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第800章
2017/06/16

鶏口となるか、牛後となるか

— 大手企業と中小企業のどちらが自分にとってよいかを考える —

大手企業か、中小企業か

『鶏口となるも牛後となるなかれ。』

この故事成語ほど、多くのベンチャー企業で語られるものはないと思います。

日本の高度経済成長を支えてきた大手メーカーの『安定神話』が崩壊するなか、それでも大手企業に行くべきだという人もいれば、何ができるか・得られるかを重視して中小企業で揉まれろという人もいます。

私はもともと後者の考え方であり、新卒時も中小企業を選んでいるのですが、どちらが良いかという話になると、答えはない、と考えています。今回のコラムでは、なぜ答えがないと言い切るのか、その理由を、この故事成語に絡めて述べていきたいと思います。

『鶏口牛後』の背景

この言葉の成り立ちを知っている方は読み飛ばして頂きたいのですが、『鶏口牛後』は中国の春秋・戦国時代後期、秦の始皇帝によって中国統一がなされる直前に、縦横家と呼ばれる蘇秦によって語られた言葉です。

蘇秦は、秦に併呑されそうな韓に対して、諸国糾合して秦に当たるべしという、いわゆる合従策を提案していたのですが、韓王がなかなか決断できなかったため、『鶏口となるも牛後となるなかれ』、すなわち、大国の後塵を拝するよりは小国でも気高くあれ(意訳)と諭し、ついに韓王の心を動かしました。

現代でこの言葉が使われる際には、大国=大手企業であり、小国=中小企業に置き換えて語られます。

さて、果たして蘇秦の勧めで合従策に乗った韓王の決断は正しかったのでしょうか。蘇秦の言葉に対し、歴史はどういう判決を下すのでしょうか。その後を追っていきましょう。

『鶏口牛後』のその後

蘇秦の合従策は成功し、戦国の七雄のうち秦以外の6ヵ国の同盟が実現します。しかし秦は、蘇秦と同門である張儀が提唱する連衡策、すなわち、秦と手を組んで近隣の国を共に攻めた方が安泰である、という策を採用し、実現に向けて動きます。これにより、秦包囲網が徐々に崩れ、最終的には秦が中国の統一を成し遂げます。つまりは、せっかく小国が勇気を奮って大国に挑んだのに、結構は大国が勝ってしまう訳です。

では、やっぱり大樹の陰、すなわち大企業にいた方が安泰なのでしょうか。

引き続きその後を見ていきますと、始皇帝の死後、急速に国内が乱れ、秦に次ぐ大国であった楚の項羽が西楚の覇王を名乗ります。やはりここでも大国が覇権を握ります。大企業同士の覇権争いに似ていますね。

ところが、その楚も、王族でも何でもないぽっと出の劉邦に敗れてしまいます。劉邦は、漢中に一番乗りをしたノリで漢中王と名乗り、かつての小国の遺民たちを糾合し、ついには項羽を四面楚歌状態にして滅ぼし、漢王朝を立ち上げます。これはまさに、中小のベンチャー企業が既存勢力を駆逐する様に似ていますね。

ちなみに、漢王朝設立の立役者である張良は、韓の遺臣だそうです。鶏口であることを貫いた韓の重臣が歴史のキーマンとなっているのもまた面白いところです。

『鶏口牛後』の教訓

さて、鶏口牛後という言葉が発せられた時代背景とその後の話、いかがでしたでしょうか。

結局、大国である秦が戦国を制したわけだし、それを倒した楚もまた大国なのだから、やはり大手企業の方が、小国すなわち中小企業より安全だ、という解釈もあります。

また、ある時期は大国であっても、いつかは新たな国に滅ぼされるものなので、それなら劉邦や張良のように、大国に寄らずとも地力を着けて生きていく方が、結局は生き抜けるのでは無いか、という解釈もあります。

つまりは、それぞれの組織の、その時点での、その状態・ステージをどう解釈するか、それは自分にとって合っている環境なのかどうかという問題であり、どっちがいいかという問いへの答えは一律ではないわけです。

社会人生活は、大体40年から50年ほど続きます。企業の寿命はかつて30年程度と言われていました。いまはそれよりは少し長くなったような気がしますが、それでも社会人生活の長さよりも企業の平均寿命は短いでしょう。

牛後で逃げ切るか、鶏口で生き抜く力をつけるか、ライフステージと絡めながら、ご自身の生きる道をその都度その都度よく検討し、選択して頂ければと思います。

筆者 田中 祐介
コンサルタント実績
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