先日法政大学キャリアデザイン学会の研究会で、千葉経済大学の中嶌剛先生に「とりあえず志向とキャリア形成」というテーマでご講演頂きました。中嶌先生のご発表の概略は、「多くの若者にみられる『とりあえず志向』は即座に否定するものではなく,就労現場に一歩足を踏み出すとりあえずの就業もまた,キャリアを豊かにするための一手段になり得る」というものです。
「とりあえず」という言葉が持つ様々なニュアンス
「とりあえず」という言葉は、その言葉が使われる状況によって、周囲の受け取り方が大きく変わります。居酒屋に入って、「とりあえずビールで!」という言葉を使うことがよくあります。この「とりあえず」=「まずは」という意味なので、この言葉を使っても周りが不愉快になることはありません。ですが、いつもそうとは限らないのが「とりあえず」という言葉の難しさです。
批判される「とりあえず」
大学生が就職面接で、ある会社の応募理由として「とりあえず大企業に就職したいので」と言うと、「寄らば大樹の陰ということか」「大企業ならどこでもいいのか」と批判され、面接は通らないでしょう。同様に、「どこでもいいから、とりあえず内定が欲しい」と言えば、「一生の問題なのだからちゃんと考えろ」と説教されてしまうかもしれません。
これらの時の「とりあえず」という言葉は、「大した理由はない」「先のことは考えていない」「苦しい状況から早く逃げ出したい」というニュアンスが含まれるため、私達は「大事なことなのにちゃんと考えていない」といった印象を持ち、この言葉を使う相手に対して厳しい目を向けることになります。
背中を押す「とりあえず」
逆に、積極的な意味で「とりあえず」という言葉が使われることもあります。例えば、管理職への登用を打診されて迷う女性社員、転職活動をしようかどうか迷っている人々など、「どうしよう?」と迷っている人々に対して、周囲から発せられる「とりあえず、やってみたら」という言葉は、その人の背中を押す時に使われます。同様に、迷っている本人が「自信ありませんが、とりあえずチャレンジしてみます」という時にも、自分で自分の背中を押すという意味があります。
この時の「とりあえず」という言葉は、「あまり考え過ぎずに」「やってみないとわからないこともある」「やってみてからもう一度考えよう」といったニュアンスが含まれます。
改めて「とりあえず」という言葉の意味を考える
私達が自分のキャリアを巡って「とりあえず」という言葉を使うのは、何らかの意思決定を迫られ、かつ迷いがある時です。最初にご紹介した中嶌先生は、若者のキャリアについて語る時、「とりあえず」という言葉が否定的に用いられることが多い現状を踏まえ、一見消極的に捉えられがちな「とりあえず」というキャリア志向の中には、次のステップにつながりうる積極性が存在することを示しています。
「とりあえず」という言葉はいつも批判されるものではなく、同様に言葉の響きだけで否定的に捉えられるものでもなく、その中に将来のキャリアにつながりうる部分があるかどうかを精査していくことが大事だということです。
「とりあえず」を利用する
自分のキャリアについて考えている時、「とりあえず」という言葉がふと口をついて出てきた時に、どうすればよいでしょうか。「とりあえず」という言葉には「仮の」とか「そのうちまた考える」というニュアンスが含まれます。ここでのポイントは仮であっても自分なりの意思決定をしたということでしょう。「とりあえず大企業に就職したい」ということは、「大企業に就職したい」ということを決めたことになります。
大事なことは「その次どうするの?」「その次はいつ考えるの?」「その時、自分にとって何が大事なの?」といった点について考えることです。仮の意思決定なのですから、もう一度その意思決定を見直すことが必要になります。「大企業に就職したらどうするの?」「今回の意思決定をいつ見直すの?」といったことを考えていくことが必要です。「とりあえず」決めた仮の意思決定をつなぎ合わせながら、自分のキャリアを進めていくというイメージです。「とりあえず」を、自分のキャリアを動かすモーターとすると言っても良いでしょう。
もちろん、軽々しく意思決定をすることは避けなければなりません。ですが、キャリアは意思決定の連続です。時には「とりあえず」の意思決定をしなければならない時もあるでしょう。そんな時は「とりあえず」をうまく利用することが良いのではないでしょうか。
まとめ
- 私達が自分のキャリアについて何らかの意思決定を迫られ、かつ迷いがある時に「とりあえず」という言葉を使います。
- 「とりあえず」という言葉は、「ちゃんと考えてない」等否定的に捉えられることが多いですが、一見消極的に見える中にある積極性を見逃さないよう、言葉の背後にあるものを精査するようにしましょう。
- 自分のキャリアについて「とりあえず」という仮の意思決定をする場合には、その後、「いつ」「何を」検討するのかを併せて考えるようにしましょう。そして「とりあえず」という言葉を自分のキャリアを動かすモーターとして活用していきましょう。
筆者プロフィール
- 坂爪 洋美
法政大学キャリアデザイン学部 教授 - 慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程修了 経営学博士。専門は産業・組織心理学ならびに人材マネジメント。主要な著書は『キャリア・オリエンテーション』(白桃書房、2008年)等。