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第1076章
2022/06/17

龍馬伝の龍馬に学ぶコンサルティングスキル(前編)

引き続き大河ドラマ龍馬伝を見ています。いよいよ薩長同盟に差し掛かり、物語は佳境を迎えています。

最近の通説では、坂本龍馬は維新でそれほど活躍しなかった、司馬遼太郎の竜馬がゆく、のイメージが強すぎて史実であるかのように思われているが、小説はフィクションであり、実は大物を動かしたりはしなかった、と言われています。

明治期にも坂本龍馬ブームがあったそうですが、それも、土佐はこんなに維新に貢献したんだ!というアピールをするために土佐人たちが坂本龍馬をスターにした、という話もあります。

ただ、史実と言われているものも、その信憑性は分かりません。如何なる公式文書も権力者側の視点から書かれていますので、都合の悪いことは伏せられ、事実とは異なることも書かれているでしょう。

また、史実か史実でないかを言い出すと、三国志演義も嘘だらけ・誇張だらけの駄作になってしまいますし、古事記や日本書紀に至っては八百万の神ならぬ嘘八百の文献に成り下がってしまいます。

大事なことは、事実か、創作か、ではなく、それが人の心を打つかどうか、学びを得られるか、読み手の人生に彩りや味わい深さを与えるかどうかだと私は思います。『竜馬がゆく』も『龍馬伝』も、創作ではありますが、気付きになることがたくさんあり、勇気づけられたりもする、いずれも私の好きな作品です。

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入ります。龍馬伝を見ていて、坂本龍馬はコンサルタントとして優秀だなと思いましたので、今回のコラムではどのあたりでそう思ったのかをお伝えしたいと思います。

ゼロベース思考

8月18日の政変や蛤御門の変などで犬猿の仲になっていた薩摩と長州を坂本龍馬が結びつけていくわけですが、ここにはゼロベース思考が見られます。

何かを行う時には、必ず何かしらの前提条件や制約条件があります。そして、それらの条件を加味した上で、どうすべきかを考えることになります。ただ、その前提条件や制約条件は、本当に前提にすべきことなのか、制約なのかを考えてみると、案外そうではないことに気付いたりします。それに気付くと、右か左かの二元論ではない第三の道が開けたりします。

長州に味方するか、幕府・薩摩に味方するか。この二元論の前提には『長州と薩摩は絶対に敵』『手を結ぶわけがない』という大前提があります。その、前提として思い込んでいることを一旦ゼロにして考えたら、尊王攘夷のためには薩摩と長州が手を結ぶべき、という第三の道が結論として自然に導き出されます。

この他にも、龍馬は反幕にもかかわらず、幕府の組織である海軍操練所に所属して航海術を学んだり、薩摩の配下に一時的に属しながらも長州に便宜を図ったりと、制約条件に捉われない動き方をします。

前提や制約条件を取り払い、目的達成のためには何が必要かを考えて行動する。これこそコンサルタントに必要なゼロベース思考と言えます。

高次の目的思考

ゼロベース思考の根底には、目的思考があります。なぜこれをやるのか、どのような世界を作りたいのか。根源的なテーマを明らかにし、それを達成するためにあらゆる手段を考えること、それが目的思考です。

そして、目的を達成する時に、どうしても壁にぶつかることがあります。そして、どうしても前に進めなくなった時にゼロベース思考が役に立つ、というわけです。

目的思考は誰しも持っています。◯◯をやりたい、◯◯になりたい、など、何かしらの目的を持って人は行動します。

ここで大事なのは、どこに目的=ゴールを設定するかです。これが高次か低次かで、その後の判断や行動が変わります。狭い視野で設定された低次の目的はその取り組みを小さなものにし、広い視野で設定された高次の目的は大きな取り組みとなって物事を大きく動かします。

龍馬伝では、狭い視野で目的を設定した人物がたくさん出てきます。特に、物語前半で活躍する武市半平太と、その後に活躍する龍馬の行動は、目的の設定の仕方により行動が変わる最たる例と言えます。

武市半平太は、あくまで藩主山内容堂のために行動します。みかどのため、土佐のため、大殿さまのため、と、ことあるごとに話します。

言葉だけ聞けば、みかど=日本のため、と見えるのですが、それは君主山内容堂がそれを望んでいる(と武市が思い込んでいる)からであり、武市半平太はあくまで山内容堂を日本一の大殿さまにすることを目的に行動をしています。そのため、その目的の達成に邪魔であると考えた吉田東洋をはじめ、有能な人々を次々と暗殺してしまいます。

また、武士の存在理由すらも大殿さまに尽くすものと断定し、それを体現しようとしている土佐勤王党に属さぬ者を、それでも武士かと責め立てます。

一方、龍馬は日本のため、日本人のため、という発言をします。言葉自体は武市半平太のそれと似ていますが、意味するところは違います。

龍馬が目指しているのは、日本人が日本人であるために、日本中の人が団結し、異国から日本を守る世界です。そのために、それを妨げる幕藩体制や士農工商といった仕組みを変え、有能な人材を抜擢・登用し、一人一人の日本人が自分達のために生き、働く世界にすべく行動します。

武市半平太は龍馬に土佐勤王党への所属を求めましたが、龍馬は一度は所属するも脱会し、それどころか藩士という身分すら捨てます。また、争いの渦中に身を起きつつ、互いを殺さず生かす道を模索します。

両者の目標は同じ尊皇攘夷ではありますが、目的設定が異なるため、行動が全く違っています。

目的は、判断や行動の拠り所となるため、何をするにも目的の設定が必須ですが、低次な目的を設定してしまうと、判断や行動も低次に留まり、成果も小さくなってしまいます。

そのため、コンサルタントは出来るだけ高次な目的設定をするのですが、龍馬は周りが低次の目的、すなわち、下士(土佐特有の身分で位の低い武士)のため、大殿さまのため、自藩のため、幕府のためという目的設定をするなかで、日本人のため、という高次な目的を設定しているところから、優秀なコルサルタントだなと思いました。

(後編は6月24日公開予定です)

筆者 田中 祐介
コンサルタント実績
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