
前回の私のコラムで、学校公開の話を書きました。前回は道徳の授業の話が中心でしたが、今日は大学院の教授による特別講演にスポットライトを当ててみたいと思います。
その教授は、もともとは学校の先生で、教育委員会を経たのち、大学院にて教授をされている方でした。障害を抱えた息子さんとの生活の中で感じたことや、教師をしていた時に失敗した話を通じて、聴講者に対して考えるきっかけを与えてくれました。
そして、そのうちの1つ、マイクロアグレッションというトピックが特に印象に残っているため、ここではそれをご紹介したいと思います。
マイクロアグレッションとは
マイクロアグレッションというのは、無意識の偏見、無理解、差別に基づく言動のことを言うそうです。
例えば、ある子が良い成績を取った時に、「あなたにしてはよくできたね!」と言ってしまうこと。発言した人は頑張ったねと褒めているつもりなのですが、そこには「あなたはできない人」という見下す気持ちが無意識的に表現されており、言われた方は酷く傷付いてしまいます。
また、容姿のことでいじめられている子に対して「人間は顔じゃないよ、中身が大事だよ!」と励ますこと。発言した人は、人柄の良さを認めて胸を張って生きて欲しいと思って発言をしていますが、聞いた本人としては、顔は良くないって思ってるんだと悲しくなります。
仕事上でも、「できると思ってるの?」「あの人を見習いなさい」といった発言をしたことはないでしょうか。あなたにそんな能力はない、あなたは他より劣っている、そんなメッセージが含まれてしまっていますよね。このような発言は珍しいものではないですが、改めて見てみると、よくない発言であると言えます。
マイクロアグレッションを避けるのは難しい
難しいのは、発言者の多くは普通の人であるということです。普段細やかに気を配っている人でも常に気を張れている訳ではなく、疲れた時や、緊張が解けた時などのふとした時に気が緩みます。そんな時に、何気なく言ってしまう言葉の中に、無意識下に潜んでいる偏見、差別、見下す思いなどがぽろっと出てしまうものと思います。
どんな人でもマイクロアグレッションを完璧に防ぐのは難しいでしょう。それでもできるだけ自分の発言により人を傷付けるのは避けたいものです。
優劣で見ずそのまま理解する
できることと言えば、他と比較してのレッテルを貼らないことでしょうか。この人は他の人と比較してこれが劣る、という意識を一度持ってしまうと、それが無意識に定着し、マイクロアグレッションに繋がってしまいます。
相対比較でその人を理解するのではなく、その人そのものをそのまま特徴として理解すること。そうすることで少しでもマイクロアグレッションを減らすことができるのではないかと思いました。