- プロフィール
- 有名私立大学の文系学部を卒業し、大手金融機関のグループ会社であるSI(システムインテグレーション)の企業に就職。合併後の旧システムを新システムに統合するプロジェクトを経験。その後、大手金融機関におけるRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)を活用した業務の自動化、BPM(ビジネス・プロセス・マネジメント)システムの構築など、新規事業に次々と参画した。より上流工程で顧客の課題解決に注力したい思いから、転職活動に挑み、PwC Japan有限責任監査法人から内定を取得した。
最初のプロジェクトには5年間在籍し、後半は保守フェーズの追加機能開発で、一つのチームのプロジェクトリーダーも任された。
RPAプロジェクトや、BPM製品を使ったシステム構築プロジェクトなど、新規事業にも携わる。ただ、社内に知見や実績がない中、現場は混乱を極めた。
苦境を打開し、案件を何とかこなしていく日々。だが、頭には一抹の不安がよぎる。今後もRPAとBPMの開発と保守の繰り返しが続くのではないか——。
転職によってキャリアを変える道を探り始め、見えてきたのがコンサルタントへの道。
未経験での挑戦だったが、結果は見事内定獲得。希望する上流のキャリアへ、門戸を開いた。
このような結果がでるまでの軌跡を追った。
新規事業のRPAやBPM案件で悪戦苦闘の日々
世の中の基盤を作る仕事に携わりたい——。その一心で就職活動を行い、ビジネスを動かす要素である「人・物・金・情報」のうち、「金・情報」に関係できる大手金融機関系のSI企業への入社を決めた。文系学部出身で、プログラミング経験はゼロだったが、充実した研修でITスキルの土台を作ることができた。
—— 新卒で入社したSI企業ではどのような仕事をしてきましたか。
Kさん:新人の時から5年間、大手金融機関に常駐して、合併に伴って旧システムを新システムに統合するプロジェクトに長期間携わってきました。マスター情報の画面開発、テストでのトラブル対応チームを経て、保守運用フェーズでは追加機能チームのリーダーも経験しています。要件定義から設計、プログラミング、テストの各工程でリーダーとしてチームをけん引するのが役割でした。
最初からの開発メンバーと、新しくアサインされたメンバーの混成チームでしたので、それぞれの視点から異なった意見が飛び交うというのはプロジェクトチームではよくある光景かもしれません。私は、全体への影響が少ない部分は自動化することを妥協点としてチームの意見をまとめ、最後までやり切ることができました。こうした異なる2つの意見を調整する経験ができたことは、大きな収穫だと思っています。
—— 前職中に心掛けていたことは何ですか。
Kさん:とにかく、資格を取ることです。これは職場の先輩や上司に言われたことがきっかけですが、日々勉強に励み、Java、Oracle Database、情報処理技術者試験(プロジェクトマネージャ、システムアーキテクトなど)などさまざまな資格を取得しました。最終的に資格数は13個に及び、同期の中では多く取った方です。資格の勉強で身に付けた知識を、現場で応用しながら活かすという好循環によって、新しい仕事のキャッチアップも早くできたと思っています。
—— その後、新たな業務に携わることになりました。
Kさん:大手金融機関では世の中の流れもあって本格的なDX(デジタルトランスフォーメーション)に力を入れることになり、RPAを使ってあらゆる業務を自動化するプロジェクトが立ち上がり、そのリーダーの一人にアサインされたのです。RPA化する業務数は、3か月で実に約30件。短期間かつ膨大でした。加えて、初めての取り組みだったため、社内に知見はなく、外部パートナーの協力を得ながら、試行錯誤で進めていかなくてはなりませんでした。
ノルマが先行する中、私を含めてメンバーとリーダーは業務のロボット化を一つずつ開発していきましたが、大変だったのが開発より、むしろリリース後です。ロボットが動かないことが多く、それぞれがトラブル対応しているため、ヘルプも補充できず、非情に厳しい状況が続きました。
—— リーダーとしてどのように対処したのですか。
Kさん:トラブルの原因を突き止め、RPA開発の品質向上に横串で使えるチェックリストを作り、チームやメンバーで共有する取り組みを進めました。こうして進め方の標準化を図ることで、少しずつ品質が改善し、トラブルも減っていったのです。
—— その後、ずっとRPAのプロジェクトを担当されたのですか。
Kさん:他にもスキルを身に付けたいと考え、海外のBPM製品を使った業務プロセス管理システムの構築案件が立ち上がる際、自ら手を挙げて、リーダーとして参画することとなりました。具体的には融資業務や決済業務などの金融機関の組織横断的に行われる業務の標準化を目的としたものです。ただ、課題だったのは、開発側も金融機関のユーザー側も、アジャイル開発に不慣れで、開発途中でユーザー側から次々と要望が出て、それを実装してはまた要望が出るという繰り返しとなってしまい、「プロジェクトが終わらない」という悪循環に陥ってしまったことです。
打開策として、私は要望が必須か、そうでないかで優先順位を付け、プロジェクトは落ち着きを取り戻しましたが、当初から実施すべきアジャイル開発の基本も、途中から修正していくような事態となり、なかなか円滑に進まない状況が続きました。
漠然としていた思いが相談することで具体的に
新規事業で問題や課題が次々と発生した。いずれにも一つひとつ真摯に向き合い、改善策を講じてきた。だが、その後、最難関のプロジェクトが始動し、以前にも増して厳しい局面が訪れる。
—— RPA、BPMと会社にも自分にとってもシビアな案件が続きました。
Kさん:どうにか乗り越えてきましたが、次に立ち上がったのが、従来、培ってきたRPAやBPMの知見やスキルを総動員し、より大規模な標準化システムとして開発、運用するプロジェクトでした。ただ、これが非常に困難な案件となりました。というのも、ユーザー側の意見を吸収してシステム化に活かすことを目標にしていたのですが、大小さまざまな要望が次から次へと出てしまい、プロジェクトのコントロールが効かなくなってしまったのです。しかし、なぜそのようなことが起きたか、この課題を解決するにはどうするべきかを考え、この厳しい局面もなんとか乗り越えることができました。
—— 転職を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか。
Kさん:実は、多くの厳しいプロジェクトを乗り越えるうちに、転職に気持ちが傾き始めていました。理由の一つは、RPAとBPMの開発や保守をこの先もしばらく担当する流れが濃厚であり、同じことの繰り返しよりも、もっと違った視点からクライアントの力になりたい気持ちが芽生えてきたのです。領域を広く持ち、そこでキャリアやスキルの向上を図りたいなと考えました。そして、もう一つはプライベートな理由ですが、子どもが生まれたこと。妻と相談する中で、今後大きくなり、保育園、小学校に通うようになると自由度が狭まり、転職も制約を受けるのではないかと思いました。であるなら、まだ融通が利く今が転職に動くタイミングではないかと考え、可能性を探ってみることにしたのです。
—— 転職の時にどんなことを考えましたか。
Kさん:実は、最初の時点では、行きたい会社、やりたい業種は、私の中で固まっていませんでした。自分の培ってきた技術やキャリアで、どんな転職先が考えられるのか。まずはそれを知りたくて、IT人材のキャリアのプロに相談することにしました。私の思いがまだ漠然としていたため、担当者の方は大変だったのではないかと思いますが、私の学生時代の専門や、入社後に携わってきた仕事、その時の思いなどを相談していくうちに「そのような経歴や思いで仕事をしてきたのであれば、こうした会社や仕事が向いているのではないか」と、候補先を示してもらえたのです。
—— 具体的に教えて下さい。
Kさん:私はこれまでの仕事の経験から、エンジニアだけではプロジェクトを進めるのは難しいと考えており、コンサルタントがユーザーと開発の間に入って、しっかりとした青写真を描くことが重要だと認識していました。その考えを示し、自らがその役割を担えればと思っていると伝えると、「コンサルタントが行くべき道ではないか」と、担当者から提案を受けたのです。
—— 数ある職種の中で、進むべき道が定まりました。
Kさん:続けて、担当者はこうも言いました。「ITコンサルタントは、新しい技術や施策を含め、正しいと思ったことをどんどん前に進めるような“攻めのコンサル”。一方、監査法人は今やっていることが正しいかどうか、継続的に取り組める施策となっているかをしっかりチェックする“守りのコンサル”。どちらがご自分に向いていると思うか」——。自分の仕事を振り返ると、チェックリストを作って検証したり、トラブルがあった時に基本に立ち返り軌道修正したりするなど、一つひとつ確かめながら施策を推進していく思考があり、後者の方が自分に向いていると感じました。こうして、相談を繰り返す中で、自分の転職の方向性を見いだすことができたのです。
監査法人で受けた意外な質問
“守りのコンサル”こそ進むべき道。方向性は定まった。提出するレジュメ、面接の練習も徹底的に行い、転職活動への準備は万事整った。いざ挑んだ面接、果たして結果はいかに。
—— どのような会社を受けることになりましたか。
Kさん:リスクコンサルタントという職種で2社、そして、リスクアドバイザリー業務でPwC Japan有限責任監査法人に応募し、面接に臨むことになりました。PwC Japan有限責任監査法人の面接で印象的だったのは、「システム開発のことをどこまで知っているか」を問う基本的な質問が多かったことです。例えば、「ウォーターフォール型とアジャイル型の開発の違いは?」など。他にもインフラや言語に関する基礎を問う質問を受けました。
—— 実にシンプルな質問です。
Kさん:それだけに、通り一遍の回答では相手の興味や関心を呼ぶことはできず、工夫が必要です。私はウォーターフォールやアジャイルに関しては経験があったので、そのことを交えて具体的に回答。また、インフラでは、クラウドのセキュリティに関する質問があり、経験が無い分野でしたが、初心者用eラーニングを受けるなど自主的に勉強したことを伝え、その知識の範囲内で、できる限り答える努力をしました。
—— 経験だけでなく、学習による基礎知識があるかどうかを問うような質問です。
Kさん:実際、アドバイザリー業務では、顧客の課題に対して、ITの新しいトピックなどを調べて解決策を提案する場面が多いと聞いています。その際、基礎知識があれば、どこをどう調べるかの勘所が分かり、キャッチアップも早まるでしょう。同時に、学習する意欲が高いかどうかもコンサルタントとして重要な要素であり、その辺りを確認していたように思えます。その意味で、私が多くの資格を取得していることも、アピールポイントになったと考えています。
—— PwC Japan有限責任監査法人の面接は3回あり、最終的に内定を獲得することができました。
Kさん:前職で入社から5年間にわたり、大規模なシステム開発を経験したこと、さらに、RPA、BPMなど新しい技術を使った開発も経験していることが、決め手になったように思います。また、ベースとしてさまざまなITトピックの基礎知識があり、新しい技術をキャッチアップしようとする姿勢があることも、評価の対象となったと感じました。コンサルタントの経験は無くとも、そうした素地がしっかりしていれば、今後の成長が見込めると感じてもらえたのかもしれません。
もやもやと悩みを抱えず、まずは第三者に相談してみる
PwC Japan有限責任監査法人から内定を取得し、キャリアアップに成功した。改めて転職活動を振り返り、うまくいったポイントをどう考えるか。前職の案件も多忙を極める中、面接も並行して行えた理由も含めて、最後に聞いてみた。
—— 転職活動の時期は、ちょうど前職でシビアな案件を抱えている真っ最中で、面接を受ける時間を取ることも難しかったのでは。
Kさん:確かにその通りです。PwC Japan有限責任監査法人の面接も3週間に1回、1か月に1回など飛び飛びになってしまいました。相手の企業側からすると、それほど選考が遅れてしまうのであれば、他の方を採用するという気持ちになってもおかしくない状況だったかもしれません。それでも、私の日程に合わせていただけたので感謝しています。
—— 今回は初めての転職活動を31歳で行いました。キャリアチェンジの時期として適切だったと思いますか。
Kさん:思い返せば、もっと若い時に動くチャンスもあったかもしれません。というのも、若手時代に転職が頭をよぎったことがあったからです。当時、ウォーターフォール型の旧来の開発手法で、技術的にも先端と言えるものが少なく、親会社からの受託開発が中心のため、繁閑の波があることにも課題感を覚えていました。同じ時間で、もっと新しいことにチャレンジしたり、自分が成長できたりする職場があるのではないかと、焦りも感じていたのです。結局、RPAなど新規事業にアサインされ、多忙を極めてしまったため、しばらく転職からは遠ざかってしまいました。
—— 今思えば、その時に動くのも一つの道だったと。
Kさん:結果的に転職をしなくても、キャリアについて知見と深い考えを持つ第三者に意見を聞くことくらいは、しても良かったのではないかと思っています。そうすることで、自分の考えやIT業界での立ち位置、人材としての価値を整理でき、現状で良いのか、新たな職場に移るべきかを、客観的な意見を踏まえて検討できるからです。私はそれをせず、もやもやと悩みを抱えたまま、その後を過ごしてしまったことに、今では少し後悔しています。もちろん、その後のRPAなどの経験は成長につながった部分もあります。ですが、その若手の時に相談していれば、また別の展開もあったことでしょう。
今の仕事で悩み出した、転職のことをふと考え始めたという状況であれば、まずは動いてみるのも良いでしょう。
—— 一人では答えが出せないことも、第三者の意見があると、判断の一助になります。自分はどういうことができて、どういうことが苦手なのかも分かり、その後のキャリア設計にはプラスとなるでしょう。肝心なのは、悩みをそのまま放置せず、まずは動くこと。ご自分の経験を踏まえたアドバイスをありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。