転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

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三井物産セキュアディレクション株式会社(MBSD)

K.Nさん

経験7年以上のSOCアナリストがさらに技術を磨くために決断
30代後半で最高水準のサイバーセキュリティ専門会社に転職

プロフィール
関東の私立工業大学工学部を卒業後、中堅通信システム会社に入社。2年弱在籍後、中堅IT会社に転職。業務で担当したサイバーセキュリティ分野で経験を積み、サイバーセキュリティ専門会社に転職。さらに、転職する上司に誘われ、大手ソフトウェアテスト会社に転職し、SOCの立ち上げに携わる。今回、リーベルの支援を受け、三井物産セキュアディレクション(MBSD)への転職に成功。

プラントなど現場での仕事に興味を持ち、就職した中堅通信システム会社。工場の監視カメラやテレビの設置など現場での工事に汗を流した。
だが、この仕事を続けていくことに抱いた違和感。2年も経たずに転職した先が中堅IT会社。そこで、任されたのがサイバーセキュリティの仕事だった。
さらに実力を付けようと、サイバーセキュリティ専門会社に転職。しかし、会社の方針でSOCビジネスが縮小することに。在籍僅か10か月でまた転職へ。
上司と共に移ったソフトウェアテスト会社では、ゼロからSOCの立ち上げに携わった。セキュリティのスキルを磨きたい一心で繰り返した転職。気づけば30代後半になっていた。
ただ、仕事は技術営業やセミナーの講師などが主で、本意ではなかった。果たしてこのままで良いのか。決断した4回目の転職活動。三井物産セキュアディレクションへの転職を決めた。
「尖った技術力があるわけではない」と自覚していた候補者が、なぜ最高水準のサイバーセキュリティ専門会社から内定を勝ち取れたのか。その真相に迫る。

サイバーセキュリティ製品との運命的な出合い

大学で主に電気回路を学び、就職先に選んだのが中堅通信システム会社。机に座って行う仕事でなく、現場で体を動かして機器の設置などができる点が面白そうだと感じた。だが、業務を行ってみると、そこに自分の未来はなかった。

—— 現場で仕事ができて、顧客に提案営業もできる点に共感し、中堅の通信システム会社に就職されました。

Nさん:当時、私が主に従事したのが、プラント内の建物にあるアナログテレビを撤去し、屋上にアンテナを取り付け、デジタルテレビを設置する工事です。その他、プラントに監視カメラシステムを構築する工事にも携わりました。ただ、就職から1年経ち、徐々に違和感を覚えるようになりました。工事を行うには、当然、様々な技術を勉強する必要があるのですが、こうした機器の設置の勉強をこの先10年、20年と続けていくのは、モチベーションが持たないと感じ始めたのです。であれば、もっと他の勉強をしたいと思いました。

—— まだ就職して2年未満でしたが、早くも転職を考え始めた。

Nさん:そうです。早速、IT系の企業が集まる合同説明会に足を運びました。そこで、出合ったのが、主にインフラ系を得意とする中堅IT会社です。面接を受けてみると、すぐに内定が出て、転職することになりました。ただ、最初からエンジニアの仕事ができたわけでなく、1年間は官公庁のサーバー機器の管理業務がメインでした。様々な部門と調整し、導入するサーバーの台数を決め、設置後に必要なアプリケーションをインストールするといった地味な仕事でした。

—— その後、運命を決める案件にアサインされます。

Nさん:金融向けにセキュリティ製品を運用する業務でした。そこで初めてファイアウォールやプロキシの製品に触れ、1年半、セキュリティの仕事を行うことができたのです。実は、アサインされる前から少しずつ関連することを勉強していたのですが、その知識をそのまま使うことができ、初めてエンジニアらしい仕事に携われた案件でした。そこから、セキュリティの世界が面白く感じ、どんどんのめり込んでいったのです。
次の案件もセキュリティ関連で、今度は社内では誰も触ったことがない製品を担当することに。誰にも聞けないため、仕方なくベンダーに連絡をして、やり取りしながら知見を得ていきました。加えて、サイバー攻撃の分析手法や金融機関向けの非常に細かい報告フォーマットも自ら作っていきました。最終的には、当時はやり始めていたランサムウェアを私が発見し、社内の対策チームを動かして駆除することにも成功。金融機関の担当者に感謝され、やりがいを実感することができたのです。

—— この会社では3年のセキュリティアナリストの期間を含め、6年近く在籍しました。ですが、転職を決断されます。理由は何でしょう。

Nさん:アナリストとして、一定の知識、実力が備わってきていましたが、触ることができたのは、金融機関向けの一つの製品のみでした。もっと多くのセキュリティ製品を自分で検証し、導入や運用を行ってみたいと思ったことがきっかけです。もう一つは、当時の会社にはセキュリティに詳しいメンバーが少なく、他の会社に移り、ベテラン技術者などからより知識やスキルを吸収したいと考えたこと。転職活動では、セキュリティ領域に絞って応募し、その中でサイバーセキュリティ専門会社に内定し、転職することができたのです。

“丸投げ”のSOCを立ち上げ、大ヒットするも抱えた葛藤

セキュリティ専門会社への転職を果たした。だが、そこで思いもよらぬ展開が待っていた。会社の方針が変わり、携わっていたSOC事業が縮小の方向へと舵が切られたのだ。そのまま会社に残るか、それとも別に活躍の場所を探すか——。

—— 様々なセキュリティ製品を扱っているベンダーに転職されました。実際の業務はどうでしたか。

Nさん:既存の製品だけでなく、新しい製品の検証も任され、充実した日々を送ることができました。ですが、その時は突然やってきました。会社の経営陣が、顧客の会社がウイルス感染を起こさないための社員のメール訓練など、いわゆるセキュリティ教育を柱とすることを決め、SOC事業は縮小していく方針を打ち出したのです。つまり、SOCのメンバーはやることがなくなり、会社に残るには教育事業への配置転換を受け入れるしか道がなくなりました。

—— これからという矢先に厳しい現実でした。

Nさん:そんな時、SOC事業を束ねていた上司から「SOC事業を立ち上げようとしている会社がある。そこに一緒に移らないか」と打診を受けたのです。私を含めメンバーは今後もSOCに携わり、セキュリティ製品を扱っていきたかったので、この誘いに乗ることにしました。こうして、僅か10か月在籍したセキュリティ専門会社を後にし、私は4社目の会社へと転職することとなったのです。

—— 転職した先は大手ソフトウェアテスト会社で、新たなビジネスの柱としてセキュリティ事業を育てようとしている最中でした。

Nさん:そうした状況の中で、前職の上司が部門長となり、私たちはSOC事業をゼロから立ち上げることになったのです。問題は数あるセキュリティのサービスの中で何を提供していくかです。そこは、部門長が、今後伸びていくと予想されるEDR(Endpoint Detection and Response、ネットワークに接続されているPC、サーバー、スマートフォンなどのエンドポイントを監視し、サイバー攻撃を発見して対処するソフトウェア)に注力する方針を打ち出しました。しかし、そうはいってもEDRの関連製品はたくさんあります。私たちは、製品を検証し、サービスの仕様書や約款、提案書を一から作り、ビジネスのベースを固めていきました。

—— SOC事業をゼロベースで作っていくのは貴重な経験ですね。サービスの特徴についても少し教えてください。

Nさん:SOCのビジネスを行っている会社は数多くあります。課題はその中で後発の自分たちがどのような差別化ポイントを提供できるかです。その一つは、それぞれの顧客の状況に合ったEDR製品を提案できる力があること。これは綿密な検証によって各製品の特徴を見極めることで、提案力を磨くことができました。
そして、もう一つのポイントが、ウイルスに感染したファイルを発見した際、それを駆除するところまで行う“丸投げ”のサービスを提供したこと。当時、ファイルを消すのは責任重大のため顧客に任せていた事業者が多く、それも含めて請け負う丸投げは大きな差別化となりました。立ち上げ初年度こそ1社、2社の契約でしたが、そこからぐっと伸び、3年目には100社を超える契約を取ることができたのです。

—— 立ち上げだけでなく大きな成果も得られ、これからさらに飛躍をしようという時に、4回目の転職を考えるようになりました。理由を教えてください。

Nさん:実は、SOC事業の営業部隊が存在せず、営業は部門長と私が行っていたのが実態でした。また、拡販するために多くの顧客を集めてセミナーを開いたのですが、その講師も私が務めました。それまで営業の経験は無かったのですが、もちろん、やるからには力を尽くしました。人間、数をこなせば慣れてくるもので、顧客へのプレゼントークやプリセールスする力は伸び、セミナーでも話をするスキルが高まり、契約に貢献できたという自負はあります。

—— 新たにスキルが備わり、それを強みに生きていく選択もあります。

Nさん:ですが、私は話が得意になっていくほど、自身の中で葛藤が生まれるのを感じていました。本当はもっと技術を極めたい。EDR以外の領域で新しいセキュリティ製品やクラウドにも携わってみたい。しかし、今のままではそれはかなわず、契約が増えれば増えるほど、自分のワークバランスは崩れてしまう可能性があります。「自分がやりたいことをやるには、結局立ち戻ってセキュリティ専門のベンダーに行くしかない」——。そうした気持ちが芽生え、私は再度、転職活動に挑む決心を固めたのです。

30代後半の転職で不安を抱えながらも、しっかりと準備

ただし、30代後半での転職は不安もあった。この年代では、管理職での求人が多く、自分のように技術志向で果たして転職がかなうのか、定かではなかったからだ。一見、不利とも思える状況の中、どのようにして準備を進めたのか。

—— 30代後半で4回目の転職となります。どのような思いでしたか。

Nさん:正直、あと5歳若かったら何のためらいもなく、転職活動に臨めたと思います。しかし、30代後半ともなるとマネジメント職の求人が多くなることが予想されます。周りを見渡してみても、同じ年代の友人は課長になっています。一方で、私は技術をずっとやってきたわけではなく、前職では営業や講師の仕事が大半。確かに色々製品を触ってきたので、技術力はそれなりにありますが、決して尖った技術を持っているわけではなかったのです。かつ、管理の部分では、10人以上のチームのマネジメント経験はありましたが、各人の業務の評価などは行っていません。技術者としても管理職としてもある意味、中途半端とも見られてしまう自分に行き先があるのか、不安を感じていたのは事実です。

—— ただ、そうした中でも一歩を踏み出し、転職サイトに登録。リーベルからコンタクトを受けました。

Nさん:色々な人材紹介会社からオファーメールを受けました。その中で、リーベルのメールは他とは全く異なるものでした。前職の会社の方針や私の立場について具体的な言及があり、それがことごとく的を射ていたのです。例えば、数年前に社長が交代し、ソフトウェアテストメインのビジネスから2本目の柱としてセキュリティを強化していること、その中で私がセキュリティの事業をけん引していると想定されることなど。この担当者は本当によく調べているなと感心しました。同時に、こうした熱心な担当者であれば、私の思いをくみ取り、ベストな企業を提案してくれるのではないかと思い、リーベルに支援を依頼することに決めたのです。

—— 実際、リーベルの支援はいかがでしたか。

Nさん:私の希望を聞いた後、約20社の候補の提案があり、どれも納得がいく企業ばかりでした。その中から三井物産セキュアディレクションも含めた5社をピックアップして応募したのですが、非常に助かったのが、レジュメの添削と面接練習です。前者では、全般的にわかりやすくするための修正箇所を指摘していただくとともに、「技術に関して自己研さんしていることがあれば加筆を」と、助言をいただきました。私はクラウド環境を自身で構築してテストをしたり、攻撃術を知る観点でハッキング技術も勉強したりしており、その点を厚めに記載することで、学ぶ姿勢をアピールするレジュメに改善することができたと考えています。

—— 面接練習もしっかり行ったのですね。

Nさん:はい、これも非常に有意義でした。当初、私は各社の求人内容を大まかに把握していたのですが、詳細を見て自分の志望理由を検討していませんでした。リーベルの担当者には、「それでは面接で突っ込まれ、答えが曖昧になってマイナス評価になる」と指摘されたのです。それを受けて、もう一度求人内容を事細かに読み込み、各社で異なる回答を用意することにしました。
さらに、私はやりたいことが、あれもこれもと多すぎて「軸がない」のも問題点として挙げていただきました。そこで、本当にやりたいこととして、クラウド関連の製品が1つ、様々な企業からニーズがある製品が1つの計2つに絞り、訴求することにしました。こうして、話す内容もブラッシュアップされ、私は準備万端で面接に臨むことができたのです。

面接で問われたのは、その技術が「本物」であるか

応募先はどこも著名な会社ばかりの5社、本命は三井物産セキュアディレクション。最高水準の技術力を持つ同社に、尖った技術を持たないと自覚する候補者が挑んだ。果たして、どの点が評価され、内定獲得につながったのか。

—— 実際の面接で、何を聞かれてどう答えられたのか、教えてください。

Nさん:三井物産セキュアディレクションの面接で印象に残っているのは、とにかく一つひとつの実績を深掘りして突っ込まれたことです。例えば、「この製品を検証してサービスで売っていた」と話せば、製品についてどこまで知っているのかを問う質問を矢継ぎ早に受けました。また、前職で顧客に報告会を行うための資料を作成していたことを話すと、どんな内容でどのくらいのペースで作り、実際の報告会はどのように行ったのか、これもかなり具体的な内容を聞かれました。

—— ポイントは「具体性」ですね。

Nさん:さらに、チームのトップとしてメンバーのスキルを底上げするために勉強会を行っていたことを言うと、こちらもどんな内容だったかを深掘りされました。こうして深く聞くことを通じて、私がチームや部門単位ではなく、個人としてどこまで自分の手を動かし、知識や技術を習得しているのか、その経験や技術が「本物」であるかを見極めていたのだと思います。さすがに技術者気質の強い会社だと思いました。私は、全て自分がメインで行ってきたことなので、すらすらと答えることができ、面接としては非常にスムーズに進めることができたと考えています。

—— 実績を話すことで、主体的に動ける人物であり、培った技術も本物であることはアピールできたと思います。その他に評価されたと思われることは?

Nさん:技術を自己研さんしている点も評価が高かったポイントでした。加えて、前職での営業やセミナーで「顧客と話せる」ことも、面接官が注目した点だったようです。同社は技術に優れた人材は多いものの、話すのが得意でない方もいるようで、トークスキルがあることは、組織として足りない部分を補う武器になると捉えられたと思っています。総評として、尖ったものではないが一定の技術を持っており、自己研さんするモチベーションがあるため、入社してから補える可能性が十分にある。なおかつ、顧客と話せる力があり、貴重な人材と考えられると評価を受けられたのです。嬉しかったのは、2次面接の最後に、「ぜひ当社に来ていただきたい」とその場でオファーされたこと。こうして、私は第一志望の企業から内定をいただくことができたのです。

—— その他の候補先の面接はいかがでしたか。

Nさん:最終的に、5社中4社から内定を得ることができました。大手SI会社のセキュリティ部門のエンジニアやセキュリティコンサルタントなど、どれも魅力的な企業・職種でした。特に、コンサルタントに関しては、年齢的にもその道に進むのか、あるいは技術者としてキャリアを積んでいくのかの岐路。ですが、顧客と話ができると言っても、コンサルタントとしてやっていけるかどうかは未知数であり、多額の年収をもらって、それに見合う貢献ができるかとなると、自信はありませんでした。色々と考えを巡らしましたが、やはり、三井物産セキュアディレクションで技術者としてやって行きたいというのが本心でした。
一方で、家族の意見も私の背中を後押ししました。面接はすべて自宅の自室でリモートによって行われましたが、リビングで私の声の調子を何となく聞いていた妻が、「三井物産セキュアディレクションの面接の時が一番楽しそうだった」と言ってくれたのです。自分も妻もイチオシは同じ会社。最後は迷わず、三井物産セキュアディレクションへの入社を決めました。

—— 最後に、これから転職を目指す方々にアドバイスを。

Nさん:私は、転職を何度か繰り返し、本意ではない仕事を与えられたり、状況が変化したりして、紆余曲折のキャリアを歩んできたと思っています。ただ、いつも心掛けていたのは、どんな状況になろうと、直面した仕事を全力で一生懸命行うことです。結果、一定の技術を得ることができ、顧客と話す力も身に付けることができました。面接では、そうした私の仕事に対する姿勢も見ていただけたのではないかと考えています。
また、私のように30代後半以降になると、管理職の立場を求められる求人が大半であると思いがちですが、最近では技術に特化したジョブ型の求人も多く、年齢がある程度いっていてもチャンスはあるというのが、今回転職活動を行った上での実感です。年齢のことであきらめず、まずはリーベルのような人材紹介会社に相談して、可能性を追求していただければと思います。

—— セキュリティ領域に限らず、30代後半からでも特化型のポジションへの転職が可能であることは、様々な方々にとって希望となりますね。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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