転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)

J.Oさん

事業立ち上げに伴うシステム開発を志望
「やりたいこと」を明確にし道を切り拓く

プロフィール
京都大学法学部卒業後、中堅SIerに入社し、主に化学メーカー販売会社のシステム開発を担当。その後、教育事業会社と資材調達・貿易会社に転職し、情報システム部門のプロジェクトマネージャーとして、新規事業の立ち上げやWebシステムの再構築を成功させる。そしてまた新たな活躍の場を求め、株式会社ディー・エヌ・エーに入社。
顧客の事業再編に伴うシステムの改変。短納期の要求に責任を持って応えてきた。プロジェクトマネージャーとして事業会社の新規事業の立ち上げも経験。さらに大きな舞台で新しい事業に挑戦し、自分の成長を加速させるために、今最も注目を集める伸び盛りの企業へ。
キャリアの軌跡と転職成功の要因を聞いた。

事業再編に伴うシステム改変の日々

大学卒業後に入社した中堅SIerでは、主に顧客の事業再編に伴うシステム改変を担当した。子会社の統合、親会社への吸収。期日が決まっている中、短期でのカットオーバーが要求される案件が続く。どの案件に対しても責任を持って対応し、期日通りの稼働を実現してきた。

——最初の就職先である中堅SIerには8年間在籍されました。主にどのような案件を経験されましたか?

Oさん:ある化学メーカーのグループ統合や再編に伴う物流系や販売系のシステム改変を、長年にわたり担当してきました。統合や吸収は突然発表され、しかも数カ月後が期日といった場合が多く、それまでにシステムの改変を済ませ、何事もなかったかのように事業を継続させなければなりません。短期間で開発し稼働させることが要求され、毎回厳しいスケジュールの中、システム改変をやり遂げてきました。

——短期の納期が要求される中、遅れることなくカットオーバーできた要因は?

Oさん:スケジュールをクライアント任せにするのではなく、IT側のプロとして私たちが決めて提案するという主体的な姿勢で対応したことが、奏功したのだと思います。例えばグループ会社の統合では、受注を止めてシステムの改変作業に入るタイミングなどのプランを一通り整理して提示し、その骨子を基にクライアントと調整しました。指示待ちではなく、常にクライアントをリードしたことがポイントでした。

——8年間在籍した後に転職を決意されたきっかけはなんでしょうか?

Oさん:その後も同じ化学メーカーで海外のシステム改変を担当し、日本側のシステム代表窓口として、電話・テレビ会議で現地のマネージャーと議論をしながら案件を推進してきました。しかし、入社以来一貫して事業再編に携わる中、この仕事の責任の大きさと必要性を認識する一方で、事業再編でのリストラ等後ろ向きな案件ではなく、ビジネスを加速させる、例えば新しい事業を立ち上げるような案件にも挑戦したいと考えるようになり、それが転職するきっかけとなりました。

事業化に伴うシステム構築を経験

SIerから教育事業会社への転職を果たしたOさん。希望していた新規事業の立ち上げに伴うシステム開発に携わるようになる。開発期間は非常に短期。未経験の業務も多い。毎日多忙を極めたが、ゼロからシステムを立ち上げ、事業を軌道に乗せるという貴重な経験を積むことができた。

——教育事業会社でのシステム開発の内容を教えてください。

Oさん:インターネットを経由して、点在する各教室や生徒の自宅に教育コンテンツを配信し、ネット上で決済もするという、新しく、魅力的なシステム開発でした。ただ、開発の責任者として全体のスキームを構築し、コンテンツ配信会社や決済する金融機関の選別や交渉なども一手に担わなければならず、さらにサービス開始の時期が決まっていて開発期間は5カ月と非常に短期。毎日それこそ死にもの狂いで働きました。

——事業化に伴うシステム構築は価値のある経験になったのでは?

Oさん:事業には様々なステークホルダーが存在し、もしシステムが動かなければ多大な影響を及ぼします。例えば今回の事業では各教室の先生の収入がストップしてしまうし、生徒にも迷惑がかかる。会社の売上げも上がらない。だから何が何でもシステムを期日通りにカットオーバーさせなければなりません。その厳しさを知り、より「事業」を意識しながらシステム開発に取り組めるようになったことは、大きな収穫だったと思います。

30代で事業経験を積むため再度の転職を決意

新規事業のシステムの稼働を実現したOさんだが、その後家庭の事情で再転職を決断。資材調達・貿易会社の情報システム部門に転職し、中国のシステム会社を活用したオフショア開発などを経験する。だが、それは事業会社でなくとも経験可能な、必ずしも満足できる仕事ではなかった。Oさんはさらなる転職を模索し、リーベルの門を叩く。

——リーベルにはどのように支援を依頼されましたか?

Oさん:リーベルに「事業に伴うシステム開発」を志望することを伝えると、IT関連の事業会社やコンサルティング会社など数社を提示されました。その中の一つが、今回採用が決まったディー・エヌ・エーです。

——面接の過程を教えてください。

Oさん:最初の面接では、主に自分が今まで携わった仕事の内容を説明。また具体的なポジションの提示もあり、私にとって未経験の業務でチャレンジングな側面もあるが、入社後にいくらでも伸ばせるので問題ないと、配慮のある言葉もいただきました。おそらく面接官の方には、短期で事業化を果たした教育事業会社での経験を買われ、それが印象を良くしたのではないかと思います。

——その後人事部による2次面接を経て採用が決まりましたが、決め手は?

Oさん:参画予定のプロジェクトがチャレンジングかつスピード感があり、この中で働くことで自分も飛躍的に成長できると感じられたこと、またディー・エヌ・エーは単なるゲーム会社ではなく、ITをプラットフォームにした事業会社であるという認識があり、サービスを提供しているユーザー数も非常に多いので、単なるシステム開発にとどまらずそれらをベースに自分でも何か新しい事業ができると感じられたことがディー・エヌ・エーに決めた理由です。

「やりたいこと」を明確する大切さ

急成長の真っ只中にある事業会社、ディー・エヌ・エーへの就職を成し遂げたOさん。希望の進路を勝ち取れた要因は何だったのか。

——転職に成功したポイントを教えてください。

Oさん:「やりたいこと」を明確にしたことです。私の場合「事業会社で事業がやりたい」というシンプルなテーマがあり、最初から方向性が固まっていたので、一本筋が通った転職活動が展開できました。

——Oさんの場合、転職の回数が多く、影響しませんでしたか?

Oさん:私は次が4社目であり、会社によっては書類選考の段階で落とされることもありました。しかし、家庭の事情で転職せざるを得なかった面もあり、書類選考をパスした会社には、面接でしっかりと説明することで、理解していただくことができました。ただ、もしさらに次の転職となるとより厳しくなることも予想されるので、やりたいことを絶対にぶらさず、自分に最も適した会社を探すことを心掛けました。「自分が何をやりたいのか」。これをどの条件よりも優先することが必要ではないかと思います。

——エージェントとの信頼関係もポイントでしょうか?

Oさん:そうですね。私の場合、プロジェクトで多忙だったため、転職活動に割ける時間が限られていました。リーベルのコンサルタントはその事情を十分に理解し、無理に多くの面接を受けさせることなくターゲットを絞るなど、親身になって支えてくれました。それも転職が成功した要因の一つではないかと思います。

——転職活動のポイントがよくわかりました。「やりたいことありき」で臨むことが重要ですね。有難うございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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