転職成功者の声

転職を決意したきっかけや入社の決め手、今後のキャリアパスなど、
リーベルの支援で転職を果たした人たちのリアルな声をお届けします。

株式会社LIFULL

F.Kさん

エンジニアこそ我が道と開眼し、20代半ばでキャリアチェンジ リーベルの伴走と調整力によって大手Web系事業会社の内定を勝ち取る

プロフィール
地方の国立大学工学部を卒業後、大手織物メーカーに就職。3年間勤務後、会員制カフェ運営会社に転職。その後、エンジニアという職業に魅力を覚え、中小のSI会社に転職。約3年の勤務を経て、リーベルの支援を受け再度転職活動に挑み、日本最大級の不動産・住宅情報サービス「LIFULL HOME’S」を運営するLIFULL(ライフル)の内定を獲得。
自分は何がやりたいのか、どんな仕事が向いているのか――。何でもやってみたいと思う性格から、大学卒業後はいくつかの業界をわたり、キャリアを模索した。
スタートは大手テキスタイルメーカー。有名なダウンジャケットの生地を作り達成感はあったが、他の仕事に挑戦したい気持ちが芽生えた。
転職したのは利用者が資格取得などに向けて勉強に集中できる会員制カフェ。そこでの出会いが運命を変える。会員だったエンジニアに話を聞き、その仕事の魅力にとりつかれた。
自分もエンジニアになりたい。プログラミング学校に通い、基礎を身に付けた。そして、入社を果たした中小のSI会社。
アプリ、ミドルウェア、インフラと幅広い領域を経験し、会社のマネジメントにも興味を持ち、執行役員にも抜擢された。
次は何をやるべきか。目指したかったのは自らサービスを開発し、運用するエンジニアだ。転職活動の面接でLIFULL(ライフル)のビジョンや職場環境を知り、ほれ込み、入社を決めた。
エンジニア未経験から業界に入り、大手事業会社への転職を実現した鍵は何か。キャリアチェンジからの成功の軌跡を辿った。

メーカーに就職してカフェ運営会社に転職した異色の経歴

大学では工学部で学び、卒業後は繊維業界で就職した。その後、転職をしたのは会員制カフェの運営会社。当初のキャリアはIT業界とは無縁だった。どのように方向性が変わり、エンジニアへの道を歩み始めたのか。

—— 異色の経歴ですね。

Kさん:元々ものづくりが好きで、大学では新しいプラスチックや繊維を作る研究に注力していました。卒業後、その延長線上で就職したのが、生産したテキスタイルをアパレルメーカーに提供する大手織物メーカーです。誰もが知るブランドのさまざまな衣服に使われており、名前は表には出ない黒子のような会社。私も有名なダウンジャケットの生地を作るなどやりがいを持って仕事に打ち込むことができました。

—— ただ、3年経って転職を考え始めます。

Kさん:色々経験を積み、達成感を覚えることも多かったのですが、同時に今後の不安も感じ始めたというのが正直なところです。アパレルの生産は海外に移り、日本で生産している割合は数%レベル。繊維業界も縮小していくことは明らかでした。今後、昇進すれば工場長などの役職に就くことも考えられますが、そのポジションに自分が成りたいかといえば、そうは思えなかった。そこで、他の仕事に挑戦しようと転職を決意したのです。

—— どのような業界、会社に転職しようと?

Kさん:それが、他の業界で働こうという思いだけが先行して、自分は何がやりたいのか、何に向いているのか分からず……。情報収集のために、ビジネス本、転職系の本、自己啓発本を手あたり次第に読みました。何となくカフェでもオープンしてみようかなと思う時もありました。世の中に、どんなカフェがあるのかと、街でぶらりと入ってみる日もあり、その中で行きついたのが、資格などの勉強ができる会員制のカフェでした。そのカフェはおしゃれでリラックスできて、落ち着いて学べる環境が整っていました。自分は何でもやってみたい性格であり、「こんなカフェで働いてみたい」と思ったのがきっかけで、運営会社に応募し、社員として採用されることになったのです。

—— 織物メーカーからカフェ運営会社へ。キャリアの大きな転換ですね。

Kさん:私は地方在住で、近くにもそのカフェの店舗はあったのですが、配属は東京の店舗を希望してアシスタントマネージャーとして勤務することになりました。実は、まだキャリアの選択に迷っている部分もあり、東京の店舗であれば、さまざまな職種の会員の方々が出入りすることが想定され、コミュニケーションを図る中で、自分がやりたい仕事のヒントが得られるのではないかという期待もあったからです。

—— 実際、どうでしたか。

Kさん:会社の方針として、会員の方々とコミュニケーションを取ることが推奨されており、私も積極的に話すことを心がけました。そうした中で出会ったのが、私と同年代のエンジニアでした。その方は、「自分が足りない部分を常に感じ、日々勉強に打ち込んでいる」「そうして身に付けたスキルを仕事に活かしている」「チームのメンバーと協力して仕事ができるのが醍醐味」など、エンジニアという仕事の中身を丁寧に教えてくれました。それを聞き、「エンジニアって凄く楽しそう」と一瞬で惹かれたのです。まだ入社して1年程度で、カフェの運営会社には申し訳ない気持ちで一杯でしたが、社長に「やりたいことがやっと見つかった。どうしてもやってみたい」と相談。退職し、私はエンジニアへの道を踏み出すことになったのです。

知識・経験ゼロから転職してエンジニアになる

エンジニアとの出会いがきっかけでIT業界での就職を目指した。知識も経験もゼロの中、選んだのがプログラミング学校で基礎的なスキルを修得すること。キャリアチェンジの挑戦が始まった。

—— 26歳で一念発起しての挑戦でした。何から始めましたか。

Kさん:まずは最低限必要なスキルを身に付けるため、プログラミング学校に通い始めました。本気でやろうと気合を入れ、頭も坊主にしました(笑)
朝6時半に起きて8時からスクールの最寄り駅近くのカフェで勉強。11時の開校と共に学習カリキュラムに取り組み、カリキュラムが終わった後も課題外の学習を教室に残って自習という生活を2カ月間休まず続けました。勉強した分だけスキルが向上し、同じ志を持つ友人も増え、スクールでの生活は非常に楽しいものでした。自分のレベルも学校の中で1番か2番くらいだったかと思います。

—— 学校のカリキュラムを終えて次は就職活動です。

Kさん:満を持しての活動でしたが、不思議なくらいうまくいかず、最初に受けた10社はすべて不採用でした。未経験だったのでSES事業の会社が多かったのですが、なかなか厳しい状況でしたね。諦めず受けていくと、ようやく中小のSI会社から採用の通知が来ました。同社ではさまざまな開発を行っており、この会社で本腰を入れてスキルを伸ばそうと決心しました。

—— 入社後はどうでしたか。

Kさん:自分の中にあった自信はもろくも崩れました。分からないことだらけで、何も手に付かない状況だったからです。加えて、私のメンターとなった先輩が非常に厳しく、忙しい方で、私の教育に手が回らない様子でした。仕方なく、その先輩の一挙手一投足を盗み見て試してみるのと、不明点はGoogleで調べて作ってみる日々を過ごしました。ただ、私はそれで良かったと思っていました。スクールの時は分からないことがあれば何でも講師に教えてもらえる環境があり、甘えがあったのは事実。それと現場は全く違うわけです。自分で試行錯誤して学び、考え、作っていくことは必要なプロセスであり、この“修行”は貴重な経験だったと思っています。

—— 最初から鍛えられたようですね。

Kさん:ホームページ、ECサイト、メディアサイト、アプリなどさまざまなシステム開発を行い、スキルを付けることができました。さらに、社長が「チームリーダーをやってみたい人はいるか」と問いかけたので、「やりたいです」と手を挙げ、入社から1年未満でしたが、リーダーを務めることになったのです。その後は、社内の重要な会議に参加し、社長と密接にコミュニケーションを図ると同時に、案件の受け方、議論の仕方、実際の進め方などを間近で見ることができ、非常に勉強になりました。
一方、各社で選出された幹部候補が研修を受ける社外のリーダー塾にも参加。主に40代以上の店舗の店長、営業所の部長、副社長などが占める中、私は20代半ばで最年少でした。そこでも熱心に学び、研修の成果をプレゼンする中間発表、期末発表ではいずれも最優秀賞を受賞するほど高い評価を受けることができたのです。

—— 社内での活動が認められていったのでは。

Kさん:チームリーダーとして、数々のプロジェクトをまとめ、一定の評価は得られていたと思います。そうした熱意と実績が社長の目に留まり、執行役員に抜擢され、思いがけず経営にも関わるようになりました。ただし、経営の経験などもちろんなく、何をすればよいか戸惑ったというのが正直なところです。自分にできることを模索するため、色々な本も読みました。その中に、偶然にも次の転職先となるLIFULL(ライフル)の執行役員人事本部長の羽田幸広氏の著書『日本一働きたい会社のつくりかた』があったことは、今となっては運命的な出来事といえるかもしれません。そうした本から得た知識や自らの思いを形にするため、例えば会社のビジョンを策定したり、自分が入社時に足らないと思った社員へのフォローを手厚くする1on1(ワンオンワン)を制度化したりするなど、積極的に改革を推進していきました。今振り返ると、プレイングマネージャーとしてプログラムも書き、リーダーとしてプロジェクトをまとめ、執行役員として経営課題の解決にも同時並行で取り組んでいたのですから、非常に濃密な時間を過ごしたと思います。

思いを掘り下げ、本当に行きたい会社を見出す

経営に携わり、会社からの期待を一身に集めた。だが、そうしたさなか、再度の転職を検討するようになる。将来を嘱望される状況で、なぜ社外に自身の活躍の場を求めるようになったのか。

—— そのSI会社に3年間勤め、再び転職を考えるようになりました。理由は何でしょう。

Kさん:プライムベンダーから下請けとして受注する案件が大半の中、さまざまなサービスを作ってはきたものの、自ら提案したり、構築したサービスをより良くするために改良したりする経験ができなかったことが大きな要因です。作って終わり、作って終わりの繰り返しで、そうではなく、自分でサービスをより良くしていきたいと思っていたのです。
そこで、頼ったのが、会員制カフェで出会った前述のエンジニアの方です。既に私とは友人関係になっており、色々と話を聞くと、リーベルという人材紹介会社の支援を受け、大手IT会社に転職したとのこと。「サポートは手厚く、希望に合った転職先を紹介してくれ、リーベルの支援があって自分は良い転職ができた」と話していました。私もリーベルに転職支援を依頼したいと考え、連絡をしました。

—— リーベルの担当者と面談をしていかがでしたか。

Kさん:非常に丁寧に私の意向をヒアリングしていただいたことが印象的に残っています。恥ずかしながら、私は「サービスを作っている会社に行きたい」「新しいことに挑戦したい」という思いだけで、具体的な部分がとても曖昧でした。そうした中、リーベルの担当者はそこを掘り下げるために「新しいこととはどんなイメージですか」と質問し、それに対して「今まで中小規模の開発が多かったため、大規模で利用者が多いサービスに携わって自分のスキルを磨きたい」と私が回答。あるいは、「エンジニアはどれくらいいる環境がいいですか」と聞かれ、「多くのエンジニアが在籍している中で横や縦で学び合える環境がいい」と答え、「企業風土についての希望は?」と聞かれ、「ビジョンを大事にしている会社がいいです」と答えるなど、一問一答形式で私の転職の方向性を言語化し、定めていってくれたのです。

—— 意向を掘り下げた上で、候補となる企業を提示した。

Kさん:そうです。私の希望に当てはまる会社を挙げてくれて、それが実に的を射ていたのです。特に心を捉えたのが「LIFULL(ライフル)という会社であれば、利他主義を社是に掲げており、意向に沿うと思う」と言われたこと。「その会社であれば、以前に羽田さんの本を読んだことがあり、知っています!」と思わず身を乗り出して返答したことを今でも覚えています。

—— 他に、リーベルの支援で有効だったものは。

Kさん:色々あります。一つは、私にとって関門だった履歴書と職務経歴書を細かくチェックしてくれたこと。私は担当した案件が多く、役割も幅広かったため、すぐに細部まで思い出すことが難しい状況でした。それを、「この部分はもう少しエンジニアとして行ったことを書き足して」「ここは工夫した点を加えて」「ここはどんな方法で行ったか詳しく書いて」と一つひとつ赤字を入れ、書き直す方向性を示してくれたのです。
さらに有益だったのが、「履歴書の転職理由と、職務経歴書の冒頭に書く概要は、書類審査で必ず読まれる部分なので、作り込んだ方がいい」という助言です。担当者からは何度も赤字で指摘を受け、ブラッシュアップさせました。こうした作業の甲斐もあって、応募した会社の書類審査を通すことができたのです。

大切なのは「目標を持つこと」と「多様な経験を積むこと」

書類審査は通り、残るは面接のみ。仕事が多忙を極める中、その間を縫うように面接を受けた。だが、リーベル以外にもう1社、人材紹介会社に支援を依頼したため、スケジュール調整は難しかった。どのようにクリアしたのか。

—— 何社程度応募したのですか。

Kさん:数は多く、約30社だったと思います。実は、リーベルの他にもう1社、人材紹介会社に支援を依頼しており、その会社が連日面接を入れてきたため、本業との調整に一苦労しました。その状況をリーベルの担当者は理解し、私の負担が減るように、うまく面接を組んでくれたのです。加えて、「優先度の高い会社だけ面接を受け、残りの会社は一旦保留にした方がいい」とアドバイスを受け、自分が心底行きたいと思える企業に絞って面接に臨みました。その日程も、各社の最終面接が近い日になるようにして、内定が複数出ても選べるように日時を設定してくれたことが非常に有効でした。

—— その優先度の高い会社の一つがLIFULL(ライフル)でした。

Kさん:1次面接も2次面接も、面接官との話がとても楽しく、面接を重ねるたびに、「こんな上司のもとで働いてみたい」と、意欲が増していきました。例えば、利他主義について面接官は、「我々が目指しているのは、誰かのためになるサービスを生み出しつつ、持続可能にするため、利益は着実に上げていく事業。いわば、社会貢献とビジネスの両立を意識している」という話を聞き、とても感銘を受けました。また、社内で新規事業を提案できる制度もあり、実際に社員発でいくつもの新規サービスが生まれていることにも共感。私もこの会社で自ら提案してサービスを作っていきたいと、気持ちは高まっていったのです。

—— 結果的に、LIFULL(ライフル)からは内定を取得し、その他2社から内定を受けることができました。

Kさん:培ってきた技術や実績、そして適切にコミュニケーションができる点が評価されたと聞いています。内定が出た3社のうち、どの会社に行くべきか。年収や事業内容、職場環境などを考慮し、悩みました。そうした中、LIFULL(ライフル)に決めた理由は、大規模サービスや新規サービスを経験することによって、エンジニアとして成長する可能性が3社の中では最も高いと思えたことです。さらに、利他主義に共感して入社する人が多いと考えられ、同じ志を持ったメンバーと仕事ができそうな点も魅力的でした。リーダーとして成長する道も、スペシャリストとして極める道も選択でき、出社とリモートのハイブリッドワークも自分向き。色々、総合して考えて、LIFULL(ライフル)が頭一つ抜きんでており、新たなキャリアとして踏み出す決心を固めたのです。

—— 自身が目指していた「サービスを作るエンジニア」というポジションを掴むことができました。最後にキャリアアップを可能にした理由を教えてください。

Kさん:私は元々「自分の意思決定によって新しいサービス、新しい事業を作ることができるエンジニアになる」という目標を持っていました。しかし、経験ゼロでいきなり実現するには困難です。だからこそ、エンジニアになって最初の3年はがむしゃらに経験を積み、土台を作ったのです。その3年間があったから、今回の転職活動で自分が望む事業会社へのステップアップが可能になったと考えています。つまり、目標を持って、それをぶらさずに貫くこと。これが秘訣ではないかと思います。
最初はメーカー、次に接客業、次がエンジニアと、一見遠回りしているように思えるキャリアも、決して無駄にはなっていないと考えています。人より幅広い経験をして、色々な考え方、見方ができる点は、他のIT技術者にはない私の強みです。そういう意味では、エンジニア以外の経験を持っている事は、それはそれで人間的な強みであり、目標となるエンジニア像を叶える一助になると思います。

—— 目標を持つこと、さまざまな経験をしてみることはキャリアを作る上で重要な示唆であると思います。異色のキャリアの経緯と考え方は他の方の学びになるでしょう。ありがとうございました。

ライター プロフィール

高橋 学(たかはし・まなぶ)
1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
◇主な著書
『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。
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