- プロフィール
- 国立大学卒業後、外資系IT大手の子会社である中堅SI会社に入社。金融業、製造業の顧客向けのシステムインフラ構築に従事。その後、大手通信・IT会社に転職し、クラウドエンジニアとして、パブリッククラウドを利用したサービスの開発に携わる。再度、SI会社で力を発揮するため、リーベルの支援を受け転職活動に挑み、野村総合研究所(NRI)の内定を獲得。
親会社のソフトウェアの導入、データセンターでのプライベートクラウドの運用、そしてプリセールス。超上流からシステムの設計、構築、テスト、保守運用まで経験した。
同時に自己研さんを重ねた。AWS、Azure、Google Cloudと、複数の資格を自主的に取得。将来のキャリアに備えた。
その技術力を活かすため、1度目の転職で移ったのが大手通信・IT会社だ。パブリッククラウドを利用したサービスの開発に従事。評価され、マネージャーへの昇進も果たした。
だが、開発をする中である気持ちが芽生えた。それは、もう一度SI業界に戻り、顧客とじかに接して課題解決をしたいという思い。
30代後半での2度目の転職活動。本命は野村総合研究所(NRI)。リーベルの支援を受け、あらゆる手を尽くした。結果、内定を勝ち取った。
SI会社から事業会社、そして再度SI会社へ。思い通りのキャリアはなぜ実現できたのか。内定を引き寄せたリーベルならではアシストとは何か。存分に語ってもらった。
インフラエンジニアとして経験を積み、自己研さんも重ねる日々
地方都市で生まれ、地元の大学に通った。就職では地元を出て、関東で働きたいという思いが強かった。どの業界が自分に合うのか。思い出したのは、パソコンが好きだった子どの頃の原体験。就職先に選んだのはIT業界だった。
—— 大学卒業後、就職先となった会社を選んだ経緯は。
Nさん:私は地方都市に生まれ、高校、大学と地元の学校に通いました。就職先を考えた場合、ひとつは地元を出て首都圏で仕事をしたいという思いがありました。もうひとつ検討したのが、どのような業界の仕事に就くかです。自己分析をする中で、思い出したのが、子供の頃、母がパソコン教室の講師をしていた関係で、小さい時からパソコンに慣れ親しんできたこと。その原体験をきっかけに、たどり着いたのがIT業界でした。以後、IT業界を軸に面接を受け、内定が出た外資系IT大手の子会社である中堅SI会社に入社することになったのです。
—— 入社後はどのような業務に従事しましたか。
Nさん:その中堅SI会社には13年ほど在籍しましたが、携わった仕事の種類で、前半、中盤、後半に分けることができます。前半は親会社のシステム統合運用管理ソフトウェアを使ったセキュリティ関係のソリューションを顧客企業に導入する業務がメインでした。顧客との接し方、話し方、提案の仕方を学ぶ機会が多かったと思います。
入社4年目からは部署が変わり、データセンター(DC)での勤務となりました。これが中盤です。DC内でサーバーやネットワーク機器、ストレージを組み合わせ、プライベートクラウドを構築して顧客に提供し、運用するのが主な仕事です。24時間365日で対応する必要があり、障害が起きて夜中にDCに駆けつけることもありました。きつい仕事でしたが、20~30人のエンジニアが一丸となって障害を復旧させる業務は、終わった後に達成感があり、やりがいを持って行うことができていたと思います。
—— システムの構築から運用まで幅広く経験されたのですね。
Nさん:さらに、後半には営業担当者に同行し、そのプライベートクラウドを外販することが主業務になりました。それまではDCでシステムの中流から下流を経験し、今度は顧客向けに要件を定義したり、グランドデザインを設計したりするなど、超上流から上流のフェーズに携わるようになったのです。そこでは、製品としてのプライベートクラウドをどうやって顧客のビジネスにうまく結びつけて提案できるかというプリセールスのスキルが鍛えられたと考えています。
—— 業務と並行して、パブリッククラウド系の資格も数多く取得されたようですね。
Nさん:AWSを使ってPoC(概念実証)を行うプロジェクトに携わった後、せっかく知った技術を体系的に身に付けたいと思って、自主的に関連する資格を取り始めたのが発端です。勉強の仕方はシンプルで、私用のパソコンにサーバーを立て、毎晩9時から10時まで決まった時間に手を動かして覚えていくのが基本です。
—— 経験を積み、資格も取得していたさなかに、転職を決断されています。なぜですか。
Nさん:30代半ばを過ぎた頃から、自分のキャリアについて改めて考えるようになりました。当時、世間ではAWSを使ってインフラを構築する事例が多くなり、私も経験を積みたいと思っていたのですが、その中堅SI会社では機会がなく、取得した資格も活かせていない状況でした。今後は、そうした最新の技術を使ったプロジェクトを数多く経験しながらキャリアアップを図っていきたい。そう考え、他社に行く決心を固めたのです。
大手通信・IT会社に転職し、マネージャーに昇進後、再び転職へ
30代半ばで転職を決断した。候補として挙げたのがパブリッククラウドを使ったサービスを扱っている会社。自分の手を動かしてシステムやサービスを構築する中で、技術力を身に付けられると考えた。当時はリーベルではない他のエージェントの支援を受け、大手通信・IT会社から内定を獲得することに成功した。
—— 転職活動の経緯を教えてください。
Nさん:キャリアアップを図りたいという観点からSI会社や事業会社をピックアップし、応募しました。その中の1社が、大手通信・IT会社です。同社ではちょうどAWSなどを使ったサービスの開発を始めており、入社したら面白いプロジェクトに関われるのではないかと思ったのが応募した理由です。
面接はリモートで1回のみ。パブリッククラウドの勉強に関して、自宅に環境を作って手を動かしながらスキルを磨いていること、得られた知識をもとにブログで記事を数本書いて公開していることなどを話すと、面接官が関心を寄せ、話がとても盛り上がりました。自主的に自己研さんできる人物であると評価され、内定を出してもらえたのではないかと考えています。
—— 新たな職場ではどのような仕事を。
Nさん:当初はMSP(マネージドサービスプロバイダー)の部署に配属され、AWSなどを使ったクラウドシステムを顧客に代わって管理する業務を行うことになりました。私は一刻も早く技術をキャッチアップしようと、資格取得をスピードアップし、追加でAWSやAzureの資格を毎月のように次々と取得していきました。加えて、プロジェクトマネジメントの資格である「PMP(Project Management Professional)」も取得。最終的に資格の数は約30種類となっています。ひとつの資格を取るために得た知識が、関連する他の資格で役立つことがあるため、こういうものは一気に続けて受験した方が効率的というのが私の考えです。
その後、MSPの中でも新規事業を始めることになり、当時トレンドとなっていた、Kubernetes(クーバネティス)のコンテナ技術を使ってPaaS(Platform as a Service)を開発するプロジェクトが立ち上がりました。そして、私はキャッチアップの速さを買われ、その案件のプロジェクトマネージャー(PM)に抜擢されることとなったのです。
—— 入社して早々にPMとは、会社からの期待値の高さがうかがえます。
Nさん:社内で実例がないチャレンジングなサービス開発だったため、まずは自分自身がKubernetesの知識やスキルを身に付け、メンバーのキャッチアップを支援していきました。一方で大変だったのが、サービスに携わるステークホルダーが非常に多かったことです。開発メンバー、顧客に提供するデリバリーメンバー、運用メンバー、ビジネスプランを企画するメンバー、営業部隊など多数に上り、私としてもそれほどの多種多様な人たちの調整を行ったのは初めてでした。
—— 聞くだけで難しさが想像される案件です。
Nさん:そこで、私が行ったのが、各チームのリーダーと対話して距離を縮め、それぞれの価値観を知ることでした。仕事上でも、仕事から離れた場面でも何度もコミュニケーションをして、意思疎通を図る努力を重ねていったのです。結果、非常に良い関係を築くことができ、利害調整もスムーズに行うことができました。社内外で積極的に動く私の行動力は目立ち、その後は部長や統括部長クラスの管理職からも声を掛けられて会話する機会が増え、自分の存在をアピールすることにもつながりました。そして、プロジェクトは順調に進み、最終的に新規のPaaSの開発に成功。その成果物と案件の進め方が認められ、私はマネージャー(課長)に昇進することもできたのです。
—— 積極的な行動が奏功したようですね。しかし、そうした中、再び転職を考えるようになります。
Nさん:PaaSが出来上がり、次のフェーズとして、私は導入を検討する顧客と折衝する機会が増えました。ずっと開発をやっていたため、顧客と話すのは本当に久しぶりでした。そうして顧客と対面して課題を聞き、「それならPaaSを用いてこんな使い方をすればミートできます」と、解決策を提案することが多くなり、SI会社が行うような提案業務が、非常に面白く感じられたのです。そこで気付いたのが、自分はものづくりも好きだが、それ以上に顧客と話をして課題にミートできるように調整していく仕事の方が好きであり、向いているということ。
ただし、開発部隊の課長となってしまった以上、今後はまた他のサービスを開発する陣頭指揮を執る役割が多くなり、顧客との折衝は少なくなるか、ほとんどなくなることも想定されます。であれば、自分の気持ちと正直に向き合い、再度転職し、面白いと思えることに挑戦していく方が自分らしいキャリアを作れるのではないか。私はそう考え、事業会社から、もう一度古巣のSI業界に戻ることにしたのです。
なぜSIに戻るのか、そしてなぜNRIなのかを深掘りする
思い立ったら即行動。再度転職をしてSI業界に戻る決心をした。戻るからには、以前より大規模で社会的な影響力があるプロジェクトに携わり、世の中に貢献できる企業に入りたい。そんな思いを秘め、最初はエージェント抜きで転職活動に臨んだ。
—— 2回目の転職活動。どのように進めましたか。
Nさん:最初、自力でやってみようと思い、登録すると企業から直接連絡をもらえるサービスを活用。登録後は各社の人事の方からオファーが数多く届きました。内容は、「ぜひ来ていただきたい」と非常に前向きなトーンです。ですが、面接で現場の管理職の方と会って話すと、私がエントリーシートに書いたことさえ共有されてなく、話がかみ合わず、採用したいという意欲も感じられなかったというのが正直なところです。その調子で3、4社の面接を受けたのですが、話は弾まず、人事のオファーメールとのギャップを感じざるを得ない状況でした。このままではだめだと考え、やり方を変えることにしました。
—— 次はどのような方法を。
Nさん:OpenWork(オープンワーク)という社員や元社員が会社を評価するウェブサイトがあり、そこを利用することにしました。色々と調べた結果、私が転職先の大本命と位置付けたのが、大手企業を顧客に持ち、社会のインフラを支える役割を担っている、野村総合研究所(NRI)です。OpenWorkにアクセスすると、ちょうどNRIの求人も載っており、それを見たところ、応募や面接に当たり、相談や条件交渉をサポートするエージェントとして提示されたのが、リーベルでした。
早速応募すると、すぐにリーベルからレスポンスがありました。NRI以外にも、他の大手SI会社も転職先候補として提案され、非常に熱心で親身に対応してくれる点に好感が持てました。リーベルなら任せられると思い、支援をお願いすることにしたのです。
—— リーベルの支援で有益だったことは。
Nさん:NRI以外の候補企業の詳細な情報や、各社の質問例を示した想定問答集を提供してくれるなど、有益なことは多かったのですが、私が助かったと感じたことのひとつが、大本命のNRIの面接を最終盤に設定し、その前にその他のSI会社の面接が行えるように、順番を考えて各企業と調整してくれたことです。最初の方の面接は失敗も多くあると想定され、その反省を踏まえて対策を練り上げ、最後のNRIの面接に臨む作戦です。
—— 実際の面接では失敗も多かったのですか。
Nさん:はい。例えば、当初、今回SI会社に再び戻る形になる理由や目的について、「顧客とじかに話をして、課題解決をしたいから」などと、ややぼやけた感じの答え方になってしまい、面接官の反応が良くない場面もありました。そこで、その都度、リーベルの担当者にフィードバックし、どこが悪かったか、どうすればよくなるかを分析しながら相談に乗ってもらい、回答のブラッシュアップを繰り返し行っていったのです。
—— リーベルとセッションを重ねていったのですね。
Nさん:次第に私の考え方も焦点が合ってきました。整理すると、元々SI会社にいた自分は、パブリッククラウドのサービス開発に携わりたいと考えて事業会社に移った。しかし、社内に閉じた仕事をする中で、外部の顧客と折衝する機会を得たときに、自分のやりたいことや強みに気付き、再度SI会社に戻る決心をしたということ。そうした中、私がこだわってきた技術や知見を活かすには、NRIの技術志向を重視する基盤ポジションがマッチしており、その道こそが次のキャリアを切り拓くことにつながる――。
リーベルの担当者と話す中で、NRIと自分がいかにマッチしているか、そのマッチ度がいかに高いかが見えてきました。それを私なりに咀嚼していくことで、なぜ自分がNRIを志望するのかの腹落ちがより深くできたのです。こうして候補者と企業のマッチ度をしっかりと分析できるのも、リーベルがそれぞれの企業の内情をよく知り、何が最適な選択かを考える材料を与えてくれるからだと思います。こうした過程を経て、私は大本命である、NRIの面接に臨んだのです。
話しがかみ合いうまくいった面接、そして内定へ
転職活動の最終盤で迎えたNRIの面接。現場の管理者、役員、人事の計3回の面接で全ての勝負が決まる。リーベルと相談しながら研ぎ澄ましていった自身の思いや考え方は、面接でどのような成果をもたらしたのだろうか。
—— NRIの最初の面接は現場の管理者によるものでしたね。どのような面接でしたか。
Nさん:技術的なことを聞かれつつ、なぜ再びSI会社に入りたいと思ったのか、なぜNRIなのかという質問も受けました。それに関しては、事前に深掘りして自分の考えが整理されていたので、自信を持って答えることができました。すると、面接官は深くうなずき、心に響いている様子が分かり、非常に良い反応を得ることができたのです。
また、アーキテクトとして、最も大切にしていることも聞かれました。私は、この点については日ごろから深く考察していたので、「よくぞ聞いてくれました」という思いでしたね。私は「システムをどうアーキテクトすればバリューを出せるかという点が最も重要」という考え方を軸に回答。その面接官の方もとても技術に明るく、メタの視点から技術をどう組み合わせれば、顧客にとって最大の価値を出すことができるかを、いつも意識しているとのことでした。話や思いがかみ合い、面接は非常にうまくいったと思います。
—— 1次面接はクリアし、その後の2次面接は役員が面接官でした。
Nさん:私からもどんどん質問をして構わないということだったので、「役員という立場になるためにはどうすればよいか」「マネージャーとしてはどうあるべきか」ということを積極的に聞きました。上に立つ人の考えを純粋に知りたかったからです。併せて、その役員の方の答えに対して、自分の考えも述べることによって、私がどういう思考の持ち主なのかを伝えようと思いました。一方的に自分が話すより、相手の答えを受けて考え方を伝えた方が、話も盛り上がって、面接がうまくいくのではないかと考えたのです。結果、ここでも話がかみ合い、マネジメントに対する考え方でも一致していると実感することができました。そして、2次面接も合格となり、その後の人事との面接も無事通過し、晴れて内定を得ることができたのです。迷うことなくNRIに入社することを決断しました。
—— 今回、大本命のNRIの内定を得られた要因をどう分析しますか。
Nさん:リーベルの担当者の存在は大きかったと思います。面接でいきなり大本命に挑むのではなく、修正できる機会を何度か設定し、そのたびに何が良かったのか、悪かったのかを一緒に考えてくれて、自己分析を深める過程を踏めたことが、成功のポイントだと考えています。
—— では、読者の方々に最後のメッセージを。
Nさん:現在皆さんが勤められている会社では、日々様々な業務をこなし、色々なことを感じていると思います。その瞬間、瞬間に感じたことに対し、1度立ち止まって向き合ってみるのも大切ではないかというのが私の意見です。そこで違和感を覚えたのであれば、それが転職のサインになるかもしれません。私の場合、顧客と折衝する中で、自分がやりたい仕事はこれだと思い、その気持ちに嘘をつくことなく行動に移し、最終的に次の舞台に立つことができました。今は売り手市場で、年齢に関係なく転職できる環境が整っている時代でもあります。
—— 自分のやりたいことが他にあるなら、今なら行動に移して成功する可能性も高いということですね。ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。