血で書かれたものは読み手の心を動かす
“書かれたもののなかで、俺が愛するのは、血で書かれたものだけだ。血で書け。”
何とも物騒な書き出しで始まりましたが、これは私の言葉ではなく、ニーチェの『ツァラトゥストラ』の『読むことと書くことについて』の一節です。
私は哲学初心者なので、この『血で書かれた』本を読むのは非常に骨が折れるのですが、素人解釈をすれば、血で書かれたものとは、考え尽くし、悩み尽くし、苦悩の果てに書き出した精神の一片であると思います。
日々の業務の中で、私は様々な文書を目にします。特に多いのが職務経歴書と履歴書ですが、血で書かれたものほど読み応えがあり、会ってみたいと思わせてくれます。
一般的に、心血を注いで書いたものこそ読み手の心を震わせるものですが、それは文学の世界に限らず、職務経歴書をはじめとする様々な『書く』にも当てはまります。
読まなければ血で書けない
血で書かれたものの例として一番分かり易いのはラブレターです。いまの時代、わざわざ手紙を書くより告白メールを送るケースの方が圧倒的に多い気がしますが、それでも恋文として和歌を送った時代から、ラブレターの精神は脈々と受け継がれています。
ラブレターを書くというのは、非常に骨が折れます。対面で話をするのとは違い、一言一句がすべて形に残り、言い回しを間違えると取り返しがつかないため、慎重に慎重を期して書き進めます。
また、誰にでも同じ内容を送れば良いものではなく、読み手の性格を考えた上で、何をどう書くかが変わってきます。じんわりと響く人に歯の浮くような言葉を連ねてもダメですし、情熱的な愛を求める人にまどろっこしいことをつらつら書いてもダメです。興味があることや、恋人に何を求めていそうかを綿密に『読んだ』上で、文章の流れを考え、内容を詰めていきます。
ラブレターをイメージすれば、入念に『読』まないと、良いものは書けず、良い結果も得られない、ということは容易に想像できます。つまり、読まなければ血で書けない、ということが、これでお分かりいただけると思います。
企業を読み、自分を読む
先ほど敢えて『読む』という言葉を使いました。書かれていないものを読むということに違和感があるかも知れませんが、『考えを読む』『心を読む』『空気を読む』など、実は私たちも日常的に、書かれていないものに対して『読む』という言葉を口にしています。
文学博士である佐々木中氏は、その著書『切りとれ、あの祈る手を』の中で、『テクストを読む』ということに言及しています。『テキスト』と言うと、書かれた文書のことを指しますが、『テクスト』と言うと、必ずしも文書であることを必要とせず、挨拶や挙措や表情など、文書外に織り込まれたものまで含めるそうです。
ここに私はヒントがあると思っていて、本当に読むということは、文書化されたものだけでなく、その言外にあるものも含めた範囲、即ち『テクストを読む』ことだと考えています。
では、職務経歴書や履歴書を血で書くには、何を読めば良いでしょうか。
まず最初に読むのは求人票です。実は、求人票もその多くは血で書かれています。各企業は、どういう人に来て欲しいか、どう書けば魅力的に思ってもらえるのかについて、何度も練り直し、何時間も時間をかけて求人票を完成させています。そのため、求人票は斜め読みでさらっと流してしまうのではなく、細かな表現までじっくり読むことが必要です。
それから、企業のHPであったり、中途採用向けの資料があればそれも読み込み、その企業の歴史や特徴であったり、業界動向や経済状況と、その変化に対して企業がどう立ち向かっているのか、どういう事を考えていそうか、まで読み込みます。
また、読み込まなければならないのは企業のことだけではありません。次に、自分自身のことを読み込む必要があります。職務経歴書を書く前なのに一体何を読むのかと言いますと、ここで読むのは記憶です。過去に経験したこと、身についたこと、それらを通じて考えたことや信念や習慣となったものなど、自分自身に織り込まれたテクストを読み込みます。
そこまで読み込んで始めて、精神の宿った、血で書かれた文書、即ち、書類選考官がぜひ会いたい!と思える職務経歴書・履歴書を書くことが可能となります。
読んで書くことで、読み手と書き手に革命を起こす
こんなことを書くと、『職務経歴書や履歴書ってそんなにしてまで書く必要あんの?』『適当に書いても書類選考が通ったよ』という言葉があちこちから聞こえてきそうです。
確かに、それはその通りです。なんていうと身も蓋もありませんが、いまは過去に例を見ない程の売り手市場のため、そこまで読んで書き込まなくても、企業側が、それこそ『テクスト』を読み込んでくれるために、書類選考が通過してしまうことも少なくありません。
ただ、不況になった時には、企業側も採用に消極的になるため、迫力のない文書だと見てくれません。そのため、いまはたまたま書類選考が通過し易い時期なんだと冷静に捉え、いつでも職務経歴書・履歴書を血で書ける様にしておいて頂きたいと思います。
なお、前出の佐々木氏は、同じ著書の中で、読んで書くことが革命を実現してきたと述べています。名誉革命やフランス革命といった大革命も、その本質はテクストの書き換えであり、読み書き読み書きを繰り返した結果が世界を一変させたという話をされています。
ここでは詳細は割愛するとして、職務経歴書や履歴書の作成という作業でも、血で書くことにより革命を起こすことができます。すなわち、読み手がそれを手にし、読み、心を動かされるといったことが起これば、それは一つの革命を起こすことが出来たと言えるのではないでしょうか。
また、書き手自身も、自分を読み、自分を書き、また自分を読み、また書き直すといったことを繰り返すことで、いままで認識していた自分とは違う自分に気付くことができます。そして、それが既に自分自身であることに気付き、その結果、書き終わる時には自己認識が変わり、書く前とは全く違う自分になっているということが起こります。これもまた革命と言わずしてなんと呼べばいいでしょうか。
転職活動をするにあたり、どのような動機からスタートしたとしても、自分を変えたいという気持ちはどんな人にも多かれ少なかれあるはずです。それはつまり、自分に革命を起こしたいという内なる欲望がある、と言い換えることができると思います。
書類選考は選考の中のいちプロセスにしか過ぎませんが、これを適当にやり過ごしては勿体ないということは、ここまでお読み頂いた方にはお分かりかと思います。読み手である書類選考官と、書き手である自分の両方に革命を起こすべく、職務経歴書や履歴書をぜひ血で書いて頂きたいと思います。
<参考1>光文社 古典新訳文庫 『ツァラトゥストラ(上)』ニーチェ 著 丘沢静也 訳
<参考2>河出書房新社 『切りとれ、あの祈る手を ?本と革命をめぐる五つの夜話?』 佐々木中 著