは1次請けで開発する社員数約40人の小さなSI会社だった。社風はアットホーム。食品メーカーのシステム開発に強みを持っていた。
生涯尊敬できる先輩社員との出会いがあった。技術に明るく、要件定義から設計、構築、テストまで、フルスタックで完璧にこなせるスーパーエンジニアだった。
自分もその先輩社員のようにスキルを身に付けたい。そんな思いで会社を辞めてから臨んだ転職活動。リーベルの支援を受け、大手SI会社への転職を果たす。
仕事はハードだった。数か月の運用保守案件が矢継ぎ早に続く日々。リーダーに抜擢され、要件定義からのシステム開発を経験し、何人もの新人を育てた。
自分自身の成長は実感した。だが、一方で心身は疲弊していた。もっと自分らしい働き方はないか。挑んだ2回目の転職。
今回もリーベルに支援を依頼した。そして、転職活動をする中で自分にとって理想の働き方が見えてくる。テーマは「柔軟で自由な働き方」――。
そんな特異な希望を受け止め、自分のこれまでのキャリアを評価してくれたのが、アドバンテッジリスクマネジメントだった。
柔軟で自由な働き方。そんなキャリアにたどり着いた経緯を聞いてみた。

「自分でもできる」と自信を持てた新人時代

都内の有名私立大学の教養学部に通い、英語が得意だった。就職先は社会課題を解決できる会社を望んだ。紆余曲折を経て、選んだのが小所帯のSI会社だった。

—— 大学卒業後、小さなSI会社に就職しました。選んだ理由は何でしょう。

Oさん:大学では経済学を専攻し、英語も得意だったのですが、就職活動当初は何をやりたいのか自分で全く分からなかったというのが正直なところです。その後、当時から社会課題となっていた物流の再配達の改善に興味を持ち、大手物流会社に応募。ITシステムで解決できる腹案があり、面接ではそのアイデアをアピールしました。結局、受からなかったのですが、それがシステムに関心を抱くきっかけとなり、IT業界での就職を目指すようになったのです。いくつかの企業の応募し、採用が決まったのは小さなSI会社でした。

—— どんな会社でしたか。

Oさん:食品メーカーを中心にシステム開発や保守運用を行っている会社で、1次請けでスクラッチ開発をしているのが特徴でした。食品工場は独自の業務や仕組みが多く、パッケージよりスクラッチ開発を選ぶ企業が多い傾向もあり、そのSI会社は社長自らが営業して仕事を受注し、社員がシステムを作る体制で業務を進めていました。そうした中、私が最初に配属されたのが保守運用を行うチームです。

—— 仕事はキャッチアップできましたか。

Oさん:研修が半年もあって手厚く、技術的に基礎を学んだ状態で仕事に臨めたので問題ありませんでした。それより、私にとって自信になったのは「自分でも社会に出て働けること」を実感できたことです。というのも、私は大学までは物静かなタイプで、クライアントとコミュニケーションをうまく取れるか不安だったからです。それが実際顧客と話す場面になると、意外にもうまくやり取りでき、それどころか、明るく快活に話せるようになったのです。「自分でもできる」。これを確認できたことは大きかったと思います。

—— アットホームな環境で仕事もやりやすかったのでは。

Oさん:それはあったと思います。特に一緒にシステム開発を行うことになった3~4歳年上の先輩社員がとても優しく、それでいて仕事を完璧にこなせるエンジニアで、非常に勉強になったことを今でも覚えています。そのプロジェクトでは要件定義から設計、構築、テストまで行ったのですが、その先輩の仕事ぶりがとにかく秀逸で、「要件定義はこうやってやる」「設計はこうやる」という見本を目の当たりにできたのです。そんな先輩が私にくれたアドバイスが「分からないことを(調べたり、人に聞いたりして)分かるようにしていくのが私たちの仕事」というもの。シンプルだけど的を射ている言葉です。今も心に留めて仕事に向き合っています。

—— よき先輩社員と巡り合えて、仕事もしやすい環境。にもかかわらず、転職をしようと思ったのはなぜですか。

Oさん:その会社では基礎を学ぶことができたり、尊敬できる先輩社員に色々と教わることが多かったりして良い経験を積めたのですが、自分としては、もっとスキルやナレッジを身に付けないと、エンジニアとして成長できないと思うようになったからです。より世の中の時流に沿った技術が修得できるような会社で働こうと考えました。

—— そこで、最初の転職活動をする決断をしたのですね。

Oさん:ただ、色々と思うこともあって、先に会社を辞めてしまいました。今振り返ると、これは悪手だったと思います。辞めると、転職先を決めないと食べていけないと焦りが生じてしまうからです。しかし、当時は働きながら転職活動をするのはどっちつかずでうまくいかないのではと考えました。

—— どのように活動を進めましたか。

Oさん:月並みですが、大手転職サイトに登録することから始めました。すると、途端に何の前触れもなく知らない電話番号から電話がかかってきました。出てみると転職エージェントの担当者でした。それが何社も電話があり、困惑したというのが率直な気持ちです。

そうした中、メールボックスに1通のメールが届いていました。開けてみると、リーベルという人材紹介会社からのものでした。中身を読むと、私の履歴書を読み込んでオファーしてくれているのが一目で分かる内容でした。このエージェントであれば、時間をかけて丁寧に支援をしてくれそうだと考え、リーベルに求人の紹介を依頼することにしたのです。

転職先で成長したものの、多忙な働き方に感じた疑問

リーベルとともに挑む最初の転職活動。支援は想定した通り手厚かった。辞めてしまって焦りを感じた時期もあったが、何とか気持ちを立て直し、大手SI会社への入社が決まった。

—— リーベルの支援はどうでしたか。

Oさん:技術のナレッジやスキルをもっと磨ける仕事に就きたいという私の思いに対して、それに見合った求人を的確に提示してくれて、履歴書の添削から面接の練習まで十分なサポートを受けることができました。最初は仕事を辞めてしまって焦りを感じていましたが、リーベルの心強い支援があったおかげで、その後は安心して転職活動を行うことができました。

—— 最終的に内定が出たのが、Salesforceの導入・運用支援を得意とする大手SI会社でした。

Oさん:入社を決めたのは、1社目がスクラッチ開発の会社だったので、次はパッケージ開発を経験してみたいという思いがあったからです。半月の研修後、早速現場に出たのですが、そこからは大小様々なプロジェクトにアサインされ、多忙を極める日々が始まったのです。その会社でのキャリアの前半は保守運用が中心で、数か月はメンバーとして業務を行い、以後は私のキャリアとしては初のリーダーにも抜擢されました。
リーダーとなった案件では、クライアントがコストがかかるという理由で一時解約寸前の状況になりましたが、普段の私のコミュニケーションが奏功し、「Oさんが担当してくれているから、やはり契約を続ける」と言っていただけたこともありました。学生時代、話すことが苦手だったのが嘘のようで、その頃はしゃべるのが好きな性格になっており、常に明るく話しながら業務は真面目に取り組む姿勢を、クライアントに評価していただけたのだと思います。

—— 徐々に仕事の内容もレベルが高くなっていったと思います。

Oさん:その通りです。運用保守をいくつか経験した後、私のキャリアで初の要件定義をリーダーとして担当することにもなったのです。その時活きたのが、前職で見た先輩社員の仕事ぶりです。そばで要件定義のやり方などをつぶさに見ており、それが数年経っても頭の中でイメージとして鮮明に残っていたのです。そして、私はかつて見たその“見本”をベースに自分なりにアレンジして必死に業務を行い、初めての要件定義を一人で完遂することができたのです。以後、開発も無事乗り越え、プロジェクトを完了できました。

—— 話を聞いていると、Salesforceのスペシャリストとしてキャリアアップを図れている印象です。

Oさん:その後も保守運用や開発の要件定義など、短期、長期のプロジェクトを主にリーダーとして担当し、経験を積んでいくことができました。私の場合、新入社員がメンバーに組み込まれるケースが多く、何人もの新人を育てたこともその間の実績です。

スキルや経験を蓄積して成長できたことは自分のキャリアにとって確かに良かったと思います。ただ、その一方で、自分の心身の負担を感じずにはいられなかったのも事実です。私にとっては業務が多忙過ぎて、心も体もすっかり疲弊してしまったのです。

—— メンタルヘルスは言うまでもなく働くうえで重要な要素です。

Oさん:私もそう思い、このままでいいのかと疑問を持つようになったのです。もっと自分に合った働き方で社会に貢献したり、自身が活躍したりできないかと考えるようになりました。そうした経緯の中で、頭をよぎったのが再度転職活動をして、その可能性を探ることです。今度は前回の転職活動で得た教訓を生かし、仕事を辞めずに挑んでみることにしました。転職する、しないは別として、自分の思いをかなえる道があるのかどうかを知るためにも動いてみることは重要だと考えたのです。

「柔軟で自由な働き方」を受け入れてくれる会社もあるのか

働き方も10人いれば10通りの考え方があっていいはず。再度の転職活動で、心身ともに健康に働き続けることができる道を模索することにした。もし、自分の思いを実現するのが難しければ、また考えればいい。そんな気持ちで一歩を踏み出した。

—— 今回の転職活動はどのように。

Oさん:まずは自分自身でチャレンジしてみようと、企業と直接やり取りができるエンジニア特化の求人サイトに登録しました。しかし、そのアプローチが一時停滞してしまい、打開するために奥の手を出すことにしました。前回の転職で支援を受けたリーベルに再びお願いすることにしたのです。

—— リーベルにはどのように自分の思いを伝えたのですか。

Oさん:果たして、自分の思う働き方ができる会社はあるのかと率直に聞いてみました。その働き方とは、「旅をしながら仕事をする」というものです。

—— とてもユニークな発想です。

Oさん:そう思ったのには理由があります。コロナ禍を経て会社ではリモートワークが普及し、今では多くの人が在宅で仕事をするのが当たり前の世の中になっています。ご多分に漏れず、私も業務の大半を在宅で行っていました。ただ、そうした中で、せっかく会社に行く手間が省けているのに、自宅にこもって仕事も生活もしているのは、実にもったいない時間の使い方だと思うようになったのです。

—— その時間を有効活用したいと考え、旅をしながら仕事をするという働き方を思い付いたと。

Oさん:どうせなら、旅をして、行った先々で新しい人や場所に触れて、刺激を受けながら仕事をする働き方をしてみたい。そんな風に考えました。いわゆる「デジタルノマド」や「ABW(アクティビティ・ベースド・ワーキング)」といった柔軟で自由な働き方がベースです。

問題は、そうした考えを受け入れてくれる転職先が世の中にあるのかということです。リーベルの担当者も困惑したのではないかと思います。けれども、担当者はそんなことはおくびにも出さず、丹念に求人を調べ、各社にヒアリングしていただけました。

—— 結果、どうだったのですか。

Oさん:リーベルの担当者は40社ほど可能性のある求人をリストアップしてくれたのです。その時は、「これほどたくさん応募できる会社があるのか」と驚きましたね。早速その中から厳選して約15社に応募することにしました。

—— その中に、今回内定が決まったアドバンテッジリスクマネジメント(ARM)も含まれていたのですね。

Oさん:はい、そうです。面接で私が「旅をしながら仕事をする働き方がしたい」と伝えると、上司となる面接官がとても興味を持ち、話が非常に盛り上がったことが印象に残っています。旅先でクライアント企業に立ち寄って営業もしてみたいと話すと、そうしたことも行える可能性はあると、受け止めていただけました。
同時に、私が新人を育てた経験が多いこと、エンジニアとしても経験を積んでいることを評価していただけました。ARMはメンタリティマネジメント事業や健康経営支援事業を展開している会社であり、複数の関連プロダクトを提供している事業会社です。今後、それらの内製化に注力するフェーズに差し掛かっており、新しい人材を迎え入れ、エンジニア部隊を強化していくという話でした。その中で新人を育てた私の経験が活かせると言っていただき、とても好印象を抱きました。

—— その他の選考はいかがでしたか。

Oさん:実は、前述したエンジニア特化の求人サイトから、自分が希望する求人が届き、その会社も面接を進めることにしました。そのことをリーベルの担当者に正直に話すと、「では、当社で進めている他の選考とできるだけ日程を合わせ、複数内定が出た場合に比較できるようにしましょう」と言って、スケジュールを調整してくれたのです。もし、その求人サイトで転職先が決まってしまえば、リーベルのメリットはゼロになってしまいます。それでも、転職者ファーストで動いてくれる姿を見て、より信頼感が増しました。

「働き方」を軸にした転職活動もできる時代に

ARMを含めてリーベルから応募した会社と、求人サイトから応募した会社の選考が調整され、ちょうど同じ時期に結果が出るスケジュールが組まれた。結果はどうなったのか。

—— それぞれの選考の結果はどうでしたか。

Oさん:ARMからは無事内定を得ることができました。一方で、求人サイトから応募した会社は最終面接で受からず、結局、リーベルの担当者が想定した比較する場面は訪れませんでした。しかし、自分としては、転職活動をやり切った感覚があります。仮に、リーベルに遠慮して求人サイトから届いた求人に応募しなかったとしたら、「受けておけば良かった」と、後悔したかもしれません。あるいは、リーベルには告げずに応募していたとしても、何となく後ろめたい気持ちになっていた可能性があります。
あの時、ちゃんとリーベルの担当者に打ち明け、担当者も私にとって最良の調整をし、受からなかったものの、最終的には今自分が行くことができるベストな会社であるARMへの転職を決めることができました。このプロセスに一点の曇りもなく、そんな転職活動に満足しています。

—— 振り返ってみて転職が成功した要因は。

Oさん:まずは転職活動の前に仕事を辞めなかったこと。前回は仕事が決まらなければ生活できない恐怖があって当初は焦燥感に駆られていました。それに対し、今回は決まらなければ現職を続けられる分、心にゆとりがあり、冷静に活動できたと思っています。仕事を辞めて退路を断って行うやり方もあるとは思いますが、私は絶対にお勧めしません。
もう一つは、「旅をしながら仕事をする」という、やりたいことの軸を定めて活動できたことです。他の人にとっては突飛な考えかもしれませんが、私にとっては大事な自分の価値観。それをぶらさずに最後まで活動できたことが功を奏したと考えています。
そして、忘れてはならないのがリーベルの存在です。当然のことながら、リーベルとしては自分の会社の紹介で決めてほしいはずです。けれど、それよりも転職者それぞれにとって「良い転職を」というのが彼らのスタンスだと思います。そのスタンスがあるからこそ、私は転職活動を「やり切る」ことができたのです。

—— 最後に、これから転職を考えようとしている方々にメッセージをお願いします。

Oさん:当初、「旅をしながら仕事をする」という働き方ができる転職先が本当に見つかるのか疑心暗鬼だったことは事実です。しかし、ARMという願ってもない転職先が決まり、「そういうことを希望してもいい時代になったんだ」と改めて実感しています。この人にとってはこの会社、あの人にとってはあの会社と、マッチする会社は人それぞれです。それが私の場合ARMであったということです。皆さんも「こんな会社で働きたい」「こんな働き方をしてみたい」という夢や目標を諦めないでいただければと思います。世の中には無数の会社があり、強い気持ちを持って探せば、きっと自分にぴったりの会社が見つかると思います。

—— 仕事だけでなく、働き方も選べる時代になっているということですね。自由な発想で自分の働き方の軸を決めて探してみるのも新しいアプローチといえます。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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