
- プロフィール
- 情報系大学院修了後、シンクタンク系システムインテグレーターに入社。当初から要件定義、リリース、運用保守の全フェーズや顧客対応を経験。案件管理に留まらないモダンな技術の修得や活用機会があるキャリアを志望。リーベルの支援を受け、技術ベンチャーのスリーシェイクの内定を獲得した。
大学院から大手システムインテグレーターに入社した後も、技術の鍛錬を怠らなかった。それがエンジニアの生きる道だと思っていた。
だが、現場では既存顧客のシステムをブラッシュアップする案件が多く、モダンな技術に触れる機会が少ない。若くして、主な業務が顧客相対や案件管理にシフトしていく。
今後、PLやPMを10年以上続けていくことが自分にとって望ましいことなのか――。抱いた違和感はやがて確かなものとなり、転職へと踏み出した。
しかし、需要と供給のずれが生じ、応募先企業から吉報は来ない。戦略を変え、クライアントワークの経験が活きる転職先を探す。見出したのは技術ベンチャーのスリーシェイク。
リーベルの支援もあって内定をたぐり寄せた。
世の中の流れを知り、自分の考えが形になる会社へと突き進む。思いの丈を存分に語っていただいた。
現場で鍛えられ、日常でも自己鍛錬の日々
エンジニアはどう道を切り拓いていくべきか。どんな仕事をして世の中に貢献していくのが正しいのか。自身の全ての行動は、培ってきた“哲学”に基づく。始まりは、大学院時代のアルバイトからだった。
—— 大学は文系、その後、大学院では情報系に進みました。
Oさん:大学は文系でしたが、経済学部を選んだのは、統計で数学の知識を使うことが多いと思ったからです。実際、計量経済学を専攻し、統計系のゼミに入った後はパソコンでコードを書いて分析するようになりました。
そうした中、当時、データサイエンスがバズワードになり、私もそんな仕事をしてみたいと考えるように。進学先として選んだのが、情報系大学の大学院。将来は、データサイエンティストになることも視野に入れていました。

—— 大学院ではどのような活動を?
Oさん:大学院では自然言語処理を研究し、同時に、開発のスキルを磨くために従事したのが、エンジニアのアルバイトです。大学院で修得した画像処理、言語処理の技術を活かしつつ、様々なアプリケーションの開発に携わりました。エンジニアとして、雇われて能力を発揮する経験の第一歩を標せたことは大きかったと思います。
一方、ウォータフォール型のシステム構築では「下流工程」といわれる開発ですが、そこで発揮する技術こそが、実は最も価値があると感じたのも、ちょうどこの頃です。今では、技術ありきでプロダクトを強くしていくビジネスモデルが時代をリードしています。「技術の知識や手を動かした経験がなければ有効なシステムもビジネスも生み出せない」「それができるエンジニアこそ最高の価値がある」――そんな思いが宿ったのもアルバイトを通じた経験からでした。
—— 就職活動についてはいかがでしたか。
Oさん:就職活動は大学院入学から半年もすると始まってしまいます。私は実力不足でデータサイエンティストとしての就職はかなわぬ夢となりました。その代わり、ある程度戦略的に考え、経済学部出身であること、情報系の院卒であることを買ってくれたのがシンクタンク系の大手システムインテグレーターです。アルバイトで開発経験があったこともアピールポイントになりました。
—— 入社後はどのような経歴を。
Oさん:業務は、グループ会社のシステム開発を担う内販部門と外部企業を支援する外販部門に分かれ、私が配属されたのは後者でした。アサインされたプロジェクトでは、顧客ヒアリングなどのクライアントワークから、要件定義、バックエンド処理の実装、テスト、リリース、保守対応まで、新人ながら全フェーズを経験できた点が有意義でした。また、プロジェクトでは2名の上長の指揮下に入りましたが、いずれも外部コンサルティング会社から参画しており、チーム内でプライムのプロバー社員は私一人で一番年下。私は「プライムの社員であっても厳しく指導してください」とお願いし、パートナー会社のコンサルタントに育てていただく得難い経験が得られたことも収穫です。クライアントワークやプロとしての姿勢を学ぶことができました。
—— 自己鍛錬も積極的に行ってきました。
Oさん:1つはAWSの資格取得です。12個ある資格を全て取るとAWSから表彰される制度があり、業務上必要ではなかったのですが、取得するチャレンジを自らに課しました。一時期、朝1時間勉強してから出社し、退社後も図書館にこもって勉強する毎日を送ったことを覚えています。最終的に12個には届かず、業務でAWSに触る機会はあまりなかったのですが、資格が自己鍛錬の証明になり、自分が業務以外で前に進んでいる実感を得られた点で、意義はあったと思っています。
—— 現状で使わない技術を磨くのは、なかなかできないことです。
Oさん:それ以外にも当時から行い、今も続けているのが、エンジニア仲間と週1度会議をして進めている個人開発です。開発では仕事では触っていない言語やフレームワークを使って、鍛錬につなげています。会議では、業務の悩みやホットな技術情報なども共有しており、貴重な情報交換の場になっています。
挑戦した転職活動だが、壁が立ちふさがる
業務と自主的な勉強で自己鍛錬の日々。だが、就職から1年半が過ぎ、気持ちに変化が生じた。このまま同じ会社に勤め続けることが、果たして自分にとって望ましいことなのか。感じ始めたのは、可能性ではなく、危機感だった。
—— 入社後、まだ月日が経っていない状況でしたが、次の展開を考え始めたようですね。
Oさん:顧客相対と開発の上流から下流までを経験して、今後の社内におけるキャリアの方向性が見えてきたことがきっかけです。入社から数年のうちはある程度自分の想定通り、開発メインの案件に携わることができそうだったのですが、20代から上流の顧客相対や案件管理に完全にシフトしていく傾向がありました。もちろん、それも非常に大切な役割です。しかし、技術がビジネスをドライブしていく今のIT業界の中で、開発フェーズから早々に離れて、PMやPLのキャリアをスタートすることが、果たして自分にとって望ましいことなのか、違和感を抱きました。
また近年ではDevOps(デブオプス)といって、開発と保守運用を連携させ、小さいサイクルで改善を図っていくスタイルが有効です。自分もよりプロダクトに近いポジションで、DevOpsのアプローチで業務を行わないと、今どきのソフトウェアの作り方に、今後自分が付いていけなくなる危機感もあったのです。
—— 今後も技術重視でエンジニアとしてキャリアを重ねていくには、転職しかないと。
Oさん:はい。もう数年、会社に残って20代後半で改めて判断するという考え方もあるでしょうが、はやり廃りの激しい業界で、早く行動に出るに越したことはないと思い、転職に舵を切ることに決めたのです。
—— どのように転職活動を進めましたか。
Oさん:最初は自力での活動に臨みました。特定のドメインでBtoBのソフトウェアを作っている「バーティカルSaaS」の提供会社で自社サービスづくりに携わりたいという思いがあり、バックエンドエンジニアのポジションに応募。しかし、面接で落ちてしまい、打開策を練らなければならない状況となりました。同時に、自分で企業に連絡して、日程を調整することの心理的な負担も感じていました。
—— そこで、人材紹介エージェントに支援を依頼することにしたのですね。
Oさん:そうです。転職サイトに登録すると、大量のメールが届き、当初は100件近くに上ったと思います。大半が簡素な文言が書かれたテンプレートを使ったような内容ばかり。ただ、よく見ると、1通だけタイトルや本文が、私の職務経歴書を読み込まないと書けない、具体的かつ詳細な内容のものがあり、それがリーベルからのスカウトメールだったのです。
—— リーベルと早速面談し、転職活動を再開しました。
Oさん:ただし、エージェントの支援を受けるのは初めてだったので、少し警戒していたのも事実です。強引に促され、50社、100社と大量に応募させるエージェントもあると聞いていたからです。しかし、リーベルは違いました。担当者から提供された求人票リストから私が10社ほど選び、応募についても「本当に応募するか」と丁寧にコミュニケーションを図ってくれたため、安心して進めることができたのです。
—— 面接が始まり、結果はどうでしたか。
Oさん:手厚い支援の下、進めたのですが、またもや面接で落とされる事態が続いてしまいました。バックエンドエンジニアで採用されるには私のスキルや実績が足りなかったからです。当時、私が携わってきた案件は、顧客相対やコンサルティングが主で、触っていた技術もノーコードツールを使って手早く納品することが大半でした。かたや、ソフトウェアのバックエンドエンジニアとなると、しっかりとコードを書けるスキルが求められます。私は再度、転職活動の戦略を練り直す必要性に迫られたのです。

リーベルとの“壁打ち”で転職活動の戦略を再考
面接を受け、明るみに出た様々な問題。だが、候補者には強力な味方が付いていた。リーベルという頼れる存在だ。軌道修正のため、どのような話し合いをしたのか。そして、転職先がベンチャー企業のスリーシェイクに決まった経緯はどうだったのか。
—— どのように戦略を再考したのですか。
Oさん:まずは、リーベルの担当者に相談しました。担当者の助言は、「クライアントワークの実績を活かす方向で考えてみてはどうか」というものでした。つまり、「クライアントワークも行いながら、プロダクトを開発している顧客の現場に入り、最新の技術を使ってソフトウェア開発を支援していく業態を検討する」というのがその主旨。それであれば、私が培ってきた経験も活きて、技術を重視した開発に携わることもできます。
—— ご自身の経験や実績がしっかりと評価される企業に応募する戦略にシフトしたのですね。
Oさん:その考えに至るまでに、リーベルの担当者には何度も連絡して、1日2~3回メッセージを送ることもありました。私は、思ったことをストレートにぶつけ、それに対して、担当者は「今までの候補者の中にはこういうアプローチを取った人もいる」「こういう会社もあるがどうか」と真摯に対応し、考える時間も設けてくれました。納得感のあるやり取りができ、とても助かったと記憶しています。
—— その結果、出てきた答えの1つが、ベンチャー企業のスリーシェイクに応募することだった。
Oさん:その通りです。私は以前、AWS Summit Japanというイベントで、スリーシェイクがブースを設けて積極的にアウトプットを発信している姿を目にしており、興味を持っていました。そうした私の関心もあり、応募してみることにしたのです。
—— スリーシェイクの面接はいかがでしたか。
Oさん:面接は全部で3回。最初のカジュアル面接で、スリーシェイクの吉田拓真社長が 自ら、会社が辿ってきたこれまでの道のり、会社としてやりたいこと、ビジネスの特徴、モダンな技術を扱っていることなど、熱心かつ丁寧に説明され、私はすっかり聞き入ってしまいました。クライアントワークをやっているが、受託開発やエンジニアを派遣するSESのような形態は一切取らないこと。保守運用を外注で請け負うこともしないこと。その代わりに行うのは、クライアント組織に深く入り込み、SRE(Site Reliability Engineering)やR&D、人材育成など、コンサルテーションを提供すること。その事業は一般的なシステムインテグレーターとは異なる考えのもとで成り立っており、目から鱗が落ちる思いでした。
—— スリーシェイクのご自身に対する評価は。
Oさん:私のクライアントワークの経験に加え、自主的にAWSの資格を数多く取得していることについて、高く評価してもらえました。同社はAWSやGCPといったクラウド技術の活用に強みを持っており、私の知見が業務で活かされるという判断を頂けたようです。
—— いつか役立つのではないかと思って取得した資格が、重要な場面で力になったわけですね。
Oさん:スリーシェイクは自社プロダクトも持っており、私がずっと理想として思い描いてきた「技術をコアにしてビジネスを行っていくことを実践している会社」でした。自分が一員になって生き生きと仕事をする姿が鮮明にイメージでき、ぜひ働いてみたいと思える会社です。そして、2次、3次と面接が進み、最終的には内定を取得することができたのです。
結果が出なかった時、別の観点で突破口を作ってくれた
試行錯誤で進めた初めての転職活動は成功裏に終わり、次の舞台が決まった。振り返って考えた時、希望の転職先が見つけられた鍵は何だったのか。さらに、転職を考えている方たちに向け、どんなメッセージを残すのか。最後に聞いてみた。

—— スリーシェイクにとっても、ご自身にとっても良いマッチングとなりました。転職成功の要因は。
Oさん:今回の就職活動では、自分を客観視することが極めて重要だと改めて感じさせられました。転職もビジネスと同じで需要と供給の構造で成立するため、私がやりたいと思ったことが必ずしも成就するとは限らないからです。そんな状況で鍵となったのがリーベルの存在でした。自分が見えている会社を受けて結果が出なかった時、「クライアントワークという実績を強みとして活かしていこう」という別の観点によって突破口を作ってもらえたことは、非常に大きなターニングポイントだったと考えています。
—— リーベルが候補者を客観的に見て、強みと求人の需要をマッチできたことが成功につながったと。
Oさん:それは自問自答ではなかなかできないことです。そして、もう1つ重要なことが、リーベルが私の意向を最大限に尊重してくれたことです。というのも、私がリーベルの支援以外で、自力で見つけてきたベンチャー企業を受けたいと相談した時、否定するのではなく、日程の調整などを進んで協力してくれたのです。仮にそのベンチャー企業に転職が決まると、リーベルの実績にはならない。それでも候補者を第一に考えて動いてくれた。私は悔いなく、転職活動をやり切ることができました。
—— では、最後にこれから転職を考えようとする方々にメッセージをお願いします。
Oさん:技術のトレンドが目まぐるしく変わるIT業界は、長く経験することが必ずしも能力に直結するとは限らないという特性があります。そうであれば、いくつか開発やプロジェクトを経験し、ある程度区切りや自信を感じた段階で、一度外の世界に目を向けることは必要だと思います。エンジニアとして自分の力量と向き合い、鍛錬するには、その方が近道であることも多いからです。
私のように、「技術を磨きたい」「その技術を持ってプロダクトやサービスを作っていきたい」と考える方は、少なくなく、むしろ多数に上るのではないでしょうか。その思いは、コンフォートゾーンを出ていかないとかなわない場合もあります。1つのアクションとして転職活動は臆せず踏み出してみる価値があると考えています。
—— エンジニアは現状に甘んじることなく、日々鍛錬が必要。転職活動もその手段となり、きっかけとなる。改めて、エンジニアとしてのキャリアを考える良い機会になりました。ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。