Bさん、30才。ある大手電機メーカの系列子会社で、カスタマーサポートをやっている。何社かの顧客企業を担当しているため、全国の支店、支社を飛び回る日々だ。
4月、Bさんの部署に親会社から3名の管理職パーソンが出向してきた。この時期、Bさんの会社のあちこちの部署で繰り返される情景だ。彼らは、彼ら用に新設されたポジションに当然のように就き、ま新しい机と椅子に悠然と座っている。忙殺される担当者とは対照的に穏やかな顔つきで動作も緩慢な彼ら...。
最近Bさんは、自分自身に困惑している。仕事をしていても、全力投球できていない自分に気づき、はっとすることがしばしばある。なぜだろう?いつこんなことを感じるようになってしまったんだろう?自問自答するが、なかなか答えは見つからないまま、時間は過ぎていった。
そんなある日、数ヶ月前に退社して、今は、Web関連のアプリケーションを開発しているベンチャーに転職したD君と駅でばったり会った。Bさんは驚いた。そこにいたのは、Bさんの知っている数ヶ月前のD君とは全く別人だったのだ。彼は、逞しくなっていた。はつらつとしていた。少なくともBさんにはそう見えた。
彼がベンチャーに転職したと聞いたとき、なんでまたそんなバカなことをと思ったものだ。この会社にいれば倒産なんて心配はないし、そこそこいい収入も約束されている。わざわざそんな冒険する必要がどこにあるんだと仲間うちで囁いたことを思いだす。すぐに、大後悔するだろうと思っていただけにそのD君の様子は意外だった。Bさんは聞いた。「ところで、なんで転職なんかしたの?この不景気でもうちの会社は給料下げないし、居心地悪くないはずだけど。」D君はさっぱりとした顔でこう答えた。「Bさんにはまだ見えないんですか?あの会社のグラスシーリングが。」
グラスシーリング>ガラスの天井<先は見えるのにそこには行けない。下からは見えないガラスの天井がある。Bさんの会社にはまさにグラスシーリングがあった。いや、今もある。分厚いグラスシーリング。どんなに努力しても、能力があっても決してステップアップできない。マネージャ職は常に、親会社のリストラ用ポジションとしてキープされている。生え抜きの自分には辿り着けないポジションなのだ。
Bさんはやっとわかった。最近漫然と感じていたすっきりしない気分の始まりは、D君の転職の頃だった。表向きはバカにしていても、心のどこかでそれを羨む自分が居た。グラスシーリングが見えていても見えないフリをしてる自分がいた。あの釈然としない暗い気分は、行き詰まることがはっきりわかっている閉塞感だったのだ。
「失敗するかもしれないけど、僕の将来は開けてますよ。だって、自分の力で切り開ける可能性だけは確保されていますから。」D君のこの言葉が今もBさんの耳から離れない。
<”サラリーマン哀話”より抜粋 >