- プロフィール
- 地方の国立大学を卒業後、外資系大手IT企業のグループ会社に入社。大手損害保険会社のシステムの保守運用、基幹業務システムのMicrosoft Azureへの移行案件に携わる。キャリアとしてクラウドアーキテクトを目指し、転職を決断。リーベルの支援を受け、デロイト トーマツ ウェブサービス(DWS)の内定を獲得。
力を入れたのが資格取得を通じた自己研さんだ。社内で最初にAzureの資格を取った。技術に磨きをかけ、社内外の信頼を掴んでいった。
転機となったのが、クラウド移行案件でアーキテクトと協業し、その仕事のレベルの高さを目の当たりにしたことだ。自分もアーキテクトを目指したい――。思いが募り、転職活動に踏み切った。
当初、転職エージェントに頼らず、個人応募で挑む。だが、結果は全敗。一時的な撤退を余儀なくされた。
その後、再開した転職活動。運命を決めたリーベルとの出会い。この人なら任せられる。支援を依頼するからには「信用しきる」。
何でも相談できる心強い味方を得て、転職活動に弾みがついた。面接に自信を持つことができ、活動の軸もぶれなかった。結果、大本命のデロイト トーマツ ウェブサービス(DWS)から内定を獲得した。
転職活動を成功に導いたリーベルの支援とはどういうものだったのか。本人に詳細を聞いた。
商品としての売りどころを考えて力を発揮
生まれも育ちも北海道。地方の国立大学の商学部に進学し、授業でプログラミングを学び、ホームページ作りなどに楽しさを覚えた。迎えた就職活動。ITに興味を持ち、縁があって外資系大手IT企業のグループ会社への入社が決まった。
—— 就職を機に上京し、社会人生活が始まりました。
Yさん:東京勤務の希望を出しました。一度は東京に出て働いてみたいと思ったこと、クライアントとなる大手企業が東京に集中し、大規模案件や当時台頭し始めていたクラウドサービスの案件にも携われるのではないかと思ったことが主な理由です。最初の業務は大手損害保険会社に常駐し、ドキュメントの修正や追加機能の開発をしたり、障害対応を行ったりすることでした。
—— 新人時代の仕事は順調でしたか。
Yさん:業務でプログラムを書くことは初めての経験だったので、右も左も分からない状況で、戸惑いを覚えたことは事実です。ただ、驚いたのが、そんな新人の私が四苦八苦して書いたプログラムが先輩社員と同等に扱われ、直されることなく上司のレビューを直接受ける業務フローだったことです。その後、クライアントから私に直接修正依頼が来ることもありました。最初は手取り足取り教えてもらうとばかり思っていた自分の甘い意識と上司やクライアントからの要求や期待のギャップを実感し、身が引き締まる思いでした。改めて、自分はある意味“商品”として客先に送り込まれ、金額に見合った価値を出すことが求められていると痛感しました。
—— ギャップを埋めるのに苦労されたかと思います。
Yさん:犯した過ちは書き留めて二度と起こさないようにする。あるいは、昨日より今日、今日より明日という意識で、できることを一つずつ増やしていく、毎年最低でも資格を一つは取ることなどを自分に課し、地道に力を付けていきました。その真面目な取り組みや丁寧な仕事ぶりが評価され、担当する仕事も徐々に広がっていきます。エンジニア業務として新規で数百行、数千行のプログラミングをゼロから作ることを任され、管理業務でも、小規模なチームの責任者となり、クライアントと直接相談し、見積りや作業計画、契約の内容の話もするなど、担当業務は増えていきました。
—— 少しずつ成長を感じられる日々だったのでは。
Yさん:そうですね。特にターニングポイントとなったのは、450台のサーバーで構成されたプライベートクラウドを、パブリッククラウドであるMicrosoft Azureに移行する案件に携わったことです。強く意識したのが、自分の商品としての売りどころです。まずは積極的に自己研さんして、社内で最初にAzureの一番簡単な資格を取得し、以後も上位資格を次々と取っていきました。顧客は資格の数を他社と比較して技術力を確認することがあり、私の取り組みは社内外で評価されました。さらに、前例のない問題に率先して挑み、解決策を捻出するなど自分の強みも発揮。役職も課長職に昇進し、技術面でも管理面でも自己の成長を実感できる日々を送ることができていたのです。
クラウドアーキテクトへの憧れから転職を決意
当初は自分の実力と周囲の期待のギャップに戸惑ったが、日々、地道な努力を重ね、社内外の評価は高まっていった。だが、本人の脳裏には違う思いがよぎっていた。それは「転職」の2文字だった。成長を感じる中、なぜ転職を考え始めたのか。
—— 転職をしようと思い立った経緯は。
Yさん:Azureの移行プロジェクトのメンバーとして参画していたある人物の仕事ぶりを目にしたことがきっかけでした。その方はクラウドアーキテクトというポジションで、技術的に的確な提案を行い、ビジネス面も考慮しながら話を見事にまとめていく姿を目の当たりにしたのです。その瞬間、これこそが私が今後目指したい方向性だと確信しました。早速、クラウドアーキテクトに必要な要件を求人票をもとに調べてみると、各社とも共通して求めていたのが、さまざまな業界で経験を積んでいること。私は、上司に入社以来担当していた大手損保以外の案件に携わりたいと直談判しましたが、異動が実現する可能性はほぼゼロの状況でした。自分の思いを形にするには外に出るしかない――そう考え、転職活動を始めることにしたのです。
—— 活動はどのように進めましたか。
Yさん:当初、着手したのが自力で求人を探し、企業に直接個人応募することです。実際、書類を提出し、複数の企業の面接を受けました。しかし、結果的には全部落ちてしまったのです。理由は、業務経験の見せ方、話し方に対する準備が不足していたことが大きいと思います。同時期に応募した他の候補者がさまざまな業界や企業でクラウドサービスの導入を経験しているのに対し、私の経験は一つのAzureの移行案件のみでした。案件自体は国内でも有数の規模の事例ではあったものの、面接官に対して自分を売り込む準備が当時は足りておらず、それが結果に現れてしまったように思います。その時はいったん撤退した方がよいと判断し、転職活動は休止しました。
—— その後、転職活動を再開するまでに1年間のブランクがありました。
Yさん:敗因を分析したり自己研さんを積んだりしながら、どうすれば万全の準備で臨めるか、試行錯誤を繰り返していました。その中で見えてきたのが、「自分の経験を活かしながらアーキテクトになるために必要な経験を積める」「その後はアーキテクトとして活躍できる」という2つの軸がかなえられる会社に転職すべきだということです。この軸をぶらさずに活動を行えば、きっと良い結果が出るのではないかと考えました。
また、以前と同様のアプローチでは同じ轍を踏む可能性があります。そこで、個人応募の線を残しながらも、頼ったのが転職エージェントです。いくつかの大手転職サイトに登録し、その道のプロフェッショナルとやり取りして、自分の意向に合った求人や有益な情報がもたらされるのを待ちました。
—— 結果はいかがでしたか。
Yさん:さまざまなエージェントから多数の求人が届き、複数の方と面談も行いました。しかし、どれもしっくりこないというか、支援を依頼する意義を見出せないというのが実情でした。皆さん、間違ったことを言っているわけではないのですが、情報は私が調べれば分かるようなことが多く、正直、わざわざ支援を頼まなくてもよいのではないかと思ってしまったのです。
—— そうした中、リーベルの担当者からもスカウトメールが届きました。
Yさん:はい。件名からして、私の職務経歴書を読み込んでいただいているのが分かるもので、中身も定型文ではなく、しっかりと書き込んだものでした。気になって面談をして、結論から言うと、この方にぜひ支援をお願いしたいとその場で思ったのです。理由はいくつかありますが、まず、他のエージェントに比べて話の解像度、リアリティが格段に高かったこと。各社の求人について話をすると、それぞれの会社の代表や人事担当者、現場のことを熟知しており、「この会社の誰それはこういう仕事のスタンス」「実際に仕事ではこういうことが求められる」と、経験に裏打ちされた情報が次から次へと出てきたのです。私が独自に調べた求人に関して「この会社はどうか」を聞くと、突然の質問にも関わらず、「その会社は…」とよどみなく回答が返ってきます。それらは自分では絶対に知り得ない情報であり、この担当者であれば頼りになると直感し、即座に支援を依頼したのです。
気持ちが揺らいだ時、常に支えになってくれる存在
リーベルとの出会いによって、転職活動に一筋の光が見えた。担当者とはどうすれば自分が思うようなキャリアを描けるかを徹底的に話し合った。そして、2人の間で思いを軌道に乗せるための戦略が決まった。その戦略とはどういうものだったのか。
—— リーベルからはどのような支援を受けましたか。
Yさん:最初は、どのような会社のポジションに応募するかを相談することから始めました。クラウドアーキテクトのポジションは経験値が足りず、内定を取得するのはやや困難な状況です。そうした中、互いの議論の中でコンセンサスを得られたのが、今後5年程度はクラウドアーキテクトになるための助走期間と位置づけ、まずはクラウドエンジニアとして案件を数多く経験していくことが先決ということでした。
—— そうした方向性の中で、今回内定を取得したデロイト トーマツ ウェブサービス(DWS)などの求人票もリーベルから提案があったのですね。
Yさん:そうです。それらの候補となる会社の選定の際も、リーベルの担当者から「この会社のこのポジションであれば、Yさんの経験が活きるので内定が出る可能性が高い」と、しっかりと理由付けがなされ、一つひとつ納得した上で進めることができたのは大きかったですね。
—— その他、リーベルからの支援で有用だったことは。
Yさん:ことあるごとに、相談できたことです。例えば、事業会社に書類の段階で落とされることがあり、自分の技術力に関して疑心暗鬼になって相談した時も「専門性が違うためにマッチしなかっただけ」とフォローしてくれたり。もし、すべて落ちてしまったらと弱気になっていた時も「その時はこんな手がある」「そうなったら一から一緒に考えましょう」と寄り添ってくれたり。自分の気持ちが揺らいだ時に、常に支えになってくれたのがリーベルの担当者でした。
—— DWSはどのような面接でしたか。
Yさん:実績や志望理由など一通り聞かれ、事前にリーベルの担当者と模擬面接を念入りに行い準備していたので、問題なく答えることができました。もう一つ、DWSの社風として聞いていたのが、自主的に行動できる人材を求めるということ。そのため、回答の中でも意識して、その点を際立たせるように工夫しました。具体的には、資格を積極的に取得していったこと、業務の中でも設計を行うだけでなく、必要に応じて開発の工程にも自ら携わっていったことなど訴求しています。また、自分の経験値の不足感を補うため、転職活動を始めてからAWS(アマゾン ウェブ サービス)の資格に挑戦し、そのことも積極的にアピールしました。とにかく自ら動く姿勢を全面的に出し、少しでも面接官に興味を持って貰えるように努力していったのです。
—— 最終的にDWSから内定が出て、入社する運びとなりました。DWSは本命だったので、最良の結果を得られたと思います。DWSを本命に位置付けた理由は。
Yさん:技術力と規模感のバランスが自分の考えとマッチしたからです。DWSはAWSに専門性や実績を認定された公式パートナーであり、国内でも屈指の技術力を有しています。一方で、DWSは複数のジャンルでAWSのパートナー認定を持っていますが、例えばセキュリティコンピテンシーパートナーのジャンルでは他の日本企業が数百~数千人規模の企業であるのに対してDWSは数十人の規模であり、少数精鋭のチームの中で、学び合えるイメージがあります。私と同年代(30歳前後)のエンジニアが書いているブログを目にすることがあり、技術の勉強会やイベントも自主的に行っている点にも魅力を感じました。自分が培ってきたAzureの技術で会社に貢献しながら、同社の主戦場であるAWSの経験を同年代と切磋琢磨しながら積むことができる点に将来性を感じ、DWSの一員になりたいと考えました。
重要なのは忌憚のない意見を言い合える関係性
本命視していたDWSの内定を獲得し、転職活動はゴールを迎えた。希望に沿ったキャリアの入り口に立ち、将来への扉を開くことができた。自身が考える転職成功の理由は何か。
—— 最後に今回の転職活動を振り返ってください。
Yさん:転職活動の中で、最初に決めた軸を曲げなかったですし、その結果として希望通りの転職先を決められたことに満足しています。最大のポイントは、迷いや悩みが生じた時に相談できる相手としてリーベルの担当者がそばにいたことです。リーベルと良い出会いができ、依頼するからにはその担当者を信用しきって、最後まで頼りにしました。
通常なら相談しないであろうことも、その担当者には遠慮せずに話しています。リーベルを通さず、個人応募する企業についても、「応募しようと思っているがどう思いますか」と率直に意見を求めました。そんな相談にも、担当者は「わざわざ知らせていただきありがとうございます」と言って、その企業の評価や私とのマッチ度合いを丁寧に教えてくれました。時には自分の心の弱い部分も見せられる存在です。こうして忌憚のない意見を言い合える関係性を転職エージェントと築けたことが、転職活動を最後までやり遂げられた要因だと思っています。
—— では、最後に転職を考えている方にメッセージをお願いします。
Yさん:自身が信頼できそうだと思うエージェントが見つかるまで、妥協せずに探すことが重要です。少しでも違和感を覚えたのであれば、それは縁がなかったということ。中途半端にもやもやしながら支援を依頼するよりは、他に自分に合う人はいないか、貪欲に求めた方が間違いなく転職成功の確率は高くなります。私の場合、それがリーベルだったのですが、皆さんも色々なエージェントに会って、これぞという伴走者を見つけていただければと思います。
—— その方によって、マッチするかどうかは違うと思います。自分にとって「しっくりくる」エージェントを見つけることが鍵になりますね。ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。