転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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SBテクノロジー株式会社(SBT)

A.Uさん

下請けのどん底から自分を磨いて這い上がり、キャリアアップに成功
未経験のパブリッククラウドの仕事で内定を獲得した勝因とは?

プロフィール
地方の情報系専門学校を卒業後、上京して中小のソフトウェア開発会社に入社。ソフト開発のメインの会社で数少ないインフラ構築案件を担当。その後、インフラエンジニアとしてのキャリアを深めるため、インフラ構築を主事業とする中小IT会社に転職。金融系のインフラ構築案件に従事し、知識や技術、リーダーの素養を身に付ける。さらに、パブリッククラウドの経験を積むため、再度の転職を決意。SBテクノロジー株式会社の内定を得て入社を果たした。
新卒で入社した会社で、自身で手を挙げて担当したインフラ構築の仕事。案件を重ねる中、興味が深まり、インフラエンジニアとしてキャリアを重ねようと決心した。
その後、インフラ構築に強い中小IT会社に転職。しかし、待っていたのは大手銀行のインフラ構築プロジェクト。自分の知識や技術はまるで歯が立たなかった。
毎日のように叱責を受けた。だが、あきらめなかった。独学し、不明点はクライアントにまで聞いてギャップを埋めていった。
結果、飛躍的に力を伸ばし、誰もが認める実力派のインフラエンジニアに。そして、さらなる成長のため、パブリッククラウドの経験の必要性を痛感。
近年、パブリッククラウド事業に力を入れるSBテクノロジー株式会社に新たな活躍の舞台を求め、転職した。
一度は自分の実力不足を思い知り、どん底を味わったエンジニアはどのように這い上がり、自身のキャリアアップの道を切り開いたのか。その軌跡を本人の言葉で辿った。

最初の転職で味わった実力不足と大いなる挫折

将来の就職のためにIT技術を身に付けようと情報系の専門学校に入学した時から、卒業後は東京で働くことを決めていた。新卒で入社したのは従業員100名ほどのソフトウェア開発会社だった。

—— 上京して入社したのは中小のソフトウェア開発会社でした。

Uさん:エンジニアの95%がアプリケーション開発に従事している会社でしたが、入社から一年後に非常にレアなケースでインフラ構築の案件が舞い込み、社内で担当者が募られました。他の社員は畑違いのインフラ構築に不安を覚え、誰も名乗り出ません。その中で新しいことに挑戦したい思いが強い私だけ、手を挙げてアサインされることになったのです。案件は大手システム会社がプライムで受注した官公庁向けの監視システムの構築や更改、Active Directoryの構築など。思えば、これが私のインフラエンジニアとしてキャリアを積んでいく最初の一歩になったのです。

—— インフラの構築に興味を持った理由は何でしょうか。

Uさん:昔であれば、単にサーバーを立てて、オペレーティングシステムを入れるのがインフラの仕事。しかし、今の業務は全く異なり、運用設計やメンテナンスを考えて構築したり、設計の段階でアプリケーション部隊とも話し合い、アプリでフォローできない部分を基盤に組み込むなど、守備範囲は多岐にわたります。知識を得て、経験を積み、そうした今どきのインフラの青写真を描いて実装するのが、とても面白く思えてきたのが、私がのめり込んでいった要因です。

—— しかし、その後に最初の転職をすることになります。

Uさん:インフラの案件が終わってしまい、次にアサインされたのはヘルプデスク。会社側にインフラのプロジェクトを担当したいと願い出たのですが、案件自体がなく、難しい状況でした。このままインフラ以外の仕事を続けるのは、私が思い描くキャリアパスとは違う。当時、まだ25歳の若さでしたが、転職を決心し、インフラ構築の仕事が事業の半分を占める中小のIT会社に移ることにしたのです。

—— インフラエンジニアとしての新たなキャリアが始まりました。思うように仕事はできましたか?

Uさん:アサインされたのは大手銀行向けの管理サーバーの維持運用。ですが、当時持っていた自分の知識や技術があまりに貧弱で、全く太刀打ちできなかったのです。思い返せば、それまでの私のインフラ構築の経験は知っていて当たり前の基礎知識程度。それに対し、その銀行の案件のメンバーは知識も技術も非常にレベルが高い。大きなギャップがあるのは当然のことでした。
それは、毎日地獄のような日々でした。何せ、周りの言っていることが全く理解できないのですから。リーダーから指示された仕事は期日に間に合わず、できないことを叱責され、次の仕事もできずにまた叱責される。そんな毎日を送り、まさにどん底を味わったというのが正直なところです。

自分の甘さと決別し、仕事に食らいつく

自分の知識と技術が足らず、焦りと不安にさいなまれた日々。しかし、そこであきらめてドロップアウトする選択はなかった。Uさんは必死に食らいつき、少しずつ自身のレベルアップを図っていく。

—— 周りについていけず、ドロップアウトしてしまうエンジニアもいると思います。

Uさん:確かに引き下がってしまう人もいるでしょう。けれども、当時の私は25歳にして業界で通用する技術が何も身に付いていないことに焦りを感じ、今までの甘えを反省して、自分を叩き直そうと決心。また、元々前向きで、いくら怒られても一晩寝れば治る性格も功を奏し、とにかくわからないことは技術書を買って日々勉強し、不明点は現場の先輩に聞いたり、時にはクライアントの担当者に直接聞いたりして、足りない部分を埋めていったのです。そうして食らいついていった結果、何とかキャッチアップして、少しずつ力を付けていくことができました。

—— 厳しい状況をむしろ成長の糧と捉え、立ち向かうことで自身を磨いていったのですね。

Uさん:その後もチャレンジングなプロジェクトが続きます。特に信託銀行の案件は、大規模なプロジェクトにも関わらず、インフラ担当が私と先輩の二人だけ。その割にサーバー10台、クライアント50台の環境を作ったり、海外とつなげるActive Directoryを構築するなど、重量級の作業が目白押しでした。その中で、顧客にヒアリングして、設計書を書き、自分で手を動かしてプログラムを作って、テスト、リリースまで一気通貫の作業を繰り返し行っていったのです。残業もしましたし、苦しい場面も数多く経験しましたが、これが自分にとっての飛躍的な成長につながりました。インフラ構築のプロセスはこうするべきという自分なりのセオリーが身に付いたことが大きかったと思います。

—— それからも様々なインフラ構築を経験されました。

Uさん:大手証券会社向けのリスク関連データシステムの運用に始まり、デリバティブ取引システムの災害対策、リスク管理分析システムの新規構築など、複数のリスク系のインフラ構築を担当。10人のプロジェクトリーダー、次は20人のプロジェクトリーダーと、ステップアップして管理側の経験も積むことができ、顧客や社内の信頼や評価もゆるぎないものになっていきました。自信を持って「私はインフラエンジニアである」と言えるようになったのも、ちょうどこの頃だったと思います。

—— まさに順風満帆の状況。それにも関わらず、再度、転職を決心されています。きっかけは何ですか?

Uさん:それまでの基本設計からではなく、もっと上流の基礎検討の段階からコンサルタントのような立場で参画してほしいと、プライム企業が私に依頼。その際、オンプレミスだけでなく、パブリッククラウドも検討材料に入れるようにと指示されたのです。私はパブリッククラウドの経験はゼロ。戸惑いながらも勉強して、様々な提案をプライムと顧客にぶつけていきました。ただ、その時にパブリッククラウドのことを学んだのが転機でした。予想外に面白く、自分でも本格的に仕事として取り組んでみたいと思い始めたのです。当時の会社はパブリッククラウドの扱いは少なく、キャリアを積むには不十分。そこで、活躍できる舞台を求めて、転職する決意を固めたのです。

一気通貫の経験と学ぶ姿勢がマイナス面をカバーする

転職サイトに登録し、複数の人材紹介会社からスカウトメールを受け取ったUさん。その中で文面に熱意を感じ。実際に面談に臨んだ一社がリーベルだった。Uさんは、パブリッククラウドの経験を積みたい思いを、リーベルのコンサルタントに伝えた。

—— リーベルとの面談で話した内容を教えてください。

Uさん:まず、パブリッククラウドを学び、実績を積みたい理由をしっかりと伝えました。パブリッククラウドはサービスとして使う点から、従来のインフラとは全く思想が異なります。新機能がコンスタントに実装されたり、イニシャルコストが物凄く下がったり、ランニングコストもうまく設定すれば安く済ませることが可能。そして、サービスであるため、大雑把に言えば、メニューから選択するだけでサーバーを立ち上げることができるのが大きなポイント。この点に、私は従来のインフラエンジニアの仕事はなくなってしまうのではないかと大きな衝撃を受けたのです。
もちろん、ネットワーク回りの知識や経験はある程度必要。ですが、昔ながらのインフラエンジニアは通用しなくなり、パブリッククラウドの知識と経験がなければ生き残ることはできないのではないか。私はそうした危機感と共に、情報を得たり、勉強する中で、特にMicrosoft Azureに興味を抱いたことをリーベルのコンサルタントに伝え、適切な転職先の紹介を依頼したのです。

—— リーベルはどのような求人案件を紹介してくれましたか?

Uさん:早速9社ほど、パブリッククラウドに注力している企業の求人をピックアップ。その中には、Microsoft Azureを使ってパブリッククラウドサービスに強いSBテクノロジー株式会社(SBT)の求人もありました。そこから企業を選定し、SBTを含めて応募した大半の企業の書類選考をクリアし、幸先の良いスタートを切ることができたのです。

—— SBTの面接はどのように進みましたか?

Uさん:一次面接では、今までのインフラエンジニアとしての実績に注目が集まりました。パブリッククラウドとはいえ、インフラの知識がなければ導入はできません、その点、私は設計からリリースまで一気通貫の経験があり、パブリッククラウドの一定の知識を習得した後は、安心して案件を任せられると面接官から評価されたのです。
そして、もう一つ評価されたことが勉強する意欲。私はMicrosoft AzureやAWSを仕事で使った経験こそなかったものの、自分の知識不足を埋めようと、それぞれアカウントを取得。自宅のPCでサーバーを立ててコンテンツを載せてみるなど、日々研究を試みていたのです。そのことを伝えると、できることからやってみて検証する姿勢は、エンジニア気質があって、非常に好感が持てるとフィードバックを受けました。

—— 実績と学ぶ意欲が、パブリッククラウドの経験がないマイナス面をカバーしたわけですね。

Uさん:SBTからは二次面接が終わった後、すぐに内定を伝えられました。しかし、その後も数多くの大規模案件を抱える大手企業、金融系に強くパブリッククラウドにも力を入れている企業の2社から内定を取得。大手で大規模案件を経験するのか、私の今までの知識が活きる金融系で働くのか、あるいはSBTに行くのか、正直迷った部分もあります。しかし、最終的には自分の当初の思いに立ち返りました。そもそも私はMicrosoft Azureの経験を積みたくて転職しようと思ったのではないか——。その原点が頭をよぎった瞬間、私の中の迷いは消え、SBTへの転職を決めたのです。

常に前向きに生きることがキャリアアップにつながる

SBTへの入社で、待望のパブリッククラウドの仕事を得ることがかなった。インフラエンジニアとして、常に上昇志向を失うことなく、キャリアを突き進んできたUさんが、最後に転職成功の理由を語った。

—— 今回、ご自身の思いをかなえる転職を成功させました。その要因は何でしょう?

Uさん:一つは自分の実績に自信を持っていたことです。新人時代や最初の転職の当初は自信のかけらもありませんでした。ですが、毎日コツコツと勉強し、知識を徐々に深めていく中で、実績も出せるようになり、さらに勉強を重ねて実績を積み上げていく好循環のキャリアを歩むことができ、いつしか自信を得ることにつながったのです。
もう一つは、リーベルが私の意欲、やりたいこと、性格を考慮した上で適切な求人案件を紹介してくれたこと。候補先の提案に違和感を覚えたことはなかったですし、書類選考もほぼ通り、複数の内定を取得できたのは、それだけマッチングが良かったからだと思います。SBTという最適な転職先にたどり着けて、今はとても満足しています。

—— 最後にこれから転職に挑む方々にメッセージを。

Uさん:キャリアアップで失敗することもあると思います。あるいは転職してこんなはずではなかったと思うことも。しかし、キャリアは失敗や挫折を味わってからが勝負です。今までの仕事が中途半端だと感じたら、その時点から仕事に食らいつき、一つひとつ実績を積んでいけばいいですし、転職に失敗したと思ったら、自分に足りない部分を埋めてから、再度転職にトライすればいい。そうやって常に前向きに生きていくことこそが、キャリアアップにつながる道ではないでしょうか。企業側もそんな人材を求めているのだと、個人的には感じています。

—— 逆境でもあきらめず、いつも前向きに仕事に立ち向かっていったUさんらしいアドバイスです。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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