- プロフィール
- 東京工科大学工学部情報工学科卒業後、ソフトウエアベンダーに入社。約4年間のうちに要件定義から設計、プログラミング、テスト、保守の全工程を経験する。将来的にプロジェクトマネージャーを目指すにあたり、一次請けでの開発経験を積みたいと考え、イーシー・ワンに転職。
「いつかプロジェクトマネージャーになりたい。そのために今の自分は何をすべきか」。目標とする人物との出会いを機に、井出陽さんは己のキャリアについて真剣に自問自答を始めた。そして選んだ転職の道。理想とする職場にめぐり会うまでの過程について、リーベル代表の石川が聞いた。
大手ベンダーへの常駐がターニングポイントに
石川:大学は情報工学科ということで、もともと情報関連に興味があったんですか?
井出さん:いえ、特にそういうわけでもありません。高校の時に国語が苦手で数学が得意だったので、じゃあ理系だと。その中でも漠然とこれからはパソコンだ、と思い、情報系の学部に行ったんです。大学で初めてパソコンに触れたため、最初は授業についていけなくて。ただ、大学がかなり実践的な教育をしていて、アセンブラからJavaまでプログラミングの基礎を幅広く勉強できた。その中で徐々に興味を覚えるようになったという感じです。
石川:卒業後、前職のソフトウエアベンダーに入社したわけですが、選択の理由は?
井出さん:実は就職活動を始めた頃はWebデザイン会社などを受けていたのですが、うまくいかなかった。一方で、プログラミングなど純粋な開発分野は比較的門戸が広かったので、じゃあとりあえずはプログラミングをもっと勉強しておこうと、前職のソフトウエアベンダーに入社したのです。正直、当時はキャリアパスなどあまり意識していなかったですね。
石川:前職では主にWeb系システムの開発をされていたんですよね。在籍期間は約4年ですか。どうして転職しようと思われたんでしょう?
井出さん:前職はプライムでない案件が多い会社でした。最初の1年は、自社内でWebの開発をしていたんですが、2年目から大手ベンダーに常駐することに。これが自分にとってターニングポイントになりましたね。一次請けの会社で働く中で、IT業界にはこういう業種や職種があり、システムができるまでにはこういう工程があるんだ、といったことを大ワクで把握でき、視野が広がった。テスタから入ったのですが、次第に提案書を書くなど上流の仕事も任せてもらえるようになり、その面白さも経験できました。
また、人との出会いも大きかったですね。常駐先のプロジェクトマネージャー(PM)が、厳しいけれどすごく仕事のできる方で、手取り足取りいろいろと教えてもらえた。また、その方に「常に10年後の自分を意識するように」とアドバイスをもらい、確かにそれは大事だなと感じたんです。
石川:キャリアパスについて真剣に考えるようになったわけですね。
井出さん:はい。やはり将来的には自分もPMを目指していきたいと。ただ一方で、常駐先では上流の仕事しか経験できず、自分のキャリアの中で開発経験が不足していることが気になり始めた。前出の常駐先のPMにも「若い頃にしっかり開発経験を積んだのが今の自分の糧になっている」と聞きましたし。そこでいったん常駐先から戻してもらい、自社内で開発経験を積むことにしました。
しかし、自社の開発案件には言語や分野が特定できないものが多かった。そこで次のステップに進もうと、転職を決めたんです。
最初から人材紹介会社を利用しようと考えていた
石川:転職活動はどうやってスタートしたんですか?
井出さん:まずは転職サイトで情報を集めるとともに、自分のプロフィールをサイトに登録しておいたんですよ。そうしたら30社くらいの人材紹介会社からスカウトメールをいただきました。そのうちの1社がリーベルだったんです。結局、私からコンタクトした人材紹介会社はリーベルだけでした。
石川:それはありがとうございます(笑)。どのような点から当社を選んでいただいたのでしょう?
井出さん:正直、スカウトメールを見るだけで、「この会社は自分のプロフィールさえちゃんと読んでいないな」とわかる会社も多いんです。そんな中、リーベルのメールからは、プロフィールをきちんと読み込んでもらっていることが伝わってきた。一度だけでなく、継続的にメールをいただけたことも大きかったですね。また、サイトで石川さんの執筆された記事もよく読んでいた。自分なりにリサーチして、「ここなら任せられる」と判断したわけです。
私は転職活動をするとき、最初から人材紹介会社を使わせてもらおうと考えていました。自分だけの思い込みで物事を判断してもうまくいかない。プロの視点から自分のキャリアをフィルタリングしてもらうことで方向付けを明確にしてもらえると思いましたから。結果的にもそれは正解だったと感じています。
「ホワイトボードに概念図を書いて」と言われ、面食らう
石川:井出さんは、最初にお会いしたときから、ご自身のやりたい仕事や行きたい会社について、かなり明確なイメージをお持ちでしたよね。
井出さん:そうですね。先ほど申し上げたように、「最終的にはPMになりたい」と。その上で、10年後、PMを目指すために、今は基幹となる開発経験を積んでおきたい。だから一次請けでバリバリ開発をやれる会社に行きたい、とお伝えしました。
リーベルからは、初めに10社ほど候補を挙げてもらいました。典型的な一次請けの会社が3社、ベンチャーが3社、1つの技術に特化した会社が3社、もう1社がコンサルティング会社。いずれにせよ、「一次請けでバリバリ開発ができる会社」という基本条件は同じです。そこから自分で考え、3社に絞りました。
石川:そのうちの1社がイーシー・ワンだったんですよね。面接の内容が、かなり印象的なものだったとか。
井出さん:そうなんです。他社とはちょっと毛色が違う感じでしたね。その分、冷や汗もかきました(笑)
他社では履歴書を見ながら、今まで何をしてきた、これから何をしたいか、といったことを聞かれる、一般的な面接でした。これに対して、イーシー・ワンでは、経験してきたことについて、鋭い突っ込みが入るんです。例えば、「システムテストをした」と言うと、「ならば、品質についてはどんな考えを持っている?」といった具合です。
さらには「今やっているシステムについて、ホワイトボードに概念図を書いて」と言われ、面食らいました。ただ、私は昔から、概念を絵にして説明することを心がけていて。これがうまくできたのが大きかったんじゃないかと思います。
石川:おそらく、物事を俯瞰的に、しかも枝葉でなく全体を見られる視点を持っているかを見たかったのでしょうね。それを持ち合わせていないミクロ的な視点の人では、将来の成長が限られる。井出さんの場合、この部分で非常に高いポテンシャルを持っていると評価されたのでしょう。
「自分の心に素直になったほうがいい」
石川:イーシー・ワンから内定が出た後、もう1社内定をもらったコンサルティング会社とどちらに行くか、迷ってらっしゃいましたね。
井出さん:実は自分の中では、イーシー・ワンでほぼ決まりで、実際に働くイメージもできていたんですよ。ただ、イーシー・ワンは、Javaのリーディングカンパニーで、技術レベルが非常に高い。自分の技術力でついて行けるんだろうかと不安があったんです。
石川:それで、当社に最後の相談に見えたんですよね。
井出さん:石川さんといろいろな話をする中で、「自分の心に素直になったほうがいいよ」と言っていただいて。働くイメージまでできているんだから、もう答えは出ているんです。石川さんに、ラストのひと押しをしてもらったという感じですね。こういうときに1人で悩まずに済んだのも、人材紹介会社に依頼してよかったと思うところです。
石川:実際にイーシー・ワンで働き始めるわけですが、今回の転職活動を振り返ってみていかがでしたか?
井出さん:転職活動を通じて、視野も広がったし、情報も増えた。よく言われるとおり、自分のキャリアを棚卸しするいい機会だったと思います。
また、今回転職活動をする中で、自分のキャリアに対する考え方がまた変わった面もあります。それは、イーシー・ワンの二次面接で、社長に言われた言葉がきっかけです。「社長がイーシー・ワンの社員に求めることは何ですか?」と私から質問したところ、「ステレオタイプの人間・型にはまった人間にならないこと」という答えが返ってきた。
私自身、前職時代の常駐先のPMに憧れて、自分もいつかはPMに、と思っていたわけです。でも実は、もっと別の選択肢があるのかもしれない。あるいはPMになってもそれで終わりじゃない、その先には何があるんだろう、というところまで考えるようになりました。
イーシー・ワンの中でも、進むべき方向性として大きく、PM、ITアーキテクト、コンサルタントの3つの選択肢がある。PMを目標に置きつつも、どの選択肢が自分に適しているのか、フレキシブルに考えてみたいと思っています。
石川:井出さんはこれまでも自分の意志をしっかり持って、道を切り拓いて来られた。これからもご自身の選んだ道を、一歩一歩着実に歩んでいっていただきたいですね。
ライター プロフィール
- 荒濱 一(あらはま・はじめ)
- 1971年、東京生まれ。上智大学文学部教育学科卒。高校教諭、タイ・インドでの広告代理店勤務を経て、1998年からライターとして活動を開始する。現在、ビジネス(特に人材・起業)、IT/デジタル機器、著名人インタビューなど幅広い分野で記事を執筆するほか、広告コピー分野でも活躍。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(高橋学氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(高橋学氏との共著)