転職者たちの「今」

リーベルで転職した人たちは新たな舞台でどのようなキャリアストーリーを描いているのでしょうか。転職後の「今」に迫ります。

大手特許事務所

I.K さん

20代で大手コンサルティングファームに転職
退職後弁理士に転身し、“コンサル後”のキャリアを歩む

プロフィール
国立大学を卒業後、商社系のSI会社に入社し、SAPのBIツールの導入や保守を担当。専門性を武器に20代半ばの若さで大手コンサルティングファームへの転職に成功した。だが、超多忙な日々を送る中、自身の適性に疑問を感じ、退職。全くの異業種である弁理士に転身し、大手特許事務所に所属しながら、新たなキャリアの道を歩んでいる。
手に職を付けようとIT業界に入り、SAPのBIツールの導入や保守を数多く経験。専門性を生かしたキャリア形成を思い描き、20代半ばにして大手コンサルティングファームへの転職を果たした。
だが、そこから超多忙な日々が切れ目なしに続く。海外でのSAPの教育、オフショア開発による導入、国内での顧客対応。短期で結果が求められるハイプレッシャーな毎日に自身の限界を感じた。
他に自分の価値を提供できる場はないか。自分の適性を考え、見つけたのが「弁理士」という仕事。退職を決断し、新たな道に進むことを選んだ。
憧れてコンサルティングファームを目指す人は多い。だが、入社後、誰しもがうまく行くわけではない。その場合の“コンサル後”の生き方を、弁理士という仕事に転身した経緯と共に聞いた。

BIのスキルを活かすため社外に活躍の場を求める

国立大学の卒業を前に臨んだ就職活動。総合職を目指したが、面接で「女性は結婚して辞めるのではないか」という古い価値観を理由に落とされることもあり難航した。そこで方針を転換し、目を付けたのが、女性にもオープンで手に職が付けられるIT業界だった。

—— IT業界の会社を選んだ経緯を教えてください。

Kさん:当初は全く違う業界で総合職を目指していました。しかし、「結婚や育児の後に働けるか」「働けるならなぜそう言い切れるのか」と問い詰められ、結局最終面接で落とされることも少なくなかった。私は世間知らずで、女性がそうした目で見られるとは思っていなかったのです。そこで、どうするかと考えた時、当時私の周りでIT業界を受ける女性が多いことに気付いたのです。実力主義で、男女が同じように働くことができ、手に職も付けられる。これだと思い、方針転換していくつかの会社に応募し、その中でも面接官の人柄がよかった商社系のSI会社への入社を決めたのです。

—— そのSI会社で手掛けた仕事は?

Kさん:私が希望した配属先は「SAP関連」の部署。WebやJavaなどセンスが問われる業務より、知識やスキルを勉強して身に付け、顧客にパッケージをカスタマイズして導入するような「ビジネス寄り」の仕事の方が自分に向いていると考えたからです。希望は通り、SAPのBIツールを導入するチームに配属。財務状況の分析レポート、売り上げや営業状況を分析する業務レポート、あるいは経営層が見るようなKPIのレポートを自動的に作成するためのフロントエンドとバックエンドのシステムを、ERPを導入するチームと一緒になって構築・保守する仕事です。私は外販チームの一員として、商社やメーカーなどの企業への導入や保守を数多く経験しました。

—— 中でもご自身が成長したと思えたプロジェクトは?

Kさん:1年間の長期プロジェクトで、大手専門商社に新規でSAPを導入した案件です。私はチームのメンバーと共に、顧客のエンドユーザーや情報システム部から要件や事情を聴きながら、その商社の情報子会社とも連携し、プロジェクトを推進。最初のフェーズから最後まで導入の経験ができたことは、非常に勉強になり、自分が伸びたと実感もできました。顧客にも「便利になった」と評価され、やりがいも感じることができたのです。

—— ただ、4年目に入り、転職を決意されています。理由は何でしょう。

Kさん:BIの専門チームが解散してしまい、メンバーはERPチームに吸収されることになったのです。会社としては、BIだけでなく財務会計や管理会計など他の領域のシステムも担えるようにする意図があったようです。しかし、3年間ずっと会計に携わってきた同期とは明らかに差が付いており、新人と同じような業務を命じられる可能性があることに、私は不安を感じました。そうであれば、せっかく身に付けたBIのスキルを他の会社で活かす道の方が自分のキャリアにとって良いのではないか。そう思って、転職を決意したわけです。実は、私も含めて同期で入社した女性のうち、私と同じ部署に配属された4人は全員転職しています。他部署の同期も含め、転職が選択肢であることを話す機会もあり、自分のスキルを活かすために転職すると決めたのは、むしろ自然な流れだったと思います。

全てが満たされ、全てがストレッチ目標になった

リーベルの支援を受け、転職活動に挑んだ。SAPのBIツール導入のスキルと実績は高く評価され、20代半ばの若さで大手コンサルティングファームの内定を獲得した。だが、待っていたのは、想像を絶する超多忙な日々だった。

—— 転職活動ではリーベルの支援を受けました。経緯を教えてください。

Kさん:最初に入った商社系SI会社の同期の女性が、リーベルの支援を受けて大手コンサルティングファームへの転職に成功しており、その紹介がきっかけです。他の人材紹介会社は「早く応募しましょう」と急かす傾向がありますが、リーベルは無理に転職を押すことはなく、会社に残ることも含めて選択肢の一つであるというスタンス。タイミングが合わなければ、今すぐに転職しなくても良いと考えていた私にとっては好都合でした。レジュメについても担当者は丁寧に見てくれて、修正点や書き方を的確に指示。面談で話す中で、自分の強みや各社の志望動機などに関しても頭の中が整理され、クリアになっていったことは大きな収穫でした。いわば転職活動における“コーチ”のような役割を果たしてくれて、非常に心強かったです。

—— 大手コンサルティングファームから内定が出た理由は?

Kさん:SAPのBIツールに関する知識とスキルが、面接でのやり取りを通して認められたからです。BI導入を担うポジションもあり、即戦力として貢献できそうな点も評価ポイントでした。面接官や社員の様子からコミュニケーションが取りやすそうな印象も受け、内定が出た時に即座に入社を決めました。

—— 実際、入社してどうでしたか?

Kさん:配属先は、当時最先端のインメモリー型データベース「HANA」を導入するチームでした。HANAは私にとって初めて扱うSAPのBIツール。加えて、そのコンサルティングファームの海外ブランチと共同でHANAを導入するプロジェクトで、開発チームのリーダーに抜擢されたのです。新しい製品を積極的に扱いたいこと、海外勤務を経験したいこと、そして、リーダー業務を行いたいこと。これらは私が入社に当たって希望したことであり、その全てが満たされたのです。しかし、それは超多忙な日々の始まりも意味していました。全てがストレッチ目標(能力より高い目標)となり、思いもよらぬハードワークを強いられることになったのです。

—— 具体的にはどのようなことを?

Kさん:12月に転職し、1月にはマレーシアに赴任してHANAのトレーナーとして現地の開発者らを教育。その後は設計者として入りつつ、オフショア開発のブリッジSEとして開発管理を行う日々。現地のネットワークの手配まで私が行わなければならず、入社間もない中で、どこの部署に依頼すればいいかも分からない状況でした。もちろん聞けば周囲の人たちは教えてくれるのですが、皆、超多忙なためタイミングを見計らないながら聞いて何とか進めざるをえません。そこで、初めて前職でいかに自分が同僚や先輩など周囲に支えられていたかが身に染みて分かりました。前職は典型的な日本型の企業で、「基盤の話であれば誰々に聞けば分かる」「先輩が話を通してくれる」など、“人のインフラ”が整っていたのです。

極限状態で仕事をする中で感じた自身の限界

最初のプロジェクトでストレッチ目標が一遍に与えられ、戸惑いながらもハイペースで仕事をこなしていった。短い間で一気に成長していく自分を実感したが、仕事中心の生活の中で、一抹の寂しさを感じる日も増えていった。

—— その後、プロジェクトはいかがでしたか?

Kさん:短納期でスピードも要求される案件だったのですが、開発の完了まではどうにか完遂し、その後のユーザの受け入れの段階でプロジェクトを抜けました。前職でも仕事を頑張ってきたつもりでしたが、この大手コンサルティングファームでは、「もっと頑張らなければならない」と実感。さらに、全てのことについて誰かが指示をしてくれることなく、最初から最後まで自分が判断してやらなければならないことも痛感しました。全てを自分事として考える癖が付いたことは、この間に成長できた部分です。

—— 短納期の案件が終わり、そこからはどのようなプロジェクトを?

Kさん:国内勤務だったのですが、その平時においても短納期の案件ほどではないものの忙しい毎日は変わりませんでした。東京に家があるのに、月曜〜金曜は基本的にクライアント企業がある大阪に出張してビジネスホテル暮らしが続きました。プロジェクトメンバーとは話しますが、それは前職のような家族的な対話ではなく、仕事の話中心のドライなやり取り。東京の知り合いにも会えず、自分の心には孤独感が募っていきました。

—— 26歳の若さで、大きな仕事を任される緊張感もあったかと思います。

Kさん:プロジェクトでは自分が一番年齢が下です。一方で一緒に仕事をする協力会社のSEやプログラマーは30代半ばや40代のベテラン揃い。その方たちに対して20代半ばの私が管理し、遅延していれば指示を出さなければいかないわけですから、気は張りっぱなしです。劇的に速い仕事のペースにも追われ、最初の短納期のプロジェクトでは、例えば夜の10時に上司から資料の作成を依頼され、夜中に第1稿を提出し、上司が直して翌日の会議に間に合わせるといったことも少なからずありました。午前中に東京から大阪への出張に同行した上司が、その日の午後便で中国・大連に飛行機で飛ぶといった姿も目の当たりに。そうしたハイペースな仕事は高揚感も出ますし、性に合っている方もいると思います。

—— Kさんはいかがでしたか?

Kさん:私の場合は疲労が蓄積し、やりたくても体が付いていかなくなった。コンサルティングファームで自分がやりたいことを実現するには、基礎体力が必要であることを知ったのです。また、私は答えをすぐに出す瞬発力がなく、ハイプレッシャーの中で日々決断を迫られるのが非常に苦手であることも実感。極限の状態で仕事をする中で、自分の限界を感じました。「コンサルタントはお客様にバリューが出せているかを自問自答しなければならない」とよく言われますが、私はバリューが出せていないと思うようにもなってしまったのです。私には向いていない、向いていない仕事を続けるのは肯定的ではない——。そう考え、「退職」の2文字が頭をよぎるようになりました。大手コンサルティングファームに勤めて1年半が経とうとしている時でした。

弁理士に転身、活きたコンサルタントのスキル

大手コンサルティングファームは短期間に自分が成長できる舞台。だが、適性を考え、辞める方向に気持ちは傾いていった。では“コンサル後”の身の振り方はどうするべきか。様々な可能性に思いを巡らす中、一筋の光が見えてきた。

—— 退職後の次の仕事をどのように考えましたか?

Kさん:一般的には、①事業会社の情報システム部への転職、②会計監査法人やSI企業への転職、③会計士、税理士、中小企業診断士などの会計系や経営系の資格を取る、④個人事業主として独立、の4つのキャリアが考えられます。ですが、どの道もピンときませんでした。とはいえ、私は技術を勉強することが好きなのは確か。その観点で仕事を探した結果、探り当てたのが「弁理士」という職業だったのです。弁理士とは簡単に言えば、特許に関するエージェント。専門知識が必要で、勉強することで自分を高められる点で、私に向いていると感じました。特に、IT関連の技術領域の特許も多数あり、今まで培ってきた知識も活かせます。国家資格であり、仕事をつづけながら予備校に通って勉強する人もいますが、コンサルティングファームで多忙な日々の中で、勉強もこなすのは難しいと感じました。そこで、思い切って退職し、勉強に専念することに決めたのです。

—— 試験はどのようなものですか?

Kさん:3次試験まであり、1次がマークシート式のテスト、2次が論文試験、3次が面接による口述試験で、1月に申し込むと11月に最終的な合否判定が出る長丁場です。合格率は7〜8%の難関資格で、仕事をしながらの受験の場合は何年も受験して合格される方もいます。ただ、私は勉強に専念したこともあり、一発合格を果たすことができました。

—— 難関資格に一発合格とはすごいですね。その後はどのように就職先を決めるのですか?

Kさん:①大手企業の知財部に所属、②特許事務所に就職、③個人事務所を開設と、大きく3つの方向性があります。私は情報システム関係の様々な企業の事例を扱いながら勉強していきたいと思ったので、特許事務所への就職を希望しました。そして、ある大手の特許事務所に応募し、面接を経て就職することができました。大手と言っても、大手IT企業のように数千人単位の社員がいるわけではなく、一般に、特許業界では、スタッフ数が100人以上いる規模であれば大手と呼ばれます。

—— 仕事はどのように覚えていきましたか?

Kさん:事務所によって異なると思いますが、私の所属する特許事務所では最初はOJTで教えてもらうことができます。特許の業務は、最初に発明したものについて顧客から特許出願の相談を受け、弁理士が出願書類を作ることから始まります。その後、出願から約1年半後に発明の内容が公開されます。顧客は出願から3年以内に特許を登録するための審査請求をするかどうかを決め、請求するのであれば特許庁にそのことを意思表示して審査を受け、何度かやり取りをして最終的に認められれば、特許の権利を得ることができます。つまり、出願から実際に権利が登録されるまで4〜5年かかるのが普通です。私のケースのOJTでは、まず審査請求後の「中間処理」と言われる仕事を最初に覚え、その他の業務についても丁寧に指導を受け、1つずつやり方を身に付けていくことができました。

—— 今までのキャリアで得たものを活かす機会は?

Kさん:私は情報システム関係の特許の担当となったため、技術的な知識や考え方は役立っています。さらに、ITのコンサルタントと弁理士の仕事にも共通点があることが分かりました。大手企業には知財部があり、これはITでいうところの情報システム部に立ち位置が似ています。また、ITのエンドユーザーに当たるのが発明した社員、SI会社が特許事務所という具合に当てはめることができます。すなわち、エンドユーザーは業務に詳しいがITのスキルがないために、外部のSI会社に構築を委ねるのと同様に、発明した社員も特許に関することは外部の特許事務所に依頼し、特許事務所は情シスに当たる知財部と連携しながら、特許を登録するというアウトプットを成就させるという流れです。そこで活きたのが、私のコンサルタントとしての経験。つまり、顧客のもやもやしたニーズを、「こういうことですよね」と言語化するコンサルタントのスキルが、発明者や知財部との話し合いの中でも活かされ、業務を円滑に進めるために役立ったと感じています。

出世するだけが人の価値を決めるのではない

大手コンサルティングファームから弁理士へ。今まで培ってきたスキルを活かすことができ、自分にも合っている仕事を得ることができた。コンサルタントの適性があれば活躍していけるが、続けることが困難になっても自分を活かす道は他にもある。そんなキャリアの作り方をKさんは身を以て示している。

—— 弁理士をやっていて、どの点にやりがいを感じますか?

Kさん:最初の1、2年は正直言って弁理士という仕事が自分に向いているのかどうかが分からず、不安な面もありました。ですが、一度担当した顧客から次の案件でも指名されるようになってから、少しずつ自信が持てるようになりました。顧客からのフィードバックで私の仕事を評価していただけたこともあり、今の仕事は私に向いていると思えるようになってからは、日々の仕事を楽しく感じる機会が増えています。
また、顧客のアイデアが特許という形で守られることは社会的な意味や大義名分を感じる部分でもあり、頑張る意欲にもつながっています。

—— ”コンサル後“も様々な可能性があることを感じます。

Kさん:IT業界に入ったら、一度は大手コンサルティングファームで働いてみたいという人は多いと思います。しかし、挑戦してみたものの、私のようにずっとやっていくのは厳しいと感じる人も中にはいるでしょう。そうした場合、第2のキャリアとして弁理士は1つの選択肢になります。実は、元SEの弁理士は多く、IT業界出身者が活躍できる土壌はあるのです。
弁理士はじっくりと熟考し、長期間にわたって顧客と関わり続ける“長距離型”の仕事です。コンサルタントのように“短距離型”でスピードを求められる世界に合わないと感じた人が、地力を発揮できる場であるわけです。アカデミックであり、コンサルタントとは別の頭の良さというか、深く探求する“物静かな羊”といったイメージの人が多く、そんな雰囲気の中で働くのが好きな人は、門戸を叩いてみる価値はあるのではないでしょうか。私はそんな雰囲気が気に入って、もうこの事務所には5年近く勤めています。一つの職場に5年いるのは私にとっては最長です。

—— Kさんのように自分を活かしたキャリアチェンジをするには、どのような心構えが必要でしょう。

Kさん:私は、自分ができることと人が求めていることのバランスを常に意識しています。周囲が欲しいものを自分が提供できなくなったのであれば、この自分ができることを求める他の分野はないかと、考えることが大事だと思っています。その結果、弁理士という職業に出会うことができました。
大手コンサルティングファームで働いていくのは、やりがいもありますが、厳しい道でもあります。よく「UP or OUT」「UP or STAY」と言われ、皆が「UP(出世)」することを目指しますが、上に行けるのは上位数%だけです。憧れて入ったがために、成功できないと自己否定してしまう人もいるでしょう。ただし、私は別にコンサルタントとして出世することだけが、人の価値を決めるのではないと思います。コンサルタントとして勉強したことを、別の領域で活かすことも一つのキャリアの道なのです。

—— 最後にIT業界で働く方たちへメッセージを。

Kさん:私が20代の後半になった時、周囲の同僚とよく「新しいことを始めるなら30代になる前が最後のチャンス」と話していました。私は実際に29歳の時にIT業界から離れ、弁理士になったわけです。もちろん、30代以降で新しいことにチャレンジされている方もいらっしゃるとは思いますが、もし、今の仕事を一生やっていくことに迷いがあるのであれば、一度他の仕事に目を向けることも考えていただければと思います。それまでIT業界で働いて、SEなり、コンサルタントなりで手に職が付いているわけですから、将来的にもう一度IT業界で働きたいと思った時も、技術をキャッチアップすれば戻ってくることもできるはずです。他業界に一度「冒険するつもり」で行ってみるのも、自身の可能性の扉を開く意味で有効ではないかと思います。

—— コンサル後のキャリアについて貴重な体験談と考え方をお話しいただき、ありがとうございました。読者の皆さんも非常に参考になったかと思います。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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