転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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株式会社野村総合研究所(NRI)

Y.Kさん

二次請けSIerからコンサルティングファームに転職
その後、再転職で大手SIerに移ったわけとは

プロフィール
都内有名私立大学で日本古代史を専攻。卒業後、大手SIerの開発を受託する子会社に入社。公共系システムの開発、保守・運用に従事し、SEとして実作業のスキルを磨いた。その後、転職活動を経て、大手コンサルティングファームのコンサルタントに転身。官公庁のシステムの企画や調達支援、プロジェクト管理に携わる。今回、リーベルの支援を受け、再転職に挑み、野村総合研究所に入社。
手に職を付けたくて就職した中堅SIer。親会社の大手SIerの受託案件に携わり、設計からプログラムソースを書き、テストをする工程を何度も経験した。
上流工程の経験を求め、26歳で果たした一度目の転職。一足飛びに大手コンサルティングファームのコンサルタントに転身した。
従来とは全く異なり、システムを企画し、要件定義をして大手SIerを管理しながらプロジェクトを推進する立場となった。そうした“超上流”の仕事にやりがいを覚えた。
だが、果たして自分がこの先コンサルタントとして、上を目指していけるのだろうか。胸に去来する一抹の不安と疑問。自分がやりたいのは、管理ではなく、実際にシステムを作ること——。
再度、転職を試みて、今回プライムベンダーである野村総合研究所への内定を獲得した。
二次請けから超上流、そしてプライムベンダーへ。こんなキャリアの作り方もある。20代を疾走した一人のエンジニアの成長の軌跡を追った。

ファーストキャリアは実作業で力を付ける

就職先は、あえてプログラムの実作業が多そうな、二次請けのSIerを選んだ。キャリアの足掛かりとして、力を付けるのに好都合だと考えたからだ。実際、入社後に待っていたのは、来る日も来る日も、設計、プログラミング、テストを回す毎日だった。

—— 日本史の研究をしていた学生が、就職では中堅SIerを選びました。

Kさん:元々パソコンが好きで、IT業界を選んだのは自然な流れでした。SEなら手に職が付けられることも動機の一つです。その中でも、あえて二次請けの中堅SIerを選んだのは、数多くのプログラミングを経験できると思ったからです。実際、入社すると、親会社である大手SIerが受注した公共系システムの案件を、二次請けとして担当するプロジェクトにアサインされました。

—— 具体的にどのような仕事でしたか。

Kさん:自動車業界に関係するシステムです。最初の半年はシステムのリプレイスに試験工程から参画し、その後はずっとそのシステムの保守・運用に携わりました。リプレイスでは、バグが次から次へと出て、その改修に追われる日々でした。入社時、私はプログラミングが未経験。一方で、同期には情報系の大学院を出ている人もいて、当初は大きく差を付けられていました。私は、その人たちに追い付き、追い越せの気持ちで毎日必死に勉強。バグの改修でも、設計書を直し、プログラミングを修正する作業を、繰り返し、根気よく続けました。
また、リプレイスが終わった後も、引き続きそのシステムの保守・運用を担当。そこでも機能追加などを行うため、設計し、プログラムソースを書き、テストを行う工程を何度となく経験しました。こうして小さいながらもシステムの開発、保守・運用を経験し、最初のキャリアで、エンジニアとしての力を付けることができたのです。

—— 4年目に入って転職を決断しています。理由を教えて下さい。

Kさん:シンプルに言えば、もっと上流の仕事を経験してみたかったからです。それに、このままその二次請けの会社にいても、上のポジションは詰まっており、良いキャリアが期待できない状況でした。さらに、私の大学時代や高校時代の友人が、二次請けの会社から著名なコンサルティングファームへの転職に成功しており、自分にもチャンスがあるのではないかと思ったことも理由の一つです。当時は景気が良かったこともあり、私は転職活動を経て、運良く大手のコンサルティングファームから内定を得ることができたのです。

大手コンサルティングファームで“超上流”の仕事を経験

二次請けのSIerから大手コンサルティングファームへと転身に成功した。携わるプロジェクトは従来とは打って変わって、システムの調達支援や要件定義など“超上流”。だが、当初はコンサルタントの仕事に慣れず、上司から厳しい言葉も浴びせられた。

—— 大手コンサルティングファームでの仕事をこなすのに、最初は苦労されたのではないでしょうか。

Kさん:携わったのは、公共系システムでジャンルは一緒ですが、工程は、システムの調達支援で、いわば超上流。「システムを更新したい」「新たにシステムを作りたい」という官公庁の要望に対し、どんなシステムが必要か、どのようなスペックでどういう処理ができて、何人くらいが使うものを、いつまでに作るか、など仕様やスケジュールをまとめるのが仕事です。それを競争入札にかけ、その後は選ばれた大手ベンダーの開発をPMOとして管理するのが役割となります。前職とは全く違う頭の使い方、立ち回り方が求められ、当初はそれができずに「それではコンサルの仕事とは言えない」と上司から数多くの叱責を受けました。

—— ポイントでいうと、どの辺が異なっていたのですか。

Kさん:前職の二次請けのSIerでは、各フェーズでどんな作業をして、どんな成果物を作成するのかも、全てプロジェクトのルールで決まっており、私はそれに従って作業をするだけでした。しかし、コンサルタントは、そもそも、その何をどう進めるのかを最も上の工程で決めるのが仕事。進め方も作るものも自分の頭で考えて、この局面では何をすべきかをひねり出し、クライアントに提案してプロジェクトを進めていかねばならないわけです。最初はSEの感覚から脱しきれず、この「自分で考えて、判断して、提案・実行する」仕事をキャッチアップするのに大分苦労しました。

—— しかし、それでも何とか身に付けた。

Kさん:そうです。上司から何度も厳しい言葉を突き付けられましたが、めげずに、言われたことを自分の中に落とし込み、日々自己研さんに努めました。関係する書籍も読み、顧客への話し方、プレゼンテーション力も高めていきました。こうした人にうまく説明したり、どうすれば効果的に伝えられるかといったスキルは、エンジニア時代には全く培うことができなかったもの。そういったビジネスパーソンとしてのスキルを伸ばせたことも、コンサルタントになって自分が成長できたポイントです。結果、数か月後にはコンサルタントとしてのマインドや仕事のやり方を一通り身に付けることができ、その後はプロジェクトを円滑に進められるようになったのです。

—— 逆にエンジニア時代のスキルが役に立ったことはありましたか。

Kさん:それが結構あったのです。例えば、システムを構築するベンダーが決まった後、ベンダーが作成した設計書のクライアントレビューを支援するのもコンサルタントの仕事ですが、私はそれが得意でした。エンジニア時代にバグの改修を何度となく経験し、設計書のどこにミスがあると問題が発生するか、その勘所が養われていたからです。

—— コンサルタントとして、実に見事にキャリアチェンジを成し遂げました。

Kさん:自分の頭で考えて、顧客の要望がかなうようなゴールを設定し、それにたどり着く筋道を構築して、実行していく。仮説が間違っていることが分かれば、また考えて修正して実行していく。そうやってゼロからPDCAを回すことは大変つらい作業ですが、成し遂げた時の達成感は非常に大きいものがあり、とてもやりがいのある仕事でした。案件も大規模なものばかりで、これほどの大きなプロジェクトを自分が動かし、「世の中の新しい仕組みを自分たちが作っている」と実感できることも醍醐味でした。コンサルタントになって、自分の成長スピードは確実に加速したと思っています。

面接官に響くのは上流工程の経験ではない

大手コンサルティングファームで働き、充実した日々を送った。だが、転職して2年の月日が経つ頃、このままキャリアを積んでいくことに違和感を覚えるようになる。胸に去来した思いとはどのようなものだったのか。

—— コンサルタントとして実績を積み、これからという時に再度転職を考えるようになりました。なぜでしょう。

Kさん:コンサルタントは、“up or out”(昇進するか、辞めるか)と言われるように、上に上がれなければ退社も辞さない覚悟で続ける厳しい世界です。そうした世界で、日々シビアな案件を抱えながら、この先、シニアコンサル、マネージャー、シニアマネージャーと昇進していくことが果たして自分の進むべき道か。そう、今一度立ち止まって考えたのが、転職に至る最初のきっかけです。そして、もう一つが、再びものづくりをやってみたくなったこと。コンサルタントはプロジェクトのとりまとめや管理がメインであり、実際にシステムの内容を考えていくのはプライムベンダーの仕事です。二次請けではなく、今度は一次請けの会社に行って、システム開発に携わりたい。そんな思いが日増しに強くなり、転職を考えるようになったのです。

—— どのように転職活動を進めましたか。

Kさん:実は当初、大手のSIerに直接応募し、面接を受けました。一度、転職を経験しているので、自分一人でもできると思ったからです。しかし、それは大きな間違いでした。そのSIerでは面接で落とされてしまったのです。そこで、これは転職エージェントの力を借りるしかないと考え、数ある会社の中からリーベルの支援を受け、再度転職活動に挑むことにしたのです。

—— リーベルで有用だと感じた支援はありますか。

Kさん:職務経歴書など書類の添削を受け、ブラッシュアップできたことです。指導されて書類を直したことは、その後の面接でも奏功し、これこそが今回の転職が上手くいった要因の一つだと考えています。特に有益だったのが、自分が行ってきた仕事の書き方です。自己流で作った時点では、主にコンサルタント時代の実績を書き、その前の二次請けのエンジニア時代のことはほとんど触れませんでした。自分の中でコンサルタントとしての実績の方が見栄えが良く、アップデートされた自分をアピールする方が得策だと考えたからです。
しかし、リーベルの担当者は「それでは不十分」と指摘。「エンジニア時代に開発を多く経験したから、コンサルからSIに戻っても即戦力として働けることを訴求すべき」と異なる視点で、改善を促してくれたのです。その方が、今から応募する大手SIerの受けが良く、必ずアピールにつながると助言をもらい、私は目から鱗が落ちる思いで、書類を作り直しました。

—— 実際、大手SIerの面接を受けた時はどうでしたか。

Kさん:待っていたのは、リーベルの担当者の言った通りの展開でした。面接ではコンサルタントの実績よりも、エンジニア時代の技術者としての実績や経験を厚めに聞かれることが多く、しっかりと棚卸しをして臨んで、本当に良かったと思いました。準備なしで急に聞かれたら、おそらく答えられなかったでしょう。特に野村総合研究所(NRI)では、技術面の訴求に注力するようにリーベルの担当者から言われていたため、コンサルタント時代にも設計書のレビューの際にエンジニアとしての経験が役立ったことも含め、しっかりとアピール。それが面接官の心を捉え、内定につながったのだと考えています。

—— 最終的に大手SIer2社の内定を獲得しました。NRIの方を選んだ理由は何でしょう。

Kさん:NRIの面接官がとても優秀な方であることが話していてわかり、こういう人たちと一緒に働いて自分自身の成長につなげたいと思ったことが一つ。もう一つが、配属先が官公庁だけでなく、民間企業の案件も扱っており、私が未経験だった民間企業のシステム開発にも携わるチャンスがあることです。また、NRIではより上流工程の仕事が多く、自分のコンサルタント時代のノウハウが活かせそうな点も、選択の理由でした。

若いうちは“幅だしできる転職”に挑む

NRIへの転職を成し遂げ、再びシステムの作る世界に戻ってきた。一般的なキャリアアップとは異なるステップを踏んだが、自分がやりたい仕事に就くことができた。20代で2回の転職を経験し、望み通りの成長が実現した理由は何だろうか。

—— キャリアは二次請けから始まり、今はプライムベンダーへの転職に成功しています。キャリアアップが上手くいった理由をどう考えますか。

Kさん:まず、若いうちの挑戦として“幅出しができる転職”を意識したこと。つまり、自分がやってきたことに軸足を置きつつ、スキルが大幅にストレッチするような会社を転職先に選んだことが、功を奏したと思っています。二次請けから転職を図るなら、次はプライムベンダーに行って、それからコンサルティングファームというのが一般的な考え方でしょう。しかし、私の場合は、思い切って二次請けからコンサルに行くことを決断しました。そこでエンジニアとは全く異なるスキルが身に付き、ビジネスパーソンとしても一皮むけたと思っています。

—— 飛び級のような形でコンサルに行ったのが良かったと。

Kさん:そうですね。通常の考えで二次請けから一次請けに行っていたら、自分の成長曲線は鈍ったかもしれません。コンサルに行くことで、一気に力を伸ばすことができ、成長のスピードが上がったと考えています。コンサルで身に付いた最上流のノウハウは、プライムベンダーに行っても活かすことができ、良い仕事ぶりにつながるのではないかと期待しています。

—— 今回の転職の進め方で勝因はありますか。

Kさん:過去の経験をしっかりと棚卸しして、どこが応募した会社でアピールになるのかを、リーベルの担当者と一緒になって突き詰められたことでしょう。実は、もともと私は面接に苦手意識がありました。しかし、担当者と何度もメールを往復する中で訴求ポイントや想定問答を作ることができ、万全の用意をしたおかげで、面接では迷いなく、自信を持って答えることができたのです。一人で挑んでいたら、自信を持てず、恐る恐る答えて失敗するような事態もあったかもしれません。

—— 面接では、相手の会社にどこが響くか、アピールポイントを事前にしっかり準備して臨むことが成功の秘訣ですね。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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