転職時における全国転勤の確認
応募時に「全国転勤は可能ですか」と確認してくる企業が幾つかあります。最近はかなり少なくなりましたが、全国に事業所を抱える大手企業ではしばしばあることです。エンジニアやITコンサルはまだ少ない方で、銀行や商社などであれば海外含めて転勤は依然よくあることなのです。企業によっては転勤OKと回答しなければ選考をしないこともあり、応募する上では事前の認識が必要になってきます。特に、企業の本社や拠点の所在地については、事前に把握しておくことをお勧めします。東京・大阪のみの場合も、全国に拠点が点在する場合もありますので、確認しておきましょう。
ただ、実際に転勤OKと言ったからといって、今時は問答無用でいきなり転勤を会社から求められるケースはかなり少ないはずです。会社からの通知は絶対的だった時代もありましたが、それも変わって来ました。生活状況やライフプラン等を考慮し、本人の了解と理解を得ない限りいきなり転勤というのはほとんど無いと言えるはずです。
特に中途採用に関しては、応募時に必ず就業場所が明記されることになっています。少なくとも、入社していきなり他の場所で働くというのはありません。また転勤をきっかけとして退職する社員も増えたため、今では拠点ごとでの中途採用を行い、その土地土地で長く働いてもらおうとするケースが多くなってきました。
もちろん、その辺りの扱いは企業によって異なりますし、「地方⇒東京」と「東京⇒地方」などの転勤先の状況によっても変わります。詳しくは企業やエージェントに確認し、転勤における実態を確認することが重要だと思います。
一方で、全国転勤でまったく問題無しという方もいるでしょう。ご家族やお住まいの事情にもよりますが、仕事にひたすら打ち込めればOKという方も当然いて、そういった方は転職における選択肢の幅が確実に広がります。仕事内容や年収、働き方といった希望はしっかり伝えたうえで、それが実現出来る環境や場所を日本全国から探せば良いわけですから、可能性も広がります。その上で、人生においても色々と縁も出来ると思うのです。
全国の灯台を守る仕事
かつて「灯台守(とうだいもり)」という仕事が日本にもありました。日本全国に点在する灯台に常駐し、維持・管理をするという仕事内容です。灯台守は明治時代から戦前・戦後と日本の灯台運営を支えてきた技術者で、厳冬の北海道から孤島まで、過酷な環境の中で業務を行いつつ家族と共に転勤をしながら日本の海を守っていました。
灯台守の夫婦を描いた『喜びも悲しみも幾歳月』という映画があります。数年ごとに転勤をしながら、危険と隣り合わせのタフな環境で全国の灯台を渡り歩く姿が描かれていくのですが、本作を観ると全国転勤のタフさがとてもよく分かります。そもそも勤務場所が灯台になると、都会から離れた片田舎や、病院などのコミュニティからも隔離されており、非常に生活しづらい環境です。転勤が伝えられる度に灯台守の夫婦は恐れおののいたり喜んだりと、人生が大きく動いてしまうのです。
土地が変われば出会う人も変わり、それによって悲しい別れと嬉しい再会が繰り返されます。転勤を拒否することは出来ず、生活する上では犠牲になることばかり。見ているとやるせない気持ちが強くなるのですが、20年という長い年月がその土地土地と重なって思い出される作りになっていて、味わい深い感動もあります。仲間の死別や戦争の傷跡、子供の成長などが折り重なり、濃密な物語になっています。娘の旅立ちを灯台から見送るラストシーンにも喜びの中に一抹の寂しさが感じられ、苦労を何年も積み重ねた上での夫婦の表情が心に残るのです。
ライフスタイルの変化
その後の灯台は徐々に無人化が進み、2006年には日本から灯台守がいなくなりました。全国を行脚する灯台守はいなくなったのです。
また、今の時代に全国転勤を強いる企業は少なくなり、転勤も廃止される動きが強まっています。リモートワークも浸透してきた中、転勤には否定的な価値観を持つ方が今後も増えていくでしょう。家族の形も、かつての日本とは何もかも変わりました。居住地変更が難しくなっているのも当然で、ライフスタイルが多様化する現代において転勤は簡単なことではありません。
ただ、だからこそ貴重な経験にもなりえるとも思うのです。その土地に住み、顔を合わせて働いた結果、大きな成果を残してきた人々がこれまでもいました。そしてリモートワークが浸透した現在においても、依然としてそれが必要な仕事もあるのです。人生にも大きな影響が及びはしますが、だからこそ意味のあるチャレンジになると思います。