- プロフィール
- 私立大学工学部卒業後、システム開発会社に入社。その後、ITコンサルティング会社に転職。さらに、ビジネスに直接貢献できる仕事を求め、リーベルの支援を受けてリクルートテクノロジーズ (2021年にリクルートに統合) に転職。数年後、自らが描く組織論を具現化するためにセブン&アイ・ホールディングスに入社。
3社目となるリクルートテクノロジーズでは、ビジネスに直結するシステムの開発を担う。それと同時に、プロダクトの運営、組織のコスト管理、人のマネジメントまで幅広く経験した。
そして、コロナ禍で4社目となるセブン&アイ・ホールディングスへ転じる。同社では、DX組織の立ち上げやSIer完全依存からの脱却に注力し、「どうすればすべての人が活躍できるようになるのか」、「なにを内製化し、なにをSIerにお願いするのか」という根本的な問題に向き合い、日々奔走する。
プログラマーから始まったキャリアは、紆余曲折を経て、40歳を境に組織づくりを担うマネジメントへと進展を遂げている。実際、どんな仕事に従事し、何にやりがいを感じているのか。どうすればそうしたキャリアップが可能になるのか。最終的にマネジメント職に至る、理想的なキャリアの一例について、その顛末を追う。
30代半ばでリーベルの支援を受けリクルートテクノロジーズ (現リクルート)へ
ビジネスに貢献するために、自分は何をやるべきか――。最初の会社に入社した時も、その後、転職を重ねる際も、常に自問自答してきた。それが自身のキャリアアップの原動力となり、自分の人生を切り拓いてきた。
—— 就職後、3度の転職を経験されています。2度目の転職ではリーベルが支援しました。まずは、ご自身のキャリアを振り返ってみてください。
Gさん:大学卒業後、就職したのは大手通信会社のシステム子会社でした。親会社が保有する研究所と密接に連携しており、私は映像系システムなどの開発にアサインされ、自分なりにやりがいを感じていました。しかし、27歳の時、このままキャリアを重ねることに不安を覚え、転職を決意しました。当時は2000年代前半でしたが、私が担っていた基礎研究の領域は製品やサービスになるのに時間がかかるのに対し、世の中はOSSやJavaなどが台頭し、ADSLや光回線が広まるなどめまぐるしく動いていました。(新宿駅東口では「インターネットいかがですか?」と赤い袋が配られていた時代です)
その時間軸のギャップはあまりに大きく、自分も世の中の動きに乗り、実践的な技術力を身に付けると同時に、タイムリーにビジネスに貢献していきたいという思いが強まりました。
—— 転職し、2社目はITコンサルティング会社に入社しました。
Gさん:他のシステム会社で手に負えなくなったプロジェクトを、いわば「最後の頼みの綱」としてピンチヒッターの役割を請け負うような会社でした。私がアサインされる案件も、そうした厳しい状況のものが多く、絶対に失敗できないプレッシャーがかかっていました。そんな中で、なぜとん挫させずにシステムをリリースすることができたのか。要因は2つあります。1つは、理想論より現実論を優先し、リアリティのある施策に落とし込んでいったこと。世に出すことをしっかりやり切ることを意識しました。技術的な理想論ではなく現実的な路線に修正することが大切と、はっきりと物を申して、説得することにも力を注ぎました。
—— もう一つの要因は。
Gさん:所属していたITコンサルティング会社は実際に自分たちで設計・開発をしていたのですが、自分たちだけ良ければ良いのではなく他企業のエンジニアたちとともに一丸となれるようなチーム作りをしていたことです。自分の仕事の範囲を線引きせず、他社の領域にも進んで協力するように繰り返し言い続け、ギブアンドテイクの関係を作ることに力を注ぎました。結局、プロジェクトがうまく回らないのは人の問題が原因であることが大半。それを解決することこそが、案件を前に進めるのに最も効果を発揮します。実際、人の問題を解決することでプロジェクトが息を吹き返すさまを何度も見てきました。
—— その後、リクルートテクノロジーズにリーベルの支援を受けて転職しました。
Gさん:ITコンサルティング会社での仕事も充実していましたが、徐々にシステムを開発すること自体が目的になっているように感じ、その先のビジネスにコミットできないことに物足りなさを感じていました。私がやるべきは、システム開発を通じてビジネスをより良い方向に導くこと。そんな信念を胸に、事業会社であるリクルートのサービス開発を担う、リクルートテクノロジーズに活躍の場を求めて、身を転じたのです。当時は36歳。私は30代半ばにして、2度目の転職活動を経て、3社目へとキャリアを進めていったのです。
ビジネス全般の多様な経験を積むも、決意した再転職
ビジネスにもっと貢献したい。そんな熱い思いを抱き、転職した先がリクルートテクノロジーズ。エンジニア志望で入った会社ではあったが、アサインされたプロジェクトで向き合ったのは、またしても「人」に関するものだった。
—— リクルートテクノロジーズではどのような仕事を。
Gさん:主に担当したのが、リクルートが提供するリクナビやホットペッパー、タウンワークなどのウェブサイトに実装されているキーワード検索機能や検索基盤の改善と運用です。エンジニアはたくさんいるのになぜか開発がうまくまわっていない。入社当初はリーダー、その後マネージャーに任用され、20人程度のメンバーをまとめていくのが仕事となりました。「優秀なエンジニアたちの能力をどう最大化すれば、ユーザーにとって使い勝手の良い検索を実現できるか」ということを考えながらシステム開発を推進していきました。
—— 30代半ばから40代にかけて、リーダーからマネージャーとなって、本格的に組織をマネジメントしていく業務がメインとなっていきました。
Gさん:エンジニアとしてのキャリアアップを軸に考えていましたが、年齢的にも人をまとめていくキャリアのフェーズに差し掛かっていて、上司からそうした役割を与えられました。私が最初にチームを率いることになって感じたのがエンジニア同士のコミュニケーションが不足していたことでした。
この状況を変えられるのはそれまで当事者としてそこに『いなかった』人だと考え、自らがコミュニケーションのハブになって解決に導きました。
ほかにも各メンバーの特性を考えてアサインの仕方を工夫したり、それぞれの強みが活かせるようにして、それでも弱い部分があれば私がそこを補ったりといった方策を地道に行っていきました。それによってチームの仕事が回るようになり、プロジェクトも安定的に稼働。仕事がうまくいくことでチーム内のコミュニケーション不足も改善され、プロダクトの開発も順調に進むという好循環が生まれるようになっていきました。
—— 自分の強みが発揮できると自信を持つことができ、仕事への意欲ややりがいも増していくと思います。よいマネジメントの仕方ですね。
Gさん:弱みや苦手なことばかりに目が行ってしまい、それをなくすように促したり、指導したりするのがよくある育成だと思います。一方で、個をあるがままに生かすという思想がリクルート流のマネジメントで、弱みがあっても、逆にそれを強みとする他の人にフォローしてもらえばよいではないかというもの。私もそれを受け、実践することによって、強いチームを作ることができたと考えています。
—— リクルートテクノロジーズでは、他にもさまざまな経験を積まれました。
Gさん:技術的な側面だけでなく、お金の使い方、人やプロダクトの管理や運営の仕方など、ビジネス全般に関わる多種多様なことを教えてもらい、実践できたことは、私のキャリアの中で大きな意味を持つ出来事でした。
—— そうして、多くの経験を積まれた同社を退社し、再び転職する道を選ばれました。きっかけはどういったことだったのでしょうか。
Gさん:これまでの経験を踏まえてゼロベースで自分が考え、動いたら、どんなエンジニア組織をつくれるのかを試してみたくなりました。ちょうどその頃、世の中はDXと言われ始めた時期でした。
4社目でプロジェクトと組織を立て直し、会社の変革を下支え
もう一度自分のキャリアのエンジンをかける。そんな思いを抱いていたタイミングで声をかけられ入社したのが、セブン&アイ・ホールディングスだ。本人にとっては4社目の会社。任されたのはビジネスサイドとのコミュニケーションを含むプロジェクトの安定化と組織づくりだった。
—— 新たな活躍の場を求め、セブン&アイ・ホールディングスに転職されました。どんな役職に就いていますか。
Gさん:当初はソフトウェアエンジニア組織の課長職を、今は部長職としてふたつの組織を率いています。現在は7NOW(セブンナウ)という、セブン‐イレブンの商品を最短20分で自宅に届けるクイックコマースサービスの開発とディレクションを行っています。
さらに、もう一つ任されているのがグループの事業会社であるセブン&アイ・ネットメディアを含めた体制の再構築です。
—— どんな役割を期待され、どのようなことを行ってきましたか。
Gさん:プロダクトライフサイクルと照らし合わせるとそれぞれのフェーズで体制も変わるわけですが、長らく「ITを調達してきた」当社は多くのことをSIerさんに依存してきました。「すべてを内製化だ!」という方針転換もあるでしょうが、やはり社員エンジニアが得意とすること、大手SIerさんが得意とすることは違うわけで、不得手な領域を一生懸命やっても成果は出にくいですし、ハレーションが起きやすいと思っています。どう共存共栄していくか、対象を棲み分けていくかが大事と思っているので、そこの言語化と実践を通じて組織としての経験値の獲得を進めています。
—— 自身のキャリアとしては初めての小売・流通業の事業会社ですが、培ってきた経験によって、力を発揮できているようですね。違う業界から小売・流通業の最大手に来て、実感されることはありますか。
Gさん:この業界は店舗でのオフライン体験が中心でデジタルシフトも働き方の変化も相対的に遅かったのですが、当社も少しずつ変わってきています。服装規定の見直しやスライドワーク、在宅勤務の導入、エンジニアにとって重要な開発環境の整備など、変化も見られます。人事制度においても、「役割グレード制」という私の古巣であるリクルートの制度に近いものが導入され、仕事の質や量、幅、難易度に応じて報酬が変動するシステムとなっています。
私が所属する本部の部長職は中途入社組が多いですが、会社全体で見るとプロパー組が多いです。しかしお互いがお互いのキャリアと経験をリスペクトし、どう変わっていけるのかを前向きに考えていて、本部を超えた関係も徐々に増えてきているなと思います。
また、課長職を含めたメンバーの頑張りによって内製範囲も広がってきています。丁寧に・大胆に、を織り交ぜながら進めていますが、個人技を組織の力に変えていき、恒久的な仕組みや制度として残していけるかに今は力を注いでいます。それによって、強い組織を作っていくことが、今の私の一番の関心事です。
組織改編に挑む日々、大切なのは自分のWill(意志)
40代半ばを過ぎ、セブン&アイ・ホールディングスでの立場もあって、組織作りに興味も仕事の中身もシフトしていっている。今後、何を目標とするのか。そして、同じようなキャリアを目指したい人たちは、どんなことを心掛けるべきなのか。
—— ご自身のキャリアの方向性が技術からマネジメント、さらには組織作りへと変化してきています。興味が移った理由は。
Gさん:ひと言でいうと、「レバレッジが効くから」です。技術は自分自身が磨くかどうかにかかっており、いわば、私個人の問題です。それに対し、組織を作っていけば、自分一人では決してできなかった大きな成果を出すことができます。それに加え、自分が作った仕組みや制度によって、人が成長していくのを間近で見られることは率直に言って楽しいです。今、私は46歳ですが、こうして組織作りに携われるキャリアに移行できたことは、年齢的にも適齢であり、非常に良かったと感じています。
—— 今後はどのような組織作りに挑みたいですか。
Gさん:さっきも言いましたが内製とSIerの共存共栄です。あらゆる人、組織が輝ける状態が作れたら、そしてビジネス成長にコミットして活躍している状態が作れたらと思います。大企業が変われたら日本経済への影響、貢献も大きいと思いますので。
—— 目指すべき自分のキャリアは。
Gさん:とにかく「自分が正しいと思うことをできる」係になることを考えています。職位が必要なら職位を上げることになります。エンジニア出身者が行けるところまで目指さないと日本のIT産業は良くならないとさえ思っています。そのために必要なことはなんでもやっていきたいと思っています。
—— 最後に、どうすればGさんのように上へ上へとキャリアを積んでいけるのかを教えてください。
Gさん:小学生の頃はバブル経済真っ只中で、自分は就職超氷河期で出口が見えなくて、ここ数年は売り手市場で。そんな時代を生きてきた自分はいったいなにをすべきなのか、を大事にしています。
社会人時代はそれほど長くなくて、定年が60歳だとすると、46歳の私はあと13年と少しです。そんな短い社会人時代だからこそ、やりたいこと、すべきことは何かと日々考えることは重要と思っています。それを真剣に考えた先にこそ未来があり、結果、なりたい自分になれるのだと思います。
私も30代半ばまではあまりWillを考えないで過ごしていましたが、振り返ってみるともっとしっかりと考えておくべきだったと思います。でも30代半ばからでも遅くはないし、40代でも50代からでも考え始めて良いと思っています。
—— 日々忙しく働く中でも、自分が本当は何をやりたいのかを改めて考えるということですね。そして、それこそが成功を掴むための最も重要な鍵なのかもしれません。インタビューにご協力いただき、ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。