- プロフィール
- 愛媛大学工学部電気電子工学科卒。ソフトウェア会社に入社し、アーキテクチャ設計、フレームワーク開発、プロジェクト効率化のための手法策定などに従事。要件定義から設計、開発、試験まで一貫して携わる経験を数多く積む。エンジニアとしてキャリアアップを求めて、オージス総研に入社。ITアーキテクトとして新たな一歩を踏み出す。
提案形式によるシステム開発にこわだり、顧客の評価も高かった。
しかし、現職ではエンジニアとしてのキャリアパスが描けない。
O.Hさんは、国内トップレベルのITアーキテクトを目指すため、
エンジニアとして成長できるオージス総研への転職を決意する。
リーベル代表の石川が、転職成功の経緯とその秘訣をきいた。
流儀と考え方の軸
「提案形式によるシステム開発」——。これが、O.Hさんが前職のソフトウェア会社で常にこだわってきたやり方、いわば流儀だ。
「顧客から任されているのは基本的にはソフト開発の部分。でも、それだけをこなす受け身のやり方ではだめ。だから、要件定義の段階から次々と顧客が思いつかないようなことを提案することを心がけました。そうすることで、要件定義もより良いものになり、それ以降の開発も非常にスムーズになりました」。
ただし、最初から提案型のシステム開発ができたわけではない。きっかけは「悔しさ」からの気づきだった。
「入社して最初に研究部署に配属されたときは、自分に全く自信が持てなかった。だから、OJTの期間中は難しい問題があると、トレーナーの先輩に聞いていました。先輩に甘えていて、常に受け身でしたね。そんなとき自分の仕事のやり方の悪い点を上司の方から指摘されまして。自分は負けず嫌いなので、非常に悔しい思いをした。同時に今のまま先輩を頼っていてはいけないとも思いました。だから、そのときから、自分でじっくり考えて答えを出したり、提案をしたりするように仕事のやり方を変えたのです」。
自分で解決策を見出したり、提案したりするためには、考え方の「軸」が必要だ。O.Hさんは突き詰めた結果、「システムとそれを使う人という観点をひたすら考えること」というシンプルな軸に行きついた。システムを考えることとは、つまりは日々技術力に磨きをかけることだ。オープンソースやフレームワークは、ネットや書籍などから開発者の意見なども含めて一次情報を積極的に入手し、その構成や思想を深く知ることに力を注ぐ。また、ウォーターフォールやアジャイル開発などの開発手法も精力的に学習する。その上で、自分の案件に使えるかどうかを判断し、もし利用可能であれば、カスタマイズしてシステムに移植する方法を考え、実行するのだ。
また、使う人を考えるというのは、文字通り、エンドユーザーの身になって使いやすいシステムを追求するということだ。「実際にシステムが動いている場面を想定し、自分が使う立場だったらどうあってほしいかを徹底的に考えます。それを顧客にダイレクトに伝えて、議論を重ねて最適なシステムを構築していく。シンプルですが、このエンドユーザー視点で考えることこそが、基本であり、王道だと思っています」。
キャリアパスを求めて
提案型のシステム開発により、数々の実績を積んでいったO.Hさんだが、一度転職に心が傾きかけたことがある。それは、自分のキャリアパスが描けなかったことが発端だ。「私はエンジニアとしてキャリアを積んでいきたい。でも社内にはそのキャリアパスがなく、用意されているポストは管理職でした。管理職になれば、複数のプロジェクトの人員配置と管理がメインになり、エンジニアとしてプロジェクトに関わる機会がなくなります」。
上司に相談すると、思いとどまるように説得された。そのときは実際に飛び出して、どの会社で何をしていくか定まっていなかったこともあり、踏みとどまり、もう少し自分磨きに力を入れることにした。これが功を奏した。その後にアサインされたプロジェクトで仕事のできる有能な先輩に出会い、自分をブラッシュアップできたからだ。
それから2年後、O.Hさんは再度転職を志向するようになる。今回は明確に行きたい会社が決まっていた。オージス総研だ。同社ではエンジニアとしてのキャリアパスも用意されている。さらに標榜する「百年アーキテクチャ」(長いスパンで活用できる持続可能なビジネスシステムを構築すること)にも共感を覚えた。自分自身もアーキテクチャ設計をする際に、稼働後の保守性・拡張性が担保され、エンドユーザーにも、SEにも優しいシステムを作ることを、常に目指してきたからだ。
O.Hさんは自分ひとりで転職活動を進めるより、色々とアドバイスを受けたいと考え、転職支援サイトに早速登録。すると、驚くほど速いレスポンスでメールを送ってきた転職支援エージェントがあった。リーベルだった。
転職支援の有効性
転職支援エージェントのサポートを受けるのは初めてのことだ。「正直不安もありました。10社も20社も受けさせられるのではないかと。でも、リーベルは違いました。自分がオージス総研に行きたいと告げると、その1社に絞って活動することを薦めてくれました」。
さらにいくつかのアドバイスも受けた。その1つが、職務経歴書の書き方だ。O.Hさんの経歴書は、自分のバイタリティのアピールに紙幅を割き、技術的なアピールにやや欠ける内容だった。枚数も5枚と多かった。それをリーベルのアドバイスをもとに、技術力がしっかり伝わるような内容に書き換え、枚数も3枚にコンパクトにまとめた。オージス総研の書類選考はその改善された職務経歴書の効果もあり、パスすることができた。
続いて面接だ。面接では、例えば「今まで使ったフレームワークを活用してWebアプリケーションの構築を依頼されたら、どういう構成で作りますか」といった質問をされ、O.Hさんは明確に答えた。あるいは「プロジェクトリーダーにとって大事なことは?」という質問に対し、「技術をしっかり持っていること、メンバーとコミュニケーションを図れること」と、これもはっきりと答えた。常々突き詰めて考えることをモットーにしているだけあり、どんな質問にも的確に対応できたのだ。2回の面接が終わって1週間後、内定の通知を無事受けることができた。
ありのままでいること
O.Hさんはオージス総研の一員となった。課題は明確だ。「自分はまだ経営的な視点が弱い。戦略的なITシステムを作るときに、この視点がないと、顧客の依頼にヒットしないものになってしまう。まずはその視点を鍛えることが重点課題ですね」。
ところで、O.Hさんは昔から趣味でラグビーを続けている。ラグビーを通じて学んだことは、“ありのままでいること”である。「自分にできることはできるし、できないことはできない。それを素直に認めて、常にありのままでいようと心掛け、できることに集中して取り組んでいます。そう思えば、ありのままの自分がより力が出せるように、普段から技術や考える力を磨くなど努力するようにもなります」。面接でもありのままの自分で臨むことが重要。「自分を着飾って入社できても、結局ミスマッチになり、辞めることになっては元も子もない」というのがその理由だ。
O.Hさんは、不断の努力を重ね、転職に際しては進む会社を明確に決めたことで成功させた。そして、今後は「国内でトップレベルのアーキテクトになることが目標。そのためにも5年をめどにオージス総研の中でトップレベルになりたいと思っています」と、誓いを立てる。今後もありのままを貫く気持ちと努力があれば、それは決して不可能なことではない。
ライター プロフィール
- 高橋 学(たかはし・まなぶ)
- 1969年東京生まれ。幼少期は社会主義全盛のロシアで過ごす。中央大学商学部経営学科卒業後、1994年からフリーライターに。近年注力するジャンルは、ビジネス、キャリア、アート、消費トレンドなど。現在は日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。
- ◇主な著書
- 『新版 結局「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『新版 やっぱり「仕組み」を作った人が勝っている』(光文社)(荒濱一氏との共著)
『「場回し」の技術』(光文社)など。