転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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株式会社電通総研

Y.Kさん

生保グループのシステム子会社で感じた成長への限界
リーベルの提案により業務・収入・社風でベストな転職を実現

プロフィール
東北の高校、大学でプログラミングを学び、東京の中堅生命保険会社のシステム子会社に就職。オープン系システム開発に従事し、リーダーとしてプロジェクト管理も行った。自身のキャリアアップと成長のため、リーベルの支援を受けながらの転職活動を決断。電通総研の内定を得て、転職に成功。
大学卒業後、東京にある中堅生保のシステム子会社に入った。オープン系システム開発に従事したが、生命保険の業務知識を貪欲に吸収するなど、自分磨きに徹した。
小規模案件ながら、要件定義から本番移行までの一通りの開発工程を6年間経験。その後、リーダーとなり、案件管理、要員管理までこなした。
自身が担当した案件で納期を後ろに倒したことはなく、リリース後の大きな障害もゼロ。ユーザーからの信頼も厚く、社内では部下から慕われた。
だが、入社から10年が経ち、「このままでよいのか」という疑問が脳裏をよぎる。自分がより活躍し、成長できる場が、外にはきっとあるはず。
リーベルに相談して、真っ先に提案されたのが、電通総研だった。面接では、面接官の人柄に惹かれた。自分のリーダーとしての仕事の進め方も評価された。結果、内定を取得し、ベストな転職がかなった。
転職成功への流れを作ったリーベルの担当者による候補企業とのマッチング。その経緯を聞いた。

オープン系システム開発担当ながら業務知識も猛勉強

高校、大学とプログラミングを学び、IT業界に絞って臨んだ転職活動。だが、その年の3月に東日本大震災が起こり、選考がストップする企業が続出した。早く決めたいと思って選んだのが中堅生命保険会社のシステム子会社への就職だった。

—— 東北にある高校と大学でプログラミングを勉強したそうですね。

Kさん:実家には小学校高学年からパソコンがあり、メールのやり取りや掲示板の閲覧、自分でホームページを作成するなど、子供の頃からネットの世界に触れて、将来はIT業界で働きたいと漠然と思っていました。進学先を情報系の高校や大学にしたのも、その思いを実現したかったからです。大学は、「どの企業に行っても通用する人材を育てる」ことを方針に掲げ、多くの課題を与えられ、全てコマンドベースでプログラミングを行うなど非常に厳しく、できないと単位が得られないために留年も続出するようなところでした。ですが、私は処世術に長け、要領よく単位を取って、就職に有利な研究室にも入って、ストレートで卒業できました。

—— 卒業後は東京での就職を目指しました。

Kさん:県内にはIT企業が少なく、就職するなら関東圏、東京に行くしかなかったというのが実情です。しかし、就職活動の真っ最中に起こったのが東日本大震災です。採用の選考を一旦中止にする企業が多かったのですが、私は早く確定したいという思いから、そうした中でも進めてくれる企業を優先しようと考えました。そこで、決まったのが東京にある中堅生命保険会社のシステム子会社でした。金融系のため収入面が比較的良いこと、ワークライフバランスを保てそうなこと、規模がそれほど大きくないため若手でも序盤から多くを任され、経験が積めそうなことが選定した理由です。

—— 実際はどうでしたか。

Kさん:親会社である生保会社のオープン系システム開発の担当になったのですが、早いうちから小規模な開発案件を任され、要件定義や基本設計などもユーザーとやり取りして詰めたり、製造、テスト、保守もこなしたりするなど、一連の工程を全て経験できたことは、キャリアの序盤としては大きかったです。自分を磨くため、オープン系ではあまり必要ではない、生命保険の業務知識も積極的に吸収しようと猛勉強し、資格も取りました。不要のために勉強しない人は多いのですが、少しでもそうした知識があった方がユーザーに寄り添った開発ができるのではないかというのが私の考えでした。

—— 業務知識は、ユーザーとのコミュニケーションでは必要になる場面もありそうです。

Kさん:そうなんです。実は、私は様々なユーザーの方と良好な関係にあり、自分の案件とは関係のない会議にも、「意見が欲しい」と呼ばれることが何度かありました。私は遠慮をしない性格ですので、積極的にコメントや提案を行ったのですが、その際に生保の業務知識が非常に役立ったのです。ユーザーのヒントになるような有益な発言をするため、次もまたその次も呼ばれ、業務外の活動をしている「少し変わった社員」と見られることもしばしばでした。

プロジェクトマネージャーの一番の仕事は“人間関係作り”

小規模ながらシステム開発の工程を覚えた。その後、仕事ぶりが認められ、プロジェクトのまとめ役を任されることも多くなった。話がうまく、人をまとめることも得意な性格が奏功し、案件の責任者としても真価を発揮することになる。

—— 入社6年目以降は、案件のプロジェクトマネージャーに抜擢されました。

Kさん:トランザクションデータの全面更改や、アプリケーションの全面更改など、比較的大きな案件のプロジェクトマネージャーです。協力会社の管理やベンダーコントロール、コスト管理、全体の品質管理など新しい役割を経験することができ、自分としても力を付けることができた期間だったと思います。案件も完遂することができ、社内外の評価も良好でした。

—— プロジェクトを円滑に進めるコツは何でしょう。

Kさん:システムは、人が作っているものなので、“人間関係作り”が全てだと考えています。つまり、リーダーである私も部下や協力会社の人から好かれなければならないし、メンバー同士も良い関係を保ち、いかに気持ちよく仕事をしてもらえるかに尽きます。嫌われているプロジェクトマネージャーやリーダーの案件、あるいはメンバー同士がぎくしゃくしている案件は、うまくいっていないことが多いからです。私自身も上司とその部下の仲が悪くて板挟みになったり、上司の態度が問題で雰囲気が悪くなったりして、自分も周囲もモチベーションが上がらない経験を何度かしてきました。そんな上司は嫌われるし、嫌いな人のために仕事を頑張ろうという人はいないでしょう。

—— 仲が悪いとチームも弱くなる。

Kさん:そうです。プロジェクトが回らない、遅延、炎上は、結局は人間関係に起因すると私は思っています。だから、リーダーやマネージャーの一番の仕事は、そうならないように風通しを良くして、対立しているものがいたら落としどころを見つけることなのです。そして、もう一つが、メンバーを信頼して、いい意味で“放任”することです。私は、事細かに指示するマイクロマネジメントは避け、多くを任せるマクロマネジメントを行って、世話が必要な時だけ介入するのが基本スタンスです。その方がスピード感が出るからです。実際、私が責任者となった案件はリリースが後ろ倒しになることはなく、大きな障害もゼロでした。嬉しかったのは、「とても仕事がしやすい」と部下からの評価が高かったことです。自分のやり方は間違っていなかったと思えた出来事でした。

「このまま仕事を続けては思考停止になる」という焦燥感

プロジェクトの進め方も覚え、リーダーも経験し、部下からの信頼も得られている。キャリアとしては着実にステップを踏めているように見えた。だが、本人の心の内は違っていた。入社10年目、脳裏をよぎったのは将来への不安だった。

—— 経験を積み、このまま同じ会社で働き、出世していく道もあったと思いますが、なぜ転職を?

Kさん:リーダーを任されることが多くなり、それなりの収入と仕事の内容で、プライベートも充実している。自分としては理想の会社に就職できて成功している人生を歩んでいると、一時は思っていたのです。しかし、尊敬していた上司が辞め、ふと周りを見渡した時、自分がこれからも一緒に仕事をしていきたいと、刺激を受ける人がいなくなっていることに気づいたのです。加えて、扱っている技術はレガシーなものが多く、難易度は高くない分、スキルアップもそれほど望めません。このままでは自分は思考停止に陥って、成長が止まってしまうのではないかと、焦りにも似た感情もありました。

—— 30代に入って、ちょうど将来のことを考える時期でもあったと思います。

Kさん:そうですね。今までを振り返り、この先を見つめた結果、考え方が変わっていきました。思えば、自分は社内で積極的に発言したり、提案したりするなど、保守的な社風の中では異質な存在でした。会社の非効率な部分、改善すべき部分について、上司や経営層に対して、様々な意見を訴え続けてきました。ですが、改善されることは無く、もどかしさを感じていたことも事実です。このままキャリアを重ねるより、そうした自分の提案や積極的な姿勢が、もっと生かせる会社に移ったほうが良いのではないか。そう考えるようになり、ここにしがみつくより、転職の可能性を探ってみようと思うようになったのです。

—— 転職サイトに登録し、色々なエージェントからオファーがあったかと思います。なぜリーベルを選んだのですか。

Kさん:これは、皆さんが評価されていることと同じですが、スカウトメールの文面が、自分の経歴をしっかりと見て考えていることが伝わってくるもので、他社に比べて任せられる安心感が圧倒的にあったからです。さらに、リーベルの担当者の方と面談して驚いたのが、「まずは転職することが本当に正解なのか、それで幸せになれるかを一緒に考えていきましょう」と言われたこと。「幸せになるためにキャリアを考える、その結果、転職しないという結論が出たら、それでもかまわない」という考え方で、自社の都合より本質を捉えた仕事ぶりであると感じました。何社かのエージェントとやり取りしていましたが、その姿勢に共感し、リーベル一本に絞ることにしたのです。

リーベルから真っ先に提案された企業がベストマッチ

リーベルの支援を受けることに決めた。自分の将来的なキャリアを検討し、転職活動も進めることにした。仕事への思い、希望などの条件を伝えると、担当者から真っ先に出た社名があった。そこから運命の歯車が回り始めた。

—— リーベルとの面談ではどのような条件を出されたのですか。

Kさん:まず、条件としたのが「収入」です。やりたい仕事であれば年収が下がってもよいという考えは全くなく、転職するからには年収アップが絶対条件でした。また、「ゼロからシステム開発」に携われること。生保のシステム子会社では、親会社から降りてきた案件を進めるのが基本で、転職先ではプライムとして、様々な提案をしながら仕事をしたいと思っていたからです。そして、最後が「社風」です。平たく言えば、自分とフィーリングが合う人が多い職場に行きたいということ。私は面白い人が好きです。自分のように実績に捕らわれずより良いやり方を提案できる人と息が合います。大きくはこの3つをポイントに候補の選別を依頼しました。

—— 正直ベースの条件で、わかりやすいです。

Kさん:こうした条件を提示した結果、リーベルの担当者から、「マッチするのはこの企業」と最初に提案された候補企業が、電通総研だったのです。他にもいくつかの事業会社や大手SI会社を示され、そのうち5社に対して応募し、いよいよ面接に臨むことになりました。

—— 電通総研の面接はいかがでしたか。

Kさん:率直に言って、とてもフランクで、まるで雑談をしているような雰囲気の面接でした。リーベルの担当者からも、そうした自然な感じの面接になることは聞いていたので、驚くことはありませんでした。ただ、担当者からくぎを刺されていたのが、そうしたカジュアルな感じの面接の中でも、しっかりとビジネスライクに話すことができているかを見ているということ。私はその点に気を付け、あまり砕けた答え方にならないようにしながら、自分をアピールすることを心掛けました。

—— 面接官はどの辺を見ていた印象ですか?

Kさん:私の受け答えの中で、どんな人物であるか、人となりを見定めていたのではないかと考えています。私は、自分の経験やリーダーについての考え方などを正直に話し、人間関係作りやマクロマネジメントの重要性を訴えたことが、評価されたのではないかと思います。
一方で、逆質問もしてみました。私が聞いたのが「事業部長(面接官)が担当する事業の業績が伸びているが、要因は何か」ということです。それに対する回答が「偶然です」の一言でした。この答えを言える人物はなかなかいないと思いました。もちろん、様々な施策を行ったのは間違いないのですが、それを「偶然」といえる度量の広さに、私は心を打たれたのです。「こうした面白い、ユニークな人がいる職場で働きたい」と思えた瞬間でした。

キャリアにとって重要な「自分の市場価値」を知ること

自分が行きたいと思える会社が見つかった面接。電通総研側からも高く評価され、内定を獲得することができた。だが、同時に面接を進めていた大手SI会社からも内定が出る。迷った末、なぜ電通総研への道を決めたのか。

—— 事業会社は縁がなかったものの、SI会社は大手から内定が出ました。

Kさん:それも、業務内容がモバイル系アプリのフロントの開発。私は前職で画面回りのUI/UXの開発を担当した経験があり、そのポジションには非常に興味を覚えました。電通総研にするか、その大手SI会社にするか、最後まで迷ったというのが正直なところです。しかし、最後は電通総研に決めました。仕事が面白そうな上、面接官の人柄に共感し、一緒に働きたいという気持ちが強かったからです。また、収入面の待遇が良かったことも、背中を押された要因です。

—— 電通総研に決まった今回の転職を振り返って、どんな思いですか。

Kさん:単刀直入に言って、収まるべきところに行くことができたのではないかと思っています。リーベルの担当者も「最初から電通総研に向いていると直感した」と後日話してくれました。その点で、真っ先に電通総研を提案したリーベルが、この流れの端緒を作ったとも言えるでしょう。この提案が、実は非常に大きなポイントだったのはないかと、今は感じています。

—— では、最後に読者の方々にアドバイスを。

Kさん:何らからの理由で「辞めて他に行きたい」と少しでも思っているなら、一度は転職活動をやってみたら良いのではというのが、私の意見です。一つの会社に固執するような時代でもないですし、能力的にはもっといい待遇を受けてしかるべきなのに、それを知らずに働いているというパターンも無きにしもあらずだからです。

—— そうしたことを知るのはなかなか難しいです。

Kさん:それが、転職活動をすると、知らなかった様々な情報が次々と入ってくるのです。それは、もちろんリーベルのような業界を隅々まで熟知している、人材のエキスパートからの情報もあれば、面接官から得られる業界の情報もあります。今、業界ではこうした技術やビジネスが最先端で、こんな人材が求められているということが把握できるだけでも視野が広がり、従来とは全く違う光景が見えてくるのです。
そして、もう一つ大事なのが、自分の市場価値が分かることです。今の収入にどれだけプラスしてもらえそうなのかが、はっきりするのです。これを知ったうえで、転職をするかどうかを判断しても良いと思います。

—— 自分の市場価値を知ることは、キャリアにとっては重要なことですね。貴重なアドバイスをありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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