- プロフィール
- 明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、2年間の音楽活動を経て、第二新卒として中堅システム開発会社に入社。主に公営競技の特殊なシステム開発を経験する。7年余り勤めた後に退職し、退路を断って転職活動に集中。第一希望のPwC Japan有限責任監査法人の内定を勝ち得た。
周回遅れであることは重々承知。常に問題意識を持ち、自分の頭で考えて仕事に取り組んだ。
毎朝出社前には資格取得のための勉強をルーチン化し、社内で最も多くのエンジニア関連資格を手にした。
しかし、運用保守に携わった時、自分の作ったシステムが現場で役立っていないことを目の当たりにし、胸を締め付けた虚無感と悔しさ。
もうこんな思いは二度としたくない。他のエンジニアにもさせたくない。それには最上流を変えていくしかない——。
実績とスキルに加え、その熱い想いが通じ、PwC Japan有限責任監査法人のコンサルタントへの道を掴んだ。
コンサルタント未経験のエンジニアがなぜ内定を獲得できたのか、その理由に迫った。
遅れてきたエンジニア
一浪して大学入学を果たし、卒業後にバンドのギタリストとして音楽活動に心血を注いだ。しかし、夢だったメジャーデビューがかなわず、IT業界のエンジニアになった。なぜ音楽活動を辞め、なぜIT業界の道を選んだのか。
—— IT業界で働く前はバンドのギタリストとして活動していた異色の経歴をお持ちですね。
Mさん:仲間とメジャーデビューを夢見て、下北沢のライブハウスなどで週1回ライブを開く活動を2年間続けました。それなりにファンも付き、インディーズレーベルでCDも出しましたが、元々2年間やって芽が出なかったら活動を辞めようと決めていました。その2年の期限が来たので、スパッと辞めたわけです。
—— なぜIT業界で働こうと思ったのですか?
Mさん:音楽業界に身を置く中、若い世代がネットの動画でプロモーションビデオやライブ映像を見たり、楽曲を聞いたりするなど、音楽の視聴スタイルがIT抜きには語れないことを間近で感じてきたからです。これからはITの技術を知り、スキルを身に付けることが、仕事を続けていく上で有利になると直感しました。私は一浪して、卒業後2年間音楽活動をしたため、25歳で就職することになります。その条件でも受け入れてくれる会社を電話で探して入社できたのが、従業員500人程度の中堅システム開発会社でした。
—— そのシステム開発会社ではどのような案件を?
Mさん:主に公営競技(競輪など)のシステム開発という特殊な案件に携わりました。その会社で花形の案件と言えば金融関係。しかし、私は他人より3年遅れて社会人になっており、与えられた仕事を懸命にこなし、必死で追いつくことしか考えませんでした。テストの担当になった時は、より効率的な進め方を考えましたし、後から新人が入って来た時に役立つように自ら進んでマニュアル作りにも力を入れました。チームリーダーになった時はメンバーの知識と経験が引き出せるように、仕事がしやすい環境作りに注力。自分のチーム以外のシステムも自主的に学び、プロジェクトの成功に尽力しました。言われたことだけでなく、常に自分の頭で考え、プラスアルファで何ができるかを模索して実行する日々でした。
—— 職務経歴書を見ると、取得資格の数がとても多いことが目につきます。エンベデッドシステムスペシャリスト、プロジェクトマネージャ、システムアーキテクト、システム監査技術者など、合計12の資格を手にしていますね。
Mさん:資格取得の数では社内で1番多かったと思います。入社以来半年に1つの資格を取っていくことを自分に課し、約3分の2は一発合格で取得しました。仕事は9時に始まり、時期によっては夜遅くまで残業することも多い忙しい職場。その中で、毎朝5時半に起き、職場近くのカフェに7時に行き、1時間半勉強してから出社するのをルーチンとして7年間ほぼ毎日続けました。資格を取ることは世の中の技術のスタンダードを知る上でもとても役に立ったと思います。
我流の転職活動は“ハイリスク・ハイリターン”
入社2年目にチームサブリーダー、3年目からはチームリーダーを任されるようになったが、ある案件で運用保守を経験した時に、自分の仕事に疑問を感じるようになる。それが転職活動に一歩を踏み出すきっかけにもなった。
—— 毎日の仕事、資格の取得などで充実した日々だったかと思いますが、なぜ転職を思い立ったのですか?
Mさん:自分が開発したシステムの運用保守の案件に携わっている時、実際に現場の方々が使っている姿を見たり、使い心地を聞いたりする機会がありました。しかし、聞こえてきたのは耳の痛い話ばかり。ボタンの位置が変わって使いづらい、使っていた機能がなくなった、いらない機能が増えた…。私は要件を忠実にシステム化し、納得がいく仕事をしたつもりでしたが、それが実は現場であまり役に立ってなかったどころか、不便さも招いていた。これには痛烈な虚無感を覚えました。同時に、こんな悲しい想いを二度としたくないし、他のエンジニアにもさせたくないと。それには、最上流の企画段階を変えていくしかないと思い、ITコンサルタントへの転職を考え始めたのです。
—— 転職活動の経緯を教えてください。
Mさん:4月から、働きながら転職活動を始めました。転職ポータルサイトに登録すると、数多くのスカウトメールが届いたので、その中でIT系の転職に強い(リーベルではない)エージェントに支援を依頼しました。そのエージェントを選んだ理由は、単純にメールの文面で紹介してくれた会社名がビックネームばかりだったからです。ただし、そのエージェントは、会社の業務に支障をきたさないことを前提に転職活動を進めたいと伝えたにも関わらず、平日から面接を数多く入れられ、その前提を崩されてしまいました。そこで転職活動を一旦中止しました。
—— その後はどのように転職活動を?
Mさん:実は、同じ年の7月末にプロジェクトがひと段落したのを機に、会社を退職しました。仕事を辞めて転職活動に専念した方が、注力できる分、希望する仕事を得られる可能性が高まると考えたからです。退路を断つ、いわば、“ハイリスク・ハイリターン”の転職活動でした。
—— リーベルの支援を受けたのはその後ですね。
Mさん:前回の転職活動(4月)で届いたスカウトメールを改めて見返した時、リーベルからのメールもあること気付きました。内容を見ると、とても具体的で丁寧なアドバイスや提案が書かれており、私が転職ポータルサイトにアップロードしていた職務経歴書をしっかりと読み込んでいる様子が手に取るようにわかりました。このエージェントなら前回のような失敗はない、信用できると思い、早速コンタクトを取りました。
—— 実際にリーベルの面談を受けた印象は?
Mさん:私のエンジニアとしての経歴のポイントは、C言語を使った開発を数多く経験していること。ただし、経験した言語の種類が少ないと判断され、書類の段階で落とされる会社もあると思います。その点をしっかりと考慮し、私の経歴でも書類が通りそうな会社に絞って約20社の候補先を提案してくれました。そうした緻密な提案姿勢からも、支援の質の高さがうかがえました。
なぜコンサルティング会社ではなく監査法人に入りたいのか?
リーベルからは約20社のITコンサルタントや監査法人のアドバイザリーの職種を提案。その中から、Mさんは自分が思い描くキャリアへの道が開ける6社に絞り、書類を提出する。その後、会社説明会などで各社の内情を知る中、最も魅力を感じた会社がPwC Japan有限責任監査法人だった。同社の内定を得られた要因をMさんはどう分析するのだろうか。
—— 書類選考と面談はどのように進めましたか?
Mさん:前回の転職活動で使った書類をリーベルの担当者に見てもらったところ、改善のための多くの助言を受けました。大きなポイントはエンジニアリングではなく、コンサルティングのポテンシャルをアピールすること。それにはどんなシステムを開発してきたかではなく、その開発を通して、何を考え、どのように問題点を改善したり、チームをまとめたりしてきたか、顧客とどう折衝してきたかなど、思考やプロセスを前面に出すことが望ましいと指摘されました。そうすることで、コンサルティングの経験はないが素質はあると、応募先の会社にアピールできます。その指摘をもとに大幅に書き換えたところ、大半の書類選考が通りました。
—— 第一志望はPwC Japan有限責任監査法人でした。面接ではどのようなことを聞かれましたか?
Mさん:最初の面接では、技術的な細かい話を突っ込んで聞かれました。今までどのような仕事に携わってきたか、「○○」という技術を知っていたり経験したりしているか、などです。技術については、知っていれば詳細に答えましたし、未経験の技術であれば正直に「詳しく知らない」と返答しました。
—— 2次面接ではいかがでしたか?
Mさん:聞かれたことで最も印象に残っているのは、「なぜコンサルティング会社ではなく、監査法人に入りたいと考えたのか」という質問。まず、コンサルティング会社は主に顧客だけを見て仕事をするが、監査法人は顧客だけでなく、株主や従業員、地域、自治体など、様々なステークホルダーを見て解決策を見出す点に社会的な意義を感じたことを話しました。その上で、一般的な監査法人はシステム監査部門とアドバイザリー(コンサルティング)部門に分かれているが、PwC Japan有限責任監査法人はその2つの部門を統合して相乗効果を効かせながらサービスを提供している点が優れており、それが魅力的だったと伝えました。
—— 当初、ITコンサルタント志望でしたが、転職活動の中でPwC Japan有限責任監査法人の魅力を知り、方向性を変えたわけですね。その他に内定が出た要因として考えられることは?
Mさん:一番のポイントは、運用保守に携わった際、現場の方々に役立っていないシステムを作ってしまった挫折感と、そういったギャップをなくしたいという想いを伝えられたことではないかと考えています。応募したPwC Japan有限責任監査法人のポジションは、顧客が抱えるリスクやプロセス・組織に関する課題を明確にし、変革に向けて助言・支援することがメインの業務。私の現場を重視する視点と改善への意欲は、そうした課題解決の業務に役立つと、評価されたのではないでしょうか。
悔しさを使命に変えて
働いている会社を辞め、自ら「ハイリスク・ハイリターンだった」と評した転職活動を成功裏に終わらせたMさん。改めて、エンジニアからコンサルタントへの転身を実現させるためのポイントやアドバイスを聞いた。
—— 転職活動を振り返って、成功のポイントを教えてください。
Mさん:繰り返しになりますが、自分の経験の中で得た問題意識とそれを解決したいと言う想いの強さが、大きなポイントだったと思います。私の経験から言うと、プロジェクトを成功させたことより、失敗して悔しかった想い、あるいは違和感を持ったことなどを掘り起こしていくと、真の転職理由や会社の志望理由が見えてくるように思えます。失敗から学ぶことは多く、それが次への挑戦のバネになったり、やりがいを見出したりすることが多いからです。皆さんも一度失敗や違和感、悔しい想いの棚卸しをすると、それぞれの道が開けることもあるのではないでしょうか。
—— 退路を断つハイリスク・ハイリターンの転職活動が印象的です。
Mさん:私は資格取得の過程でも、周囲に受けることを宣言し、自らにプレッシャーをかけて挑戦してきました。そうしないと、だらけてしまう性格であることが分かっているからです。転職活動も退路を断ち、集中して取り組む方が自分に向いていると思いました。決して薦められる方法ではありませんが、自分に合った転職活動のやり方を見極めることもとても大切なポイントだと思います。
—— エンジニアからコンサルタントへの転身で重要なことは?
Mさん:システムエンジニアとコンサルタントの違いを腹落ちさせることでしょう。エンジニアにとって要件定義は絶対で、それに従ってプログラムさえすれば良いと考えがち。一方、コンサルタントはその要件定義を疑い、答えがない中で、ベストな解決策は何かを考え抜きます。私もエンジニアの考え方がなかなか抜けず、リーベルの担当者からは模擬面接で何度も注意され、本番の面接でも最初の頃は、エンジニアの頭で考えてしまう場面が多々ありました。要件定義を疑う、すなわち根本を疑う姿勢を面接官に示すことは重要でしょう。
—— いよいよコンサルタントへの道が開けました。今後の抱負を教えてください。
Mさん:今は期待と不安が半々です。自分より頭が切れる人が数多くいる中で、きっと壁にぶつかると思っています。しかし、その壁を乗り越えた時、また違った景色が見えるでしょうし、自分にはそれができると信じています。前職で経験した悔しさを使命に変えて、努力を続けられればと思います。
—— エンジニアからコンサルタントになった方々は、皆必ず壁にぶつかり、挫折感を味わいます。けれども、Mさんならきっと乗り越え、違った景色を見ることができるでしょう。本日は有難うございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。