- プロフィール
- 私立の理系大学情報工学部を卒業後、独立系SI会社に入社。インフラ領域を中心に大規模案件に携わる。その後、他社との合併に伴い、上流工程を担当。だが、技術のスキルアップを図るため、技術力の高いユーザー系SI会社に転職。そして、今回プリセールスやコンサルティングのレベルアップのため、再度転職を決断し、リーベルの支援を受けた転職活動を経て、電通総研に入社。
だが、管理中心のキャリアに疑念を抱き、30代前半で技術に強いSI会社に転職。最新技術の知識やスキルを身に付けながら、プリセールス、コンサルティングで頭角を現し、成績は部内で常にトップだった。
会社の評価は高く、そのまま在籍すれば出世街道を走っていくことは間違いない。しかし、属人化された自己のプリセールスのスキルを組織的に展開したい願望が芽生える。
30代後半で再度の転職を決意。リーベルの支援を受け、自身が今後最も活躍できる可能性が高い、電通総研への転職を果たした。
前回、今回と転職に成功し、思い通りのキャリアパスを実現できた秘訣を聞いた。
プライムのSI会社から技術志向の強い会社へ転職
新卒で入社した会社は、独立系SI会社だった。金融業界を相手に、インフラの領域を中心に保守や追加開発を担当。大半が大規模プロジェクトであり、案件の進め方の基礎を学ぶことができた。
—— 社会人になってからの当初の仕事について教えて下さい。
Iさん:配属されたのはインフラ領域の保守や追加開発を行う部署です。2次請け、3次請けのプロジェクトが多かったのですが、プライムが日本を代表する大手SI会社であり、大半が数百億レベルの大規模案件でした。WindowsやSolaris、LinuxのOSレイヤのスキルを高めながら、案件管理の基礎を学ぶ貴重な体験を新人時代に積むことができたのは幸運でした。保守フェーズを担当したときは、夜中に呼び出されることも少なくなかったのですが、若かったので苦にはならなかったです。
—— その後、他のSI会社との合併により、キャリアがダイナミックに変わりました。
Iさん:複数の独立系SI会社が合併し、プライム案件を担当するようになり、上流工程の経験を蓄積しつつ、役職もPL、PMと年々上がっていったのです。印象に残っているのは、大手ドメイン会社の案件。トラブルでシステムが止まることが許されない中、正確性やとてつもない細かさを要求され、四苦八苦した日々が今でも脳裏に焼き付いています。勉強しながら必死に食らいついていったというのが正直なところです。
—— プライムの立場なので協力会社の取りまとめも大変だったのでは?
Iさん:協力会社といっても著名な企業ばかりで、そうした複数の会社が私の下に付くという今までにない経験でした。心掛けたのは各社のキーパーソンと飲みに行って、とにかく仲良くなることです。通常、計画されている工数と実態の工数は乖離することが多く、大きな企業をコントロールする時ほど歪みが生じることがありました。それがプロジェクト遅延の原因になるわけです。そこで、私は飲みを通じて本音ベースで話し合える関係性を築き、必要なタスクと不要なタスクを改めて整理し、WBSを組み直していきました。それが奏功し、プロジェクト全体がとても円滑に回るようになったのです。
—— そのまま管理業務のエキスパートになるかと思いきや、入社から8年後に転職を決意されています。
Iさん:プロジェクト管理中心のキャリアに疑問を抱いたことがきっかけです。まだ30代のうちに、もっと技術の知見やスキルを高めたいという気持ちが抑えられなくなったのです。大手の転職サイトに登録すると、スカウトメールが多数舞い込み、実は、その中の1社がリーベルでした。リーベルの担当者は私のレジュメを丹念に読み込み、定型文でなく、私の事情をしっかりと汲み取った真摯な文面であったことが非常に印象に残りました。その後、面談した時もちゃんと一人一人に向き合ってくれるエージェントであることが、伝わってきました。「ここに任せよう」と決心し、転職活動を行った結果、3社から内定を得ることができ、その中で最も技術力が高いSI会社への入社を決めたのです。
才能が開花し、プリセールスの成績は常にトップ
技術力に定評のあるSI会社へのキャリアチェンジに成功。希望通り、クラウドなど最新技術を身に付け、数多くの構築にも携わった。そしてポジションが上がり、担当するようになったプリセールスやコンサルティング業務で、キャリアが一気に開花した。
—— 転職した先での仕事はいかがでしたか?
Iさん:最初は金融系の顧客に常駐して、Windowsシステムの技術担当を2年程度担当。それから複数の顧客を掛け持ちし、客先から自社勤務に戻ってからは、色々な案件に手を出すことができるようになりました。AWSやMicrosoft Azureなどクラウド関連を触り始め、新しい技術を身に付けながら、PL以上の立場でシステム構築の案件を回すようになったのです。
—— ご自分が望んでいた通りの道ですね。
Iさん:数年、クラウド周りを扱っているうちに、私のポジションも上がっていき、最終的にはプリセールスやコンサルタントの立場で顧客に提案するのが主業務に。最新技術の「コンテナ」もセミナーに足繁く通って勉強し、それだけでなく金融系の顧客に積極的に提案し、次々と採用を決めていったのです。部署には売り上げのノルマが課せられていましたが、その大半を私がプリセールスで取ってきた案件でカバーし、成績は部内で常にトップ。社長賞や部門賞を手にし、年収は右肩上がりで、手前味噌ですが、社内でも一目置かれる存在になっていったのです。
—— まさに出世街道まっしぐらです。
Iさん:最先端の技術やサービスにいち早く目を付け、関連するセミナーを受講したり、情報収集をして知識を修得し、顧客に話を持って行って、採用につなげる。そんな勝ちパターンが身に付き、仕事は本当に充実していました。ゼロから案件を生み出していくことは当然大変ですが、やり遂げた時の達成感は非常に大きく、やりがいを実感する日々でした。
—— 社内評価も年収も上がり、このまま勤め続ける選択肢もあったと思います。そんな時、なぜまた転職が心をよぎったのですか?
Iさん:トップの成績を残してきましたが、スキルやノウハウは私個人に属人化されており、組織で案件を取っていくようなアプローチは、当時の会社では困難でした。もっと上を目指すためには、個人の力ではなく、組織の力を使ってビジネスをスケールできるような会社に移る必要がある。加えて、今まで我流でやってきたプリセールスやコンサルティングに関して、しっかりとした方法、スキル、ビジネスマインドを身に付けたいという思いも芽生えてきました。30代後半に差し掛かり、今が自分が行きたいキャリアパスに進む最後のチャンスかもしれない。そう考え、再び転職へと一歩踏み出すことにしたのです。
具体的なアサイン先を提示した電通総研の面接に好感
再度の転職活動に臨むに当たり、どんなエージェントからどのような転職先の紹介があるか、数年ぶりに転職サイトに登録してみた。すると、いの一番にメールを送付してきたエージェントがあった。リーベルだった。
—— リーベルから声が掛かり、また支援を依頼することにしました。
Iさん:前回の実績もあるので、今回もリーベル1本で転職活動に臨もうと決めたのです。ただし、私が出した条件は、かなり高いものでした。1つ目は、様々な業界で最新技術に関連するプリセールスやコンサルを縦横無尽に行える会社であること。2つ目は、そうした活動が組織的に推進できること。そして3つ目が、今の年収が目に見えて上がることです。こうした条件だと、もう国内トップクラスの会社しか行く道はありません。リーベルのコンサルタントからも、条件に合う会社をいくつか紹介され、そのうち1社が、電通総研でした。
—— 電通総研の面接の経緯を教えて下さい。
Iさん:応募したのはイノベーション部門で、最新のテクノロジーに関連するシステム構築やサービスを業界横断的に提案する部署。1次面接はマネージャーやエンジニアなど4人の面接官と対面で実施しています。印象的だったのが、部署のミッションや仕事の内容、今年度の達成目標などの内情を事細かに説明し、それが私の転職理由ややりたい事とかみ合っているか、1つひとつ丁寧に確認されたことです。
—— とても興味深い面接ですね。具体的には?
Iさん:例えば、イノベーション部門が攻める領域はクラウドとIoT、AIの3本であり、もし私が入社するのであればクラウドの領域で力を発揮してほしいこと。その中でも、AWSではなく、Azureの事業展開で指揮を執ってほしいことなど、具体的なアサインのイメージにまで言及され、認識の齟齬がないか、確かめるようなスタイルだったのです。入社後、どのような立場が用意されているか明確にイメージすることができ、まさに自分がやりたいこととぴったりと一致しており、気持ちがぐっと傾いた面接の場でした。
—— その1次面接は突破するわけですが、ご自分のどの点が評価されたと思いますか。
Iさん:クラウドのプリセールスでの私の実績に加え、技術の専門的な知識について面接官を務めたエンジニアとスムーズに会話のキャッチボールができたことも決め手になったと見ています。皆さん、私より技術的には上の方ばかりでしたが、「この知識レベルなら任せられる」と思っていただけたのではないでしょうか。今までセミナーに自ら進んで参加し、知識の研鑽に努めてきたことが大事な面接の場で生きたと思っています。
普段から意識してキャリアパスを考えることが重要
電通総研からクラウドの実績、技術的素養を評価され、Iさん自身も柔らかで自由な社風に魅せられた。だが、この時思いもよらぬ事態が待ち構えていた。新型コロナウイルスの感染が広がり始め、対面ではなく、リモートによる面接に切り替わったのだ。
—— 2次面接、3次面接はどのように?
Iさん:新型コロナウイルスの感染拡大と時期が重なり、両方ともオンライン会議システムを使ったリモートによる面接となったのです。面接官も私も慣れない中でのリモート面接でしたが、入社すれば私の上司となる面接官の物腰の柔らかさが画面を通して伝わり、リモートでも好印象を持ちました。私からは会社に求めたいことについて、外資系企業のようにフランクに働くことができ、成果主義を重視する場で力を発揮したいと告げると、面接官は、電通総研は個々の自由度が尊重される社風であり、希望するような働き方がかなうと即答。私の考えに合致するもので、電通総研の優先度はより上がっていったのです。
—— 途中からリモート面接に変わるハプニングがあったものの、結果的に相思相愛の電通総研からは見事に内定を取得。その他に応募した会社は?
Iさん:電通総研のイノベーション部門と似た、大手SI会社の部署の面接でも、技術、マネジメント、プリセールスの全ての経験がある点が評価され、内定を獲得。さらに、リーベルを通さず自らのルートで受けた、企業向けオープンソースソリューションを提供する外資系ベンダーからも、専門的な知識を高く評価され、内定を得ることができました。
—— 3社のどこに行くか、迷われたのでは?
Iさん:仕事の自由度でいえば、外資系ベンダーが最も高い。大手SI会社は正反対の硬いイメージ。日本の企業だけれどある程度自由度もある、バランスが良くちょうど両者の真ん中に当たるのが電通総研でした。
自由な働き方を重視すれば、外資系ベンダーが最良の選択肢となります。ですが、問題は私の年齢でした。20代であれば、外資系ベンダーからさらに他の外資を年収とポジションを上げながら渡り歩き、最終的に日本企業の重要な役職で高年収を得るというキャリアパスも描けたでしょう。しかし、30代後半に差し掛かった私には、その道は無理。そうなると、日本企業にじっくり腰を据えて、自分のやりたい道を突き進む方が選択肢としてはベスト。電通総研からは年収面でも私の望みに合った金額を提示されたため、トータルで考えて、電通総研に行くことが最善と判断したのです。
—— 最後に、これから転職に臨む方たちにメッセージをお願いします。
Iさん:まずは他者にはない自分の強みを見極め、アピールすること。私の場合、主にプリセールスと最新技術の「コンテナ」の2本立てで実績とスキルを訴求し、面接を乗り切りました。もう一つが、自身のキャリアパスについて納得感のある説明ができることです。特に私のように転職回数が複数にわたる場合、筋が通ったストーリーが求められます。私は、マネジメントから技術力を付けたくて1回目の転職、次に組織的なプリセールスが行いたくて2回目の転職と、明快に説明できます。普段から、自分は何を伸ばしたいのか、どんな別のことをやりたいのか、意識してキャリアパスを考えることが、重要といえるでしょう。
—— キャリアパスについて常日頃から考え、それが転職の成功にもつながるということですね。ありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。