- プロフィール
- 九州の国立大学を卒業後に上京し、中小のシステム開発会社に就職。ネットワークの保守を経て、ソフトウェア開発でプログラミングを担当。二次、三次請けの案件から脱却するため、金融機関向けシステム開発に強みを持つ中小ベンダーに転職。その後、金融知識、プロジェクト管理スキルを身に付け、リーベルの支援を受けて二度目の転職に挑み、NTTデータの内定を獲得。同社では社内の様々なプロジェクトの支援を行う部署に所属し、金融機関向け案件のプロジェクト管理などを担当。
しかし、多重請負の仕事に危機感を覚え、臨んだ最初の転職活動。転職したのは金融系に強い中小のパッケージベンダー。
パッケージ開発、PMO業務、IT戦略、銀行へのパッケージ導入プロジェクトの管理。常に問題を見つけ、定義し、解決する姿勢を貫いた。
そして、二度目の転職活動で難関のNTTデータから内定を獲得。
NTTデータ入社後は大規模な案件を次々と担当。自分が培ってきたプロジェクト管理の方法や考え方は、規模が大きくなっても通用することを確認し、やっていける自信が付いた。
社会人のスタートは小さな会社だったにも関わらず、最大手のNTTデータへの転職を果たし、入社後は結果を出して“昇進”もした今。
サクセスストーリーの軌跡を本人の言葉で振り返った。
最初の転職で尖った“武器”を身に付ける
地方の国立大学を卒業し、上京して就職した中小のシステム開発会社。ルーターの保守に始まり、ソフトウェアのプログラミングも経験した。だが、その後転職を思い立つ。その裏には強い上昇志向があった。
—— 社会人のスタートは中小規模のシステム開発会社でした。
Tさん:配属されて最初の仕事は、ネットワークの保守業務。業界ではデファクトスタンダードとなっているルーターを点検するのが主な仕事でした。大手通信会社の電話ボックスほどある大きなルーターの保守点検を行うことも。社会人一、二年目でありながら、日本に何台もないルーターを操作するなど、自分の技術のルーツとなる貴重な経験を積めたことが大きな収穫です。また私の会社は二次請け、三次請けのいわゆるBP(協力会社)だったのですが、プライム企業のチームリーダーが新卒の私をしっかり教育して下さったことも、得難い出来事でした。「周囲のミスを受け入れてやっていくのも一つのやり方。しかし、ミスをしないように時には相手に厳しく要求することも大事」「成長するには常に結果を出し続けなければならない」など、振り返れば様々な言葉が思い出されます。
その後はソフトウェア開発部隊に移り、プログラミングが日々の仕事に。これがSEとしてのキャリアの始まりです。
—— しかし、同社に3年4か月在籍した後、転職されました。理由は何でしょう?
Tさん:ひと言でいえば、多重請負構造の底辺から抜け出すためです。このままでは自分の成長も、仕事に対する心からの満足感も得られないと思いました。目指すのは、顧客と直接折衝し、大規模な開発を行う大手。ですが、人材紹介会社に相談すると、コンサルタントは「私のキャリアでいきなりそこを目指すのは無理、まずは受け入れてくれそうな会社で何か尖ったスキルを身に付け、それを武器に再度転職活動で大手に挑むのが得策」と助言。金融系に強い中小のベンダーに入ってプロジェクトマネジメントの経験と金融の知識を得ることを勧められ、その意向に沿って転職したのです。
—— 妥当な選択ではないかと思います。転職後は?
Tさん:最初にパッケージ開発のプロジェクトを経験。自由な社風で発言も好きにすることができ、私の提案が通ることも多かったです。次第に上司から認められるようになり、気が付けばリーダー(PL)、さらに小規模な案件のマネージャー(PM)へとキャリアアップを図ることができたのです。
それからは異動して、PMO業務と社内のIT戦略を担うポジションに。プロジェクトの標準化を実現するためにPMBOK準拠の規約を策定・実践したり、社員全員にノートPCを支給し、席のフリーアドレス化、無線LAN環境の構築など、当時としては先進的な取り組みを次々と実行していったのです。畑違いの仕事を割り当てられても、正面から向き合って、問題点を探して解決するために全力を尽くす。その姿勢を貫くことで、常に結果を出し、会社に貢献することができたと考えています。
—— PMO業務や社内のIT化など、自分が望まないポジションを与えられた時も全力で当たる。社内の評価も上がっていったのでは?
Tさん:社内の業務環境は向上し、上司からは高評価を得られていたと思います。その後は自分が望んでいた、パッケージをカスタマイズしてユーザーに導入するプロジェクト管理のポジションに異動。ネット銀行へのパッケージ導入プロジェクトでは、先方のシステム部の担当者が実に厳しく要求や管理を行う方でした。金融のシステムに必要なセキュリティやコンプライアンス、品質基準を順守するように、我々に迫るのが日課。ただし、これこそが金融に求められる真っ当なプロジェクト管理だと受け止め、要件定義書の作成や管理などで、交渉や対応を担っていったのです。このプロジェクトの経験が次の転職で役立つことになろうとは、この時は思ってもみませんでした。
私の仕事ぶりは上司からの評価を受け、給与面では厚遇されるようになりました。ですが、同社でこのまま仕事を続けても、パッケージを導入する同じような仕事が毎年続くと思い、閉塞感を覚えたのも事実。そこで、より大規模で様々な経験ができる大手への転職にいよいよ踏み切る潮時だと考えたのです。
採否がボーダーラインだった面接で引き上げられた要因
二度目の転職で支援を依頼したのはリーベル。スカウトメールを読んで、自分のレジュメをしっかり読んだ上で書いていることがわかり、信頼できると考えたからだ。そして、臨んだ転職活動。どのようにNTTデータの内定を勝ち取ったのだろうか。
—— 転職支援先としてリーベルを選びました。そこからの経緯を教えてください。
Tさん:リーベルは私の考えを詳しく聞き取り、尊重して幅広く選択肢を提示。その中で私が応募したいと思ったのが、ある大手SI会社とNTTデータの2社です。前者は社風が自由闊達で好きに仕事ができそうな印象があり、後者は言わずと知れた業界最大手の会社で大規模な案件を数多く経験できることがメリット。働き易さか、大規模の経験を優先するかが悩みどころでした。ただ、NTTデータはハードルが非常に高い最難関の会社。内定を得るのは至難の業だと感じていました。
—— NTTデータの面接はどのように進みましたか?
Tさん:一次面接(※)は人事担当者と一対一。私が金融系に強いベンダーでのプロジェクト管理経験を話し、思った以上に金融の業務知識に詳しいことが高評価だったようです。前職では尖った知識やスキルを得ることが目標でしたが、そのキャリアが活きて、一次面接は突破できたと考えています。
—— NTTデータの面接はシビアだと聞いています。その後は?
Tさん:次の二次面接(※)は、現場の部課長クラスが面接官。プロジェクト管理の経験や考え方に関して、徹底的に突っ込まれたことを覚えています。私の場合、大規模案件の経験がないことがウィークポイント。しかし、前職の最後の案件で、プロジェクト管理の真っ当な方法を押さえています。この経験を話すことで、面接官が求める理想的な条件には足らないものの、最低限のペーシックなスキルがあり、「磨けば光る」と思ってもらえた。それが、二次面接突破の要因となったのです。
最後の三次面接(※)は事業部長や役員クラスが面接官でした。この面接も非常に厳しく、採否はボーダーラインでしたが、内定を獲得することができたのです。
—— 転職を振り返って、成功した要因は何でしょう。
Tさん:一つは金融の知識があったこと、そしてもう一つはプロジェクト管理の“姿勢”だと思います。管理を何となくやっているのではなく、何があると成功して、何がないと失敗するのかを、自分の経験と知識をしっかり融合させた上で判断できること。問題が発生してから解決するのではなく、自ら問題を見つけてきて解決する姿勢があること。そうしたプロジェクト管理の基礎的なノウハウがあることを自分の言葉で伝えきれた点が、ボーダーライン上にあった私を引き上げてくれたと思っています。
※2019年現在、面接回数は2回になっています。
問題を見て見ぬふりをせず、逃げずに立ち向かう
NTTデータに入社を果たし、新たに始まったSI会社最大手でのキャリア。待ち構えていたのは今までにない大規模なプロジェクトだ。前職までに経験してきた案件とは何が違ったのだろうか。そして、自身のスキルは通用したのか。
—— NTTデータでの仕事が始まりました。率直に感じたことを教えてください。
Tさん:まず、最初に驚いたのが扱う金額が大きいこと。前職までは億単位の案件であれば大規模でしたが、NTTデータではその金額では小規模。また、プロジェクトの組織も異なります。最初にアサインされた流通系の共通ポイントシステム構築プロジェクトは、オフショアを除いてメンバー数が170〜180人。そして、前職ではプロジェクト管理をPM一人が担っていたのに対し、NTTデータでは案件ごとに5、6人だったり、多ければ20人規模の「プロジェクト管理グループ」が存在し、管理業務を担っていることが大きく違う点でした。
一方、前職と同じで安心した点もあります。それは、自分が今まで培ってきたプロジェクト管理の方法が、規模は違ってもベースの部分は同じで、十分に通用することがわかったことです。今まで、全ての案件に手を抜くことなく、全力で真剣に向き合ってきたことが、入社後に活きることになったわけです。
—— 具体的には、どのような部署に配属されたのでしょうか。
Tさん:配属されたのは、金融関係の様々なプロジェクトの支援を行う部署です。各プロジェクトからは様々な支援依頼が舞い込んでおり、支援の必要性と私が経験した方がいい案件のバランスで上司が案件を選び、話し合いの上でアサインされる段取りです。プロジェクトの途中から配属されることもあれば、最初から参画する場合もあります。最初の共通ポイントシステム構築の案件は途中から配属。衝撃的だったのは、この案件のPMが世の中にこれほど優秀な人がいるのかと思うくらい、飛び抜けて能力が高かったことです。この人に付いていけば必ず成功すると予感させるビジョン。加えて、プロジェクトの進め方が非常に組織的。各自がどのように動けばいいかが明確。顧客との交渉も的確、今後発生する問題の予測も的確。最終的にプロジェクトは成功したのですが、そのPMはまさに自分にとって憧れとなる存在でした。
—— NTTデータで仕事をする上で、意識した点はありますか?
Tさん:問題を見て見ぬふりをしないこと。言われたことだけを行う楽なやり方もあると思います。ですが、私はそうせず、自身で問題だと思うことは、必ず上司に報告し、全体で解決するのか、私自身で解決するのかを振り分けてもらって対応するなど、問題の芽を摘むことを心がけたのです。問題を意識的に探し、解決することは、今までも行ってきたことであり、そのやり方を貫く姿勢はNTTデータに入っても変えませんでした。
—— その後、仕事の内容が少し変わったと聞いています。
Tさん:社内で特に高リスクで難易度が高いプロジェクトにアサインされ、トラブルや窮状を援護するチームに配属。多くが遅延している案件であり、現場でヒアリングし、問題点を突き止め、適切な解決策を実践することで立て直すのが主な役割です。実際に困難な仕事が多く、対応に苦慮することばかり。しかし、思うのは、誰かがこういった仕事を受けて解決していかないと、お客様や社会からの当社への信頼度は上がっていかないということです。途中、滞った点はあるけれども、結果的にNTTデータに頼んでよかった。そうお客様から思われるように、困難から決して逃げることなく、立ち向かう毎日です。
目の前の仕事に全力で取り組むことがキャリアアップの秘訣
NTTデータに転職して4年近くの月日が経ち、すっかり同社の一員として溶け込んだ。実績が認められ、昇進も経験。中小のシステム開発会社からNTTデータで活躍するまでにキャリアアップを成功させた要因を最後に聞いた。
—— NTTデータ内で一定の評価を得られ、昇進も果たした今、キャリアアップできたポイントは何だと思いますか?
Tさん:繰り返しになりますが、問題を定義して解決していく姿勢、困難に立ち向かう姿勢を、ぶれずに貫いていることが、結果につながっていると思います。もちろん“姿勢”だけでは不十分で、ミスリードしないようにロジカルに正確な判断を行う能力も不可欠。正確な判断のためには知識や技術が必要で、それを今までの経歴でコツコツと身に付けてきたことが、NTTデータ内でも通用している要因でしょう。そしてNTTデータという会社は、新卒や中途に関わらず挑戦する人を評価してくれるということが大きいです。
—— 小さな会社で社会人としてのキャリアをスタートさせる人は多いと思いますが、そこで卑屈にならず、目の前の一件一件を全力で取り組むことが、最終的にNTTデータに入って活躍することにつながっているわけですね。
Tさん:もう一つ言及するなら、最初の転職先として選んだ二社目が良かったということ。ここで一気に大手を狙わず、一度自分を磨いてから挑戦する選択をしたことが、その後のキャリア形成に大きく影響したと考えています。
—— 最後になりますが、NTTデータで今後成し遂げたいことを教えてください。
Tさん:実は、私は昔から教育に興味があり、将来はNTTデータの優秀な人たちを、さらに優秀にできるような仕事に携わることができればと思っています。私は今までのキャリアで様々な会社やプロジェクトに関わり、NTTデータに入ってからも多くの事業部の案件を見てきています。そんな幅広い経験をしている私だからこそ、教えたり、教育の仕組みを作ったりすることができるはず。社内人材のスキルアップに貢献することが目指す方向性です。
—— 多様な規模、業種、職種を経験したTさんであれば、きっと独自の有益なカリキュラムを作れると思います。本日はありがとうございました。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。