私が子供の頃、毎晩寝るときに母がいろんな話を読んでくれました。特に私が好きだったのはギリシャ神話です。人間臭さ満点の大神ゼウスや女神ヘラが、なんでもかんでも空にあげまくっているのを不思議に思いつつ、悪いことをすれば罰を受けるし、良いことをすれば報われるし、でも良いことをしても報われないこともあるんだな、と、いろんなことを感じたものです。
また、まんが日本昔ばなしやハウス食品の世界名作劇場など、子供にも分かりやすく、それでいてきちんと教訓が含まれている童話がテレビでもたくさん放送されていました。
当時はストーリーとしてのおもしろさになんとなく興味を持っていましたが、それらを大人になって思い出してみると、なるほど、そういうことかと思うことも少なくありません。
そうやって、何かのきっかけで思い出したことを、時々ここで書いていこうと思います。
北風と太陽
今日は、北風と太陽をコラムの題材として採り上げます。
多くの方がご存知の通り、北風と太陽という話は、北風と太陽が、どちらが旅人の服を脱がせることができるかという勝負をする話です。
北風は、冷たい強風で旅人の服を吹き飛ばそうとしますが、旅人は上着を固く掴み、吹き飛ばされまいとします。
一方、太陽は別のアプローチを試みます。日の光を強くし、暖かくすることで、旅人は暑がり、自分で上着を脱ぎました。勝負は太陽の勝ちです。
人の動かし方
この童話は、人の動かし方を教えています。
人の動かし方は、大きく3つあります。まずは①強制的に動かす方法と自発的に動かす方法の2つ、自発的に動かす方法としては、②ネガティブに動かす方法と③ポジティブに動かす方法の2つがあり、合計3つになります。
北風が、凄い強風で上着を吹き飛ばすのが、①の強制的に動かす方法です。抵抗しようがなんだろうが、とにかく勝つためには手段を選びません。
でも、この方法で上着を仮に吹き飛ばしたとしても、風が止んだら服を着てしまいます。北風は再び強風を吹く必要がありますし、旅人も抵抗を続けます。両者にとって最もきつく、生産的ではない状態と言えます。
また、北風が、服を脱がないと風を吹くのを止めないぞと言い、それに旅人が従うというのが、②のネガティブな理由で自発的に動かす方法です。
旅人は、寒い風を吹き続けられるくらいなら脱いだ方がましだと思って服を脱ぎます。脱いだら北風が風を吹くのを止めるので、旅人は良かったなとほっとします。抵抗していたので身体もポカポカしており、最初は寒さも気になりません。あー、良かった。北風のいうことを聞いて正解だったなと、むしろ感謝するかも知れません。
でも、そのうち体温が元に戻ってくると、だんだん寒くなります。ちょうど良いと思っていたものが、体温が低下するにつれて元々の寒さに気付き、旅人は再び上着を着てしまいます。一度は自発的に動いたものの、ふと我に返って元に戻ってしまうのです。
そして、太陽がぽかぽかと暖かくして旅人が自発的に上着を脱ぐのが、③のポジティブな理由で自発的に動かす方法です。
旅人は、寒いから上着を着ているわけですので、暖かくなったら上着を着ている必要性がなく、むしろ、脱いだ方が快適だと判断して自ら上着を脱ぎます。暖かい日差しのもとで気分も良くなり、ピクニックを始めちゃったりして、伸びやかに、自由に過ごしたりもします。
これを、我々が日常的に使っている言葉で言い換えると、以下のような表現になります。
① これをしろ。いいからやれ。
② これをしろ。さもないと酷い目に遭うぞ。
③ これをしたらとても良いことがあるよ。
残念ながら日本では、多くの人が①や②の言い方で教育をされてきています。宿題しないと頭が悪くなる、運動しないと病気になる、とにかく起きろ、などなど、◯◯しないと◯◯になる、◯◯しないと◯◯できない、理由はいいから◯◯しろという言葉を、子供の頃からたくさん浴びてきています。
そのように、人を動かすためには冷たくあたるものだ、というイメージを刷り込まれた結果、自分が言われたら嫌だったはずなのに、結局自分もこのような話し方を相手に対してしてしまいます。しかも、この言い方は楽に思いつくこともあり、何も深く考えることなく簡単に言えてしまうのがこの手の言い方なので、多くの人が、このような言い方をしてしまっています。
でも、こういう言い方をされたとき、皆さんは言われたことに素直に従ってきましたでしょうか。嫌な気持ちになり渋々従ったものの、やっぱり嫌な気持ちは変わらないため、見られていないところで、言われたことに従わなかった、とか、そのうち、何を言われても言うことを聞かなくなった、といった経験は、誰しも一度はお持ちだと思います。
そうなってしまうのは、①と②の言い方が、北風の対応にあたるからです。嫌だなと思うことをその人にさせることは難しく、強制的にさせたり、恐怖で動かそうとしたりしても、一時的な効果しか得られません。そのため、裏ではやらない、そのうち言うことを聞かなくなる、となるわけです。
一方、宿題をすればなりたいものになれるよ、とか、運動をすればレギュラーになれるよ、というように、③の言い方をすれば、それなら頑張ろうかなって気持ちになります。嫌だなあと思っていた心に、やろう!という心の灯がともり、自発的に動くようになるのです。そして、その心が熱くなってきたら、その人は誰かに何かを言わなくても自分で走り出していきます。
③の言い方は、ぱっと思いつくものではありません。これまで③のような言い方をされずに育ってきた方にとっては馴染みのない言い方なので、最初は簡単にはできないでしょう。③のような言い方が自然にできるようになるためには、楽な言い方に逃げず、頭を一所懸命に働かせる必要があります。いわばトレーニングですので、頭が疲れますし、ついつい楽な言い方をしてしまうこともはじめの頃はあるでしょう。
でも、③の言い方を身につけると、相手が気持ちよく、自発的に動くことができるようになります。また、自分も自然とポジティブで前向きな考え方ができるようになりますし、ポジティブな言い方を聞いた相手や周りの人も前向きな気持ちになり、みながハッピーな状態になります。
逆に、①や②の会話は、聞き手はもちろんストレスが溜まりますし、言う方も常に「言うことを聞かない」と不満を言い続けます。それを聞いた周りの人もネガティブな気持ちになります。ネガティブがネガティブを生む悪循環となり、良いことは一つもありません。
北風と太陽の話は、このように、人を動かすとはどういうことか、どのように話をすれば相手も自分も幸せになるのかを示唆した話と私は考えています。
わがままで言うことを聞かない!と口癖のように言っている方は、ぜひ北風と太陽の話を参考に、自分は北風になっていないか、太陽になるにはどうすれば良いかを考えてみてください。