- プロフィール
- 日本体育大学体育学部健康学科卒業後、主に官公庁系システム開発を展開する中堅SIerに入社。官公庁や公益法人のWebシステム開発に参画し、4年目からはリーダーのポジションでマネジメントと顧客折衝の業務を経験する。2次請けではなく、プライムの立場で顧客の課題解決のためのシステム開発に取り組みたいという想いから、転職を決意。電通総研に入社。
転職に至った原点はプライムのシステム開発。2次請けの仕事が多い中、抜擢されたそのプロジェクトにやりがいを感じた。
もっと顧客に近い立場で力を発揮したい。日を追うごとに強まるプライムへの想い。
そして、想いを形にするために新天地へ。万全の準備で臨んだ転職活動の顛末を語った。
常に持っている“危機意識”
日本体育大学といえば、卒業後の進路は、教員やスポーツ関連企業、あるいは一般企業の営業職が主だったところだろう。しかしT.Iさんの選んだ道はIT業界のエンジニア。選択の理由は「自分の仕事の成果がより多くの人に影響を与えられるから」だった。
——官公庁系のSIerに入社した理由は?
Iさん:企業よりも国のシステムを作る方が、日本全体のより多くの人に影響を及ぼすことができると考えたからです。今振り返ると学生の浅い考えだと思いますが(笑)、当時はそんなイメージで就職しました。
——ITの知識はほぼゼロだったのでは?
Iさん:確かに皆無。入社当初は何もできず悔しい思いをしました。でも、私は体育会系の性格で、目標が自分の手の届かないところにあるほど、逆に燃えてがむしゃらに努力するタイプ。資格取得を目指して本などで勉強したり、実務で上司や先輩のやり方を“目で盗んで”ノートにまとめたりするなど、自分なりに努力を重ねました。
——勉強はどのように進めましたか?
Iさん:勉強時間は、通勤電車の中、昼休み、帰宅後です。周りからは「よくそんなに勉強ができるね」と言われます。しかし、私の中には常に“危機意識”がある。会社の名前や営業力などを抜きにして、一人の人材としてどれだけ世の中に通用するか。自分一人で裸で立たされた時に戦える力を付けておかなければならないのではないか。そんなことを日頃から考えています。そう思うと、自分には足りないことが多く、自然と勉強しようという気持ちになります。
——入社後のキャリアは順調でしたか?
Iさん:最初の仕事でJavaやSolarisなどによるシステム構築に携わり、まずプログラミングの基礎を修得。次のプロジェクトでは要件定義、設計、プログラミング、テストと、一連の工程も経験できました。その後も、XBRLという特殊な言語を用い、英語版のドキュメントやマニュアルを活用しながら開発したり、要員50人のグループのサブリーダーを務めたりするなど、入社後5年間で様々な経験を積むことができました。キャリアアップという観点では、非常に恵まれていたと思います。
命がけで成功させる醍醐味
順調にキャリアを重ねたIさんは運命のプロジェクトに出会う。2次請けが多い中、数年に1回あるかないかのプライムのシステム開発を受注し、Iさんがプロジェクトリーダーに抜擢されたのだ。プライムの仕事もプロジェクトのまとめ役も初めての経験。目標が高いほどIさんの心は燃える——。
——公益法人のWebシステムの開発をプライムで受注し、責任者に抜擢されました。
Iさん:要員は子会社の社員や自社の新入社員など10人。しかも、私以外はWebシステムの開発経験がゼロ。さらに開発環境であるSQLサーバーや.NetFrameworkは、私も使うのが初めて。非常にハードルが高いプロジェクトでした。まず、アサインされた時点から、プロジェクトの管理方法を知るために「プロジェクトマネージャー」の資格取得に向けた勉強をスタート。言語も勉強し、メンバーのために手順書を作ったり、全ての方針を打ち出したりするなどして、プロジェクトを推進していきました。
——メンバーを取りまとめるコツは?
Iさん:メンバーに仕事を丸投げしないこと。丸投げするとメンバーが抱えている問題が見えなくなり、後のほうで問題が大きくなってから顕在化することがよくあるからです。ですから、場合によってはメンバー同士の打ち合わせにも参加するなどして、彼らの中にどんどん入っていくことが重要。接点を増やすことで問題や課題を共有でき、結果的にプロジェクトの遅延や破綻を防ぐことにつながります。
——初めてのプロジェクトリーダーで大変だったのでは?
Iさん:困難なことは山ほどありました。正直言って、つらくて逃げたくなったこともある。でも思い直し、途中からは「命がけで成功させる」という強い気持ちで取り組みました。その結果、顧客の要望通りのシステムを開発することができ、プライムとして仕事をすることに、非常にやりがいを感じましたね。同時に今後もプライムの仕事を続けたいと考え、そのためには転職が必要であるとも思い始めました。その意味では、このプロジェクトが転職活動に至った原点といえます。
やり過ぎなくらいの準備
転職活動は大手転職ポータルサイトへの登録からスタート。直後から様々なエージェントからスカウトメールが届く。だが、どれもテンプレートやクローリングツールなどを使っていることが垣間見える、機械的な文面で、ほとんどを削除していた。ただし、リーベルからのメールだけは違っていた。
——リーベルからのスカウトメールに対する率直な感想は?
Iさん:他のスカウトメールが機械的だったのに対し、人の手によって書かれていることが伝わってくるメールでした。私のレジュメもよく読んでいただいたようで、コメントも具体的。会ってみたいと思わせる文面でした。
——リーベルの他にもエージェントは利用しましたか?
Iさん:ある大手のエージェントのコンサルタントとも面談をしました。そのコンサルタントは「とにかく多くの会社を応募するべき」というスタンス。本当にそうなのかと確信が持てないまま、リーベルのコンサルタントと面談すると、「絞って本当に行きたいところだけ応募すべき。仮に不採用になったら、その時点で他社を考えればいい」と、全く逆の立場でした。私の考え方はリーベルに近い。そう思い、リーベルに転職支援をお願いすることにしました。
——リーベルと二人三脚で万全の準備をしましたね。
Iさん:私にとって転職活動は小さなプロジェクトです。私のプロジェクトのスタイルは、とにかく事前に万全の準備をすること。レジュメはいわば私を志望先の企業に売り込む提案書なので、その提案書に万全を期すのは当然のことです。ただし、私にとって初めての転職活動で、レジュメの書き方などで不明点が多かったため、リーベルのコンサルタントに納得がいくまでメールなどで質問したり、アドバイスをいただいたりしました。
——面接対策にも力を入れました。
Iさん:コンサルタントとの模擬面接で、明確に答えられなかったことが、「なぜその企業を志望したのか」ということ。そこで、自分がどうなりたいのか、その企業で何をしたいのか、何ができるのかを、もう一度深堀りして考えて、明確に答えられるように準備しました。あるいは面接の想定質問に対しては、自分なりの回答を徹底的に考え抜いて用意。とにかくやり過ぎなくらいに準備をしました。面接も、プロジェクトでのプレゼンや打ち合わせだと考えれば、徹底的に準備するのは当たり前のことです。
今何をやるべきかを意識する
Iさんは3社に応募し、徹底的な準備が奏功し、電通総研から内定を受けることができた。電通総研を選んだ理由、転職成功のポイントなどを最後に聞いてみた。
——電通総研への入社を決めたのはなぜ?
Iさん:面接で受けた印象が、非常に柔軟なイメージでフランクだったこと。私は自分がどうやっていきたいかという軸はしっかりしているつもりですし、必要な勉強も自ら進んでできるので、電通総研のような社風が合っていると思いました。また、母体が大きいにも関わらず、常に新しいことに挑戦するベンチャー精神があることも、好印象でした。
——あらためて転職成功のポイントは何だと思いますか?
Iさん:万全な準備をしたことでしょう。最も重要な準備は、自分がどうなりたいか、何をやりたいのか、何ができるのかを深く考えて答えを用意すること。それらは考えているようで実は明確でなかったりすることがあるので、熟慮することが重要だと思います。また、絞り込んだことも成功のポイント。もし10社に応募していたら、準備が上手くできず、今回のような結果は得られなかったかもしれません。
——最後にこれから転職活動に望む人たちにエールを。
Iさん:年相応の経験やスキルが不足していては、前述の「最も重要な準備」も難しくなります。結局のところ、常日頃から自分がどうなりたいのか、そのために今何をやるべきなのかを意識し、取り組むことが重要になります。私もいつも危機意識を持って勉強や仕事に取り組み、年相応の実力をある程度付けることができました。そのベースがあったので、転職も成功できたのだと思います。
——転職活動以前の問題として、普段からの意識と取り組みが重要なのですね。有難うございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。